第10話 正使と副使の誤解

 玉門関というのは、頻繁に詩にも歌われるように、大唐帝国の最も西の果てにあたる場所だ。最近は国力が充実して、玉門関よりも西にも帝国の威光が及ぶようになってきているが、あくまでも「自宅の中庭」という感覚でいられるのは玉門関までだ。


 現実には、その「中庭」すらも、騎馬民族に侵攻されて掠奪を受けることも少なからずあるのだが、建前は中庭だ。


 しかし、今回の旅では、その玉門関まで行く前に別の道に入ってしまう。


「駄目です。全然駄目です。大唐帝国の威光を背負って外国に赴く正規の使節団であるにもかかわらず、あまりにも不可解な人選。こんな体たらくで、長い旅を経て無事に天竺まで到達できるでしょうか? いや、これでは途中で必ず問題にぶつかって何人も犠牲者が出るに違いないのです!」


 無精髭の若者は、喋っている内に己の弁舌に酔い始めたのだろう。ここが道の真ん中であるということも忘れ去り、美貌の王玄策に向かって真っ正面から言い募り始めた。


「誰も何も言わないので、この劉嘉賓が言わせていただきますが、この旅は変ですよ。どうして馬も駱駝も騎乗するのに使わないのですか。宮廷への贈り物もあるから荷物だって多いのに、それを一部とはいえ人間が分担して背負って行くなんて。だったらその分、多めに馬や駱駝を連れて行けばいいですよね。いや、それだったら乗るための馬も連れて行けばいい。道が峻険で危険だからと言いますが、それは吐蕃の山の中に入ってからの話ですよね。だったら、せめて青海あたりまでは馬に乗っていってもいいじゃないですか。自分は今日一日自分の足で歩きずくめで疲れました。足の裏の皮が剥けているんじゃないでしょうか、痛くてたまらないです。あと、どうして四川の成都から吐蕃へ行かないのですか?」


 自ら劉嘉賓と名乗った無精髭の若者の言葉。その前半部分は、蒋師仁も軽く頷きながら聞いていた。が、後半に入ってからは頷くという軽い動きすら億劫になるような呆れる内容で、両耳を素通りして終南山まで飛んで行くような勢いで聞き流していた。


「それはただ単に、疲れた、って言っているだけでしょう。日頃の運動不足が原因ってことよね。どうしても旅が過酷でついて行けないって言うなら、私も無理について来いとは言えないわね。贈り物の荷物だけは残して、一人で長安に帰ってもいいわよ。その体力だったら、今から帰るのは大変だろうから明日にってことになるだろうけど」


 正使王玄策が冷静に言った。副使蒋師仁も同調した。


「王正使のおっしゃる通りですな。護衛の兵士でありながら、ここまでの始まったばかりの道のりだけで厳しいとか悲鳴をあげているようでは、この先の吐蕃や天竺までの過酷な旅にはついて行けませんな。使節団としてもあからさまな足手纏いは居てほしくないですし、本人としても故郷の唐から遥か離れた異国で息絶えて砂漠に骸を晒して鳥に啄まれるのは本意ではないでしょう。お互いのためにも、明日には一人で戻ってもらうというのに賛成です」


「劉嘉賓といったかしら。行きたいというのなら、一人で成都から吐蕃へ行ってもいいわよ。まだここからなら、一人でそちらへ進路変更も可能だし」


 徒歩での旅に疲れを訴えていた劉嘉賓は、喜ぶどころか逆にあからさまに焦燥の表情に変わった。


「いやいや戻れと言われても困ります。自分だって厳選された人材として選ばれて使節団に入っているのですから、王正使だって蒋副使だって、この劉嘉賓が居なくなると困るでしょう」


 どういうわけか胸を張って自分の有用性を主張する劉嘉賓。まるで雨を得て勢いよく鳴き出した蛙のようだ。


「仮に四〇人の兵士のうち、一人減って三九人になったとしても、一人当たりの荷物運びの重さと天幕張りなどの雑用の量が僅かに増加するだけで、使節団そのものとしては一人欠けたくらいでは頓挫することは無いだろうな。王正使もそう思いますよね」


「そうね。蒋師仁副使の言う通りだわ」


「待った待った。そもそも誤解があるようなので訂正しておきますが、自分は護衛の兵士ではありませんから」

「えっ?」


 王玄策は思わず一歩後退してしまった。

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