第7話 謎の黒ずくめ

 人よりも膂力に優れると恃む己に対するものよりも、一八歳の若き娘である王玄策に対しての方が、皇帝陛下の信頼が厚い事実。忸怩たる思いが胸に浮かび上がってくるのを抑えられない。そんな蒋師仁の目が、王玄策の背後に黒い影を捉えた。


「ん? 誰だあれは?」


 影ではない。影のように真っ黒ないでたちをした若い男だ。


 背格好は王玄策とほぼ同じくらいだろうか。だから大柄な蒋師仁よりは若干背が低いということになる。仏教の僧侶のようなゆったりとした衣装を纏っている。ただし色は不自然なほどに黒檀のような漆黒である。そのような真っ黒な僧衣というのがあるのだろうか? その上、黒い頭巾を被っていて、肌の色の青白さとの対比で全身が黒ずくめという印象がある。髭は生えておらず、王玄策よりも更に若い感じだ。


「あら? どうしたのかしら蒋副使。私の顔をじっと見つめて、何か顔に付いている?」

「……いえ、なんでもありません。なんでも」


 勘違いされた。

 蒋師仁が凝視していたのは、王玄策正使ではなく、その背後に控えている黒ずくめの若い男だ。


 僧侶のような格好をしているが、今回の使節団の中に僧侶が同行しているという話はあっただろうか? 僧侶でないならば、普通の兵士だろうか。それにしては、弓矢も槍も剣も持っていない様子だ。ゆったりした衣装を着用しているので、懐に小型の武器を潜めているのかもしれない。


 蒋師仁はこの使節団の副使ではあるが、この使節団のことについてさえ、分からないことだらけだ。


 使節団の随員の大部分は兵士だ。兵士の役割は、道中で使節団に対して敵対するような者や危険な野生動物から武力で身を護ることにある。それだけではなく、吐蕃やネパール、マガダ国や他の天竺の国々へ対する贈り物や旅において必要な物資を運搬すること、道中で野宿する際の天幕の準備や野生動物を狩っての調理など、全般的な雑用も含まれる。寧ろ多人数で雑用を分担することが主要な役割であるといえる。


 天竺までの長旅であるから、兵士たちは自身が動きやすい思い思いの服装をしている。仏僧の衣装に似た黒ずくめの格好を禁止されているわけではない。だが、闇夜に佇む鴉のごとき服装は、普通にしていれば目立たないものの、一度目についてしまうと気になって仕方ない。


 黒ずくめの若者は、王玄策の背後から黒髪の後ろ姿を一心不乱に見つめているようだ。あまりにも王正使ばかりを見過ぎていて、黒ずくめ自身が蒋師仁に見られていることにも気付いていない様子だ。


 ――この男、何者だろう? 王正使のことを熱心に見ているということは、不埒な思いを抱いている、なんてことはないだろうか?


 とはいえ、衆人環視の中で王正使に対して不埒な行動に及ぶ心配は無いだろう。気にし過ぎても益はないと考え、蒋師仁は深く考えないことにした。

 この旅を無事に進めるために、副使である蒋師仁が考えるべきことは他に多々あるのだ。些末事など切り捨てていかなければならない。


「さあ、蒋副使、出発しましょう!」

「……はい、ここで話していても進みませんね。行きましょう」


 副使の返事を待つでもなく、王玄策正使は歩き始めて、西へと向かい始めていた。そのすぐ後ろには、例の黒ずくめの若者が影のようについて行く。一歩遅れたが、蒋師仁も黒ずくめの後に続いて歩き出した。他の随行員たちも続いて歩き出す。今回の使節団は、馬や駱駝は人間の二倍ほどの数を連れているが、荷物を運搬する用途だ。人間は全員が徒歩であった。


 使節団が通る開遠門は、京師長安から西域への玄関である。つまり西域の諸国から来訪した使節が必ず通るので、西域から来た客をお迎えする場所でもある。なので、長安全体を囲繞する城郭はいまだに完成していないが、この場所に関しては立派な門楼が聳え立っている。瓦を葺いた屋根には角のような鴟尾が二本そそり立っていて、そこには本物の鴉がとまって羽根を休めていた。


 先頭に立って胸を張って歩く王玄策の後ろ髪が、風に揺れる。すぐ後ろに黒ずくめの若者が続き、その後ろに蒋師仁がついて行く……様々な不安を抱えながら。

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