10:NullNullモホロビチッチ不連続面

「ずれてますねぇ」


「え、やっぱりですか」


「ええ」


 ずれているというのは座標のことだ。最近はGPSなんて一般農家も使うしずれていると結構大問題だ。


「長周期歳差も計算に入れたんだろうな」


「もちろんじゃないですか、だからわざわざ計算し直したんでしょう」


 それはそうだ、でもじゃあなんでズレるんだ。


 アメリカみたいな地平線まで畑が続く環境なら許されることもなくはないが、日本みたいな環境だと数cmでもずれてもらっては困る。しかも校庭ののライン引きや自動運転、屋根の修理、配達、なんでも使われるインフラなので最低仕様の半分の誤差に収めるくらいにしなければならない。それが30cmだと、衛星の不調じゃないのか。絶対おかしい。


 でもまあ課題は差し迫っているわけではなかった。座標のズレに規則性があったからだ。変化は場所に関係なく平均して北西に18cm、時間ではUTC協定世界時12時とUTC21時のあたりをピークにズレが大きくなっている。そして休日はさらに大きくなる。


 それをもとに修正スクリプトを書くとだいたい±5cmくらいの精度に収めることができた。それでもあまりに満足できるものではないが。


 私たちの部署は基本暇なので、こういう謎が現れると奈良公園の鹿にダンボールごと煎餅を投下した時のような熱狂状態になる。3人しかいないけど。でもそういう時はたいてい勘違いかプログラムのバグということですぐ落着するのが常だ、しかし今回はなかなか複雑そうな課題だったので3人の脳は今にもアクセラレーション・ブーストしそうになっていた。あまり大事になれば上に管轄が移って楽しめなくなるので慎重にやらなくてはならない。特に民生向けGPSなんかはすぐ危機管理課に移されるだろう。3人の静かな戦いが始まった。


 まず取り掛かったのが微小に振動する座標だった。基本南西-北東方向にしかズレが発生していない。


「日付ごとに方角の変化は無いですか」


「全くないですね、1点に向かっています」


 北海道と南西諸島の座標のズレ方向がわずかに違っていたので、ズレの延長線が交わる地点を調べると太平洋沖とアフリカのギニア湾辺りだった。


「これは完全にnullアイランドですね。ギニア湾に存在する架空の島です。地球表面の座標を示す時、「データ無し」を示したいなら緯度と経度の二つの値をnullで格納するのですが0で格納してしまっている典型的なミスです。」


 そう言えば先月にもnullアイランドにあまりに多くのオブジェクトが誤って格納されたために周辺地域もろともオーバーフローを起こして仮想上のギニア湾が一部消えたというニュースがあった。そのころ丁度ギニア湾を飛んでいた飛行機と連絡が取れなくなって大変だったらしい。


「でもなぜ座標がずれるのでしょうか」


 情報重力というワードが頭をよぎった。単位空間あたり状態の変化量が極度に大きくなるとクラッシュを防ぐため時間の進行速度に影響を与えるという仮説だ。この宇宙がコンピューターシュミレーションだったとして、その処理落ちに当たる現象と考えればわかりやすい。1箇所にオブジェクトを集めすぎると処理落ちが起こる。最新の例としては量子コンピュータが原因不明のクロックラビ周波数不調を起こすことがあって、これはイベントが時間軸に密集したことによる情報重力が原因だとされている。ムーアの法則の新たな敵だ。


「でも宇宙全体の進行速度が遅くなれば私たちには時間の進行速度が変化したことを実証しようがなくないですか?」


「多分この宇宙を動かしている演算装置は沢山の小さな演算装置の集合体だからなのだろう。ある空間を担当している演算装置が処理落ちしても他の演算装置に即座に時間調整が入るわけではなく代わりに応急処置としてその空間の時間の進行速度が遅らせられる。それが情報重力の正体だ。厳密にはには様々な座標系のとり方があるのでもうちょっと複雑だけど」


 GPSの原理は相対性理論のモデルに基づいて導かれる衛星と地上の時計のズレを計測することによって成り立っている。nullアイランドに過剰なオブジェクトが格納されて情報重力を生じることで時計にズレが生じ、座標のズレが起こっているらしかった。標準時の12時と21時にズレが大きくなるのは、そこが人口密集地にゴールデンタイムが訪れる時間帯だからだった。


 3人が謎を解決した余韻に浸っていると、上からパッチが送られてきた。本社はとっくに問題に気づいて対策に当たっていたようだった。所詮アカデミア崩れの我々に出来ることは限られているのか。そんな時に飛び込んできたのはnullアイランド実体化のニュースだった。私たちは即座にストリーミングニュースを開いた。


「なんということでしょう、前代未聞です!nullアイランドの放つ強力な情報重力が海底を隆起させて新島を形成しました。」


 興奮した語調でアナウンサーが現場の状況を解説していく。島の頂上には乗り上げた海洋気象ブイが見えた。ニュース画面の右下にはモザイクのかけられた英文タイトルあとがあった。


招かれた地質学者は「人類の規定した本初子午線が地形として地図上に現れる日が来るとは。」「実体化した世界の中心だ。受動的マグマ上昇の良いサンプルとなる。」とコメントしていた。


その後、nullアイランドは国際連合が管轄することになった。正しく位置情報を入力されなかった大量の無人機が不時着するようになったためだ。






🌋🌋🌋🌋🌋🌋🌋🌋どかーんどかーん

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