グリーズ・フェア・レディ

甘味亭太丸

第1話 灰色少女はどこへ行く?

 ――ところで、私はなぜ歩いているんだろうか?


 廃墟と化した大地を、少女は素足のまま、彷徨っていた。一体どれほどの時間をそう過ごしてきたのか、記憶もあいまいだ。


 白い柔肌、くりくりとした大きな瞳、灰色の髪はくすんでいて少女の姿を貧相なものに見せるが、それとは正反対に彼女が纏うのは白一色の薄いレースだった。

 とにかく、少女は彷徨っていた。


 それにお腹も減ってきたし、喉も乾いてきた。

 でも、平気だ。我慢できる。嘘、本当はお腹が減りすぎてくらくらしてきた。もう少し歩けば街があるらしい。それまでは頑張ろう。少女は小さな決心をした。


 見た目十歳程度の少女はただひたすらに、目的もなく、さまよっていた。

 もう、少女がどこから来たのか、それを知るすべは少女自身にも分からない。

 でも心配はいらない。

 だって、私は……


「にゅ……?」


 ふいに少女は、前方で大きな砂塵が吹き荒れているのを見つけた。

 それは十数メートルの大きなものだ。しかもどうやらこちらに向かってきている様子。

 少女はそれが自然現象によるものではないと理解した。あれは人為的に引き起こされているものだ。


 その証拠に、耳を澄ませばけたたましい爆音が轟いてくる。耳障りな獣のような雄叫びも聞こえてきた。

 だが、それ以上に巨大なのはきゅらきゅらと駆動音を響かせる無限軌道。それは巨大な戦車だった。

 少女がその存在に気が付いたと思った、その瞬間には、少女は取り囲まれていた。


 その巨大戦車はゆうに十メートルは超える。ただの戦車ではない。この砂漠がまだアスファルトとコンクリートで地盤を固めていた時代に使われていた主力兵器だ。


「はて?」


 それを見た瞬間、少女はその戦車がそういう代物だということを理解した。だが、少女にしてみればそんなもの見るのは初めてだったはずだ。

 でも、手に取るようにわかる。これは『エトランゼ』だ。


 少女が半ば放心状態で見上げる戦車はその構造を大きく変化させていた。車体両脇から展開されたマジックハンドには重機関砲が握りしめられ、車体中央には球体上のパーツがぎゅるぎゅると内部に搭載されたカメラを機動していた。そこからわずかに右にずれた部分にマウントされた長い砲身がぎらつく。


 その巨大戦車の周囲には無数の装甲ジープが付き従っていた。あちこちに派手な塗装ととげとげしい武装を施したジープの上には半裸の男たちが思い思いの武器を手に、少女を下卑た視線で眺めていた。


