第13話 勅勒の歌
これはもはや、侃侃諤諤の議論ではない。喧喧囂囂の言い争いでしかない。
「だったら言わせていただきますよ。自分はよく勉強をしているので、文については得意です。詩文に関する知識が豊富です。たとえば、北斉の詩人の斛律金が詠んだ『勅勒の歌』なんかも諳んじることができますよ」
そう言って劉嘉賓は、音吐朗朗たる声で雄大な内容の詩を詠じた。よく響く美声で、荘厳さともの悲しさが同居した歌の境地を見事に歌い綴った。
勅勒の川 陰山の下
天は穹廬に似て 四野を籠蓋す
天は蒼蒼 野は茫茫
風吹き草低れて 牛羊を見る
「どうですか?」
言って劉嘉賓は両手を腰に当てて胸を張った。随分と偉そうにのけぞった。
「どうですか、って……まあ確かにその詩は鮮卑あたりの騎馬民族の発祥らしいから、これから西に向かう我々にとっては、合っているとは言えるわね。その詩を選んだことについてはなかなか良い文才だと率直に思うわね。でもそれって、斛律金が詠んだ詩ではなく、騎馬民族の古歌を漢語に訳したものじゃなかったかしら?」
「うっ……王正使、細かいことに意外と詳しいですね」
「意外も何も、私はあくまでも文官だから。幼い頃から千字文も習っているし、論語も勉強している。詩なども、そこそこは知識があるわよ」
王玄策は、何でも好き嫌いなく食べることができますよ、くらいの気安い感じで言った。決して高級官僚を輩出している家系ではないが、最低限の教養は当然修めている。その上で天竺の言葉や地勢などに関しても家業として学んでいるのだ。
「それに、斛律金は詩人じゃなくて、どちらかといえば明らかに武将でしょう。そもそも漢人ではなく騎馬民族出身なので、『金』という漢字をすらなかなか覚えられなくて苦労したような人でしょ。詩文なんかよりも武勲の方で活躍しているし、本人だってそちらの方に誇りを持っているはずだわ。そりゃ、本人が伝えた詩が郷愁に満ちて美しいから有名になったとしても、本人の武将としての足跡を無視されて詩人として伝えられては、斛律金は墓の奥で泣いているんじゃないの。そこを間違えるなんて、偉大な勇将に対して失礼の極みよね」
「うっ、そ、それは、間違いじゃないんですよ。乱世の南北朝時代のことですから、武将でなければ後世に名を残す可能性など無かった時代ですから、単なる武将としてではなく、詩人としても後世の人の記録と記憶に名をとどめることになったのですから、斛律金将軍としては、詩人と称されるのは名誉なことだと思いますよ。きっと。たぶん」
苦しい言い訳で劉嘉賓は取り繕ったが、顔に焦りの色がありありと見えていた。無精髭が少し震えている。副使の蒋師仁としても、斛律金の名前は、その子の斛律光と共に武将として記憶していたので、いきなり劉嘉賓に詩人説を唱えられても困惑しか生まれてこない。
蒋師仁から見たら劉嘉賓は、「なんなんだこの文人気取りの男は?」という異端児である。
王正使と劉嘉賓の会話を傍で聞いていると、本来の予定の人員には入っていなかったが、何かの手違いで使節団に混入してしまった模様だ。だったらさっさと長安に帰らせればいいのに、なぜこのような無駄な議論に時間と手間を浪費しているのか。蒋師仁の足の爪先から苛立ちは白い砂のように積もり始め、あっという間に胸の辺りまで高さを増した。
「この劉嘉賓の文士としての実力と有用性について、王正使も蒋副使もいまだ納得しておられないような様子ですね。ならば仕方ない。もう一回だけ、私の実力の片鱗をお見せしましょう」
よほど自信があるのだろう。劉嘉賓はふんぞり返る勢いで天を仰いで胸を張る。立ち止まっている一行の横を、馬を牽いた農夫たちが数人通り過ぎて行く。降り注ぐ光を無精髭に浴びながら、劉嘉賓は王玄策と蒋師仁を交互に見比べる。
「いくつもの詩を覚えているのも私の優秀さの証の一端ですが、ここは一つ、ご期待に応えて、文才を披露してみましょう。試みに、檄文を一つ紡いでみます」
「檄文ですって?」
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