第6話 初めてと二度目

 出発前の無駄話で時間を費やしている間に、日は高くなり、城郭の門で両脇に構える朱塗りの柱も鮮やかに輝きだし、青鎖の窓枠も光を受けて王玄策たち一行の旅立ちを送り出そうとしているかのようだった。


 だが、まだ長安の街から一歩も外に出ていないうちから、副使である蒋師仁には旅の前途の多難であることが心の重荷として、脚絆を巻いた足を鈍らせる。


 蒋師仁の気重さなどつゆ知らず、王玄策と髭が濃く顔が大きい劉仁楷は気軽な会話を続けていた。


「王正使。大船といえば、陸路で天竺に向かうのではなく、揚州か広州あたりから船に乗って行く方法もあるんじゃないですかね?」


「ああ、先日、どこだかの寺で会った彼岸という法師が、海路で天竺を目指して、釈尊が生まれ育った地に身を置いて仏の教えの真理に接してみたい、と言っていました。確かに仏法を求めて天竺に行くことが最大の目的なら、陸路よりも海路の方が疲れなくていいかもしれませんね。……船酔いしなければ、の話ですけど」


 水で口を湿し終えた王玄策は、小さく舌を出して唇を舐めた。


 朝露に濡れた牡丹の花のような艶っぽさのある唇だ。


「とはいっても私たちは、ただ真っ直ぐ天竺に行けばいいというものではありません。天竺国、というか天竺という地方にあるマガダ国に行くのが最大の目標ですが、天竺という地域にはマガダ国以外にも多くの国があることが分かっているのよ。それらの国もなるべく多く巡って見聞を広め、かつ、大唐帝国との友誼を深める、という大きく幅広い目標があるのよね。だから海路ってわけにはいかないと思います。ちょっとした思いつきの質問に真剣勝負で回答しちゃって申し訳ないですけど」


 蒋師仁もまた、自分の腰に提げた瓢箪からほんの一口水を飲んだ。


 水を飲みたかったわけではなく、瓢箪の中に水が入っているかどうかを確認したかっただけだ。


「それに、私たちは、途中で吐蕃国とネパール国にも寄って修好に努めなければなりません。だからやっぱり海路というのは無理なのよねえ。かてて加えて、私としては、皇帝陛下から極秘任務も請け負っていて、それが天竺のどこに行けば見つかるかは現時点では不透明だけど、どう考えても海上で見つけられるような性質のものじゃないから……」


 大胆な王玄策の言葉に驚いたのは副使の蒋師仁だ。


 副使を拝命してはいるが、皇帝直々の極秘任務など何も聞いていない。


 正使である王玄策だけが聞いているのだ。


「お、王正使。極秘任務の存在など、軽々しく口にしない方が良いのでは……」


「ああ、心配しなくてもいいわよ蒋副使。極秘任務といっても、そんな大したことではないから。皇帝陛下個人的なこと、っていう意味であって、大唐帝国の機密に関することってわけじゃないから」


 長い黒髪を波のように揺らしながら、王玄策は軽い口調で言った。市場で甘い乾し棗を食べて美味しかった、といった日常会話をしているかのごときである。


 王玄策正使は軽く考えることが許されるだろうが、蒋師仁にとっては深刻なことである。

 任務の内容がどのような性質のものかは分からないものの、王正使だけが皇帝陛下から下命されたのだという。


 副使、という立派な肩書きはもらったものの、そこまで信頼されていないということなのだろうか。


 実績は乏しいとはいえ、騎射にせよ剣や槍を使うにせよ、並の兵士には劣らぬと自負している。


 二四歳という若さゆえ未熟であるとみなされているのか。


 しかし、若さをいうならば、王玄策正使は、蒋師仁よりも更に若い。


 一八歳だという。ということは、やはり経験の差なのだろうか。


 蒋師仁は、このたび初めて、天竺に行く。


 それに対して年下である王玄策が天竺に向かうのは、これが二度目だという。

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