第16話 顔の広さと顔の大きさは関係ない

 蒋師仁は王正使に尋ねたのだが、横から割り込んで応えたのは劉嘉賓だ。


「いえ、歌詞もありますよご存じないんですか。でもまあ、上手い下手を度外視すれば誰でも歌は歌えます。自分は、秦王破陣楽を楽器で演奏することもできますよ」


「へえ。あなたが楽器を演奏できるなんて、初めて聞いたわね。で、何の楽器を演奏できるの? 篳篥? 箜篌? 琵琶?」


 篳篥は縦笛、箜篌は竪琴、琵琶はギターのように横抱えにする弦楽器だ。


 秦王破陣楽というのは、この時代に流行した音楽だ。複数の管楽器、弦楽器により編成された楽団、つまりこの時代の唐のオーケストラで演奏される。秦王というのは、隋末唐初の混乱期に各地の群雄を連戦連勝で撃破した李世民のことだ。


 その李世民が、現在の皇帝だ。


「自慢ですけど、楽器は大抵なんでもできます。今、王正使が言っていた三種類も、まあそれなりには演奏できますよ」


「ええっ、ウソだろう……」


 蒋師仁は、言われたことを素直に信じることはできなかった。どの楽器も演奏方法が全く異なる。にもかかわらず、どの楽器も演奏できるというのは、ただごとではない。


 一種類の楽器だけできる、というのならば、よほど熱心に練習したのだろうと理解できる。だが、異なる楽器を演奏できるとなると、生まれ持った優れた素養があったということだろう。


「すっごーい! どれも演奏できるんだ。それは素晴らしいわね! 劉嘉賓のこと、何の取り柄も無さそうだと思っていたけど、見直したわ」


 目を輝かせた王玄策は、劉嘉賓の自己申告を素直に受け取ったようだ。心の中で本当に信じているかどうかは外部の人間には分かりようもないが、劉嘉賓の言葉を頭ごなしに否定はしなかった。


 蒋師仁には冷淡に扱われたものの、美女王玄策に賞賛されて、さすがに気が悪くなるはずもない。劉嘉賓は勅勒の歌を吟詠した時よりも得意げな顔をして無精髭を震わせた。


「なにげに失礼なことを言われたような気もしますが、そこを気にしなければ、そうですそうなんです。自分はスゴイんですよ。やっと少しは認めてもらえたので、少しは気分が良いですよ」


「じゃあ、何の楽器でもいいから、演奏してみて」


「え?」


 吹く風が止まった。時間が止まった。


 もちろん本当に止まったわけではない。喩えだ。しかし、劉嘉賓の体の動きと思考は本当に停止していた。


 近くに落ちていた牛の糞の悪臭が漂ってきて劉嘉賓の鼻を寇す。それで我に返って気持ちと体勢を立て直す。


「いやいやいやいや。今は楽器なんて何も持っていませんから。長旅に出るのに、重くて邪魔になるだけの楽器なんて、わざわざ持ち運べませんよ」


「そう。それは残念だけど、確かに楽器の持ち運びは難しいわね」


 王玄策があっさり引き下がった時。


「あのう。もうやりとりは終わりましたかね?」


 王玄策と劉嘉賓の間に割り込む形で、長身の男が姿を現した。蒋師仁も少し視線を上げた。


「あ、劉仁楷どの。どこに行っていたんですか?」


 首から下の身長だけなら、蒋師仁と劉仁楷はほぼ同じくらいだろう。顔の大きさの分だけ、顔の広い世話役劉仁楷の方が背が高い。


 その劉仁楷は、隣に背の低い老人を伴っていた。いや、劉仁楷の背が高すぎるだけで、比較として低く見えるだけだ。


 背の低い、いや、普通の身長の老人が口を開いた。あちこち歯が抜けているらしく、その言葉は聞き取りにくい発音だった。


「事前に劉仁楷どのから聞いております。皆様の宿舎を用意してあります。一人一室とはいきませんので、二人一室となります。なので、二人一組を作ってください」


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