「おい見ろよ。ガキだぜ」

「んなもんみりゃわかんだよ。おい、こんなみすぼらしいガキのどこが獲物なんだよ!」


 まず初めに口を開いたのはジープに乗る男たちだった。ナイフを片手で弄びながら、二人の男は少女の見定めて、そして巨大戦車の方を振り向いた。

 がなり声がうるさいし、ジープのエンジン音もうるさい。ついでに男たちの顔もうるさいし、さっきから無駄に繰り返す重火器のシリンダー回しもうるさかった。


『知るかよ。こっちは金属反応をたどってんだ。間違いねぇよ』


 巨大戦車からも男の声が聞こえた。


「……」


 が、そんなことは少女にしてみればどうでもいいことだった。

 男たちのくだらない争いをしり目に、少女はそそくさとその場から立ち去ろうとする。うるさくてかなわない。こんな場所にずっと居座りたい人なんているんだろうか。

 だが、その瞬間、パンっと乾いた音が少女の足元に炸裂した。


「わっ……!」


 思わず小さな悲鳴を上げる少女はぺたりとその場にへたり込んでしまう。少女の両足の間、砂に小さな穴が穿たれていた。命中こそしなかったが、狙いは確実に自分だ。

 少女は恐る恐る男たちの方を見上げると、集団の一人が拳銃を構えていた。その銃口から伸びる硝煙を見れば、だいたいの事情は理解する。


 この人たちは、怖い人たちだ。


「なに持ったいねぇことしてんだよ、このグズ!」

「あ? 逃がしたらダメなんじゃねぇのか?」


 銃弾を撃ち込んだ男の頭を別の仲間が殴り飛ばす。そして口論。

 男たちは何事かをもめている。聞こえてくるのは「資源」だとか「燃料」だとか「部品」だとか……何にせよ、少女にしてみればいい迷惑だった。

 この人たちは怖いし、うるさい。

 だから、早くなんとかしないと。


『ん? おい、センサーになんか……』


 一方で巨大戦車に乗り込む男は、機体に装備された高感度センサーが反応を示している事に気が付いた。

 地中に、何かがいる。男はそれを仲間たちに伝えなければいけなかった。


 ゴンッ


 だが、それは叶わぬことだった。巨大戦車に乗り込む男の意識は、その変動を捉えた瞬間、鈍い金属の音と共に途絶えていたのだ。


「は?」


 今まで口論を続けていた男たちは自分たちの背後で響く金属のひしゃげる音へと振り向く。

 そこには車体をめちゃめちゃに引きちぎられた巨大戦車の姿があった。そして、それを確認したと同時に『巨大な鉄の拳』が男たちめがけて振り下ろされていた。


 ドドンと言う衝撃と共に砂が巻き上げられる。

 当然、少女もその風圧に巻き込まれるが、彼女は平然と、そこに立っていた。持ち上げられた砂が全身を打ち、暴風のような衝撃が伝わってきても、少女は平然とそこに立っていた。

 そして、無垢な笑みを浮かべていた。


「な、なんだ!」

「知るかよ、撃て、撃て!」


 巻き上がる砂塵の中で混乱する男たち。彼らは闇雲に重火器を放った。

 撃たなければヤバイ。そんな本能の叫びに従い、彼らはひたすらにトリガーを引いた。ある者はナイフを構えておびえていた。別の者はいつでもジープを発進させられるようにしていた。


 彼らから放たれる弾丸はたやすく人体をひき肉にする量であったが、そのどれもが甲高い音と共に弾かれていくのが分かる。

 しかし、男たちに分かるのはその音だけだ。何が、どうやって、銃弾をはじいているのかはわかなかった。いや、わかる前に、意識が途絶えていくのだ。

 その鉄の腕に潰されて。


 それはたった三秒の出来事だった。それだけで少女を取り囲んでいた集団は皆、地面の下に埋もれていた。

 変わりに、砂漠の上に出現したのは巨大な鉄の棺桶だった。何かが刻まれているわけでもない。ただ、その物体を表すには棺桶という表現が一番適していた。

 バタン、と棺桶の蓋が閉じる。


「うん、そうだね……先を進もう」


 少女はその棺桶を見上げると、一度だけ頷いて、全身にふりかかった砂をはらい、歩みを再開する。何事もなかったかのように、男たちの『残骸』の上を、素足で、進む。


「――撃て、うて、ウテ、ウゥゥゥゥ」


 騒いでいた男の残骸。頭の一つが足下に転がっていた。首からはバチバチと火花が散っていた。とめどなくあふれるオイルの異臭があたりに漂う。

 鉄くずと化した男たちは最後の言葉を繰り返していた。肌色の人工表皮は破れ、灰色の地肌を露出させながら、男たちの機能は停止する。

 彼らのは血の一滴、肉の一片も存在はしなかった。


 そんなものを踏むのは嫌だ。少女は壊れた人形たちを避けて歩いていく。

 鋼鉄の棺桶は少女が歩き始めると同時に再び地中に戻っていく。


「お腹減った……」


 少女は呟き空を見上げた。空だけは青かった。雲一つない快晴、照り付ける太陽の光は眩しかった。

 そして、少女は再び歩きだす。

 街に着いたらどんな食べ物があるかな。

 甘いものがあると嬉しいな。

 少女は、そうして、歩き続けた。


***


 あぁアリスよ。

 一人死した惑星の生まれ落ちた愛しい娘よ。

 ただ一人の肉なるものよ。お前に残された未来は既になく、お前を祝うものは既になく、お前を慈しむ全てのものはない。

 アリスよ。愛しい娘よ。それでもお前は生きるのだ。生きて、生きて、生き抜くのだ。

 もはやお前を抱き上げることは出来ずとも、私はお前を守ろう。

 お前が死ぬその時まで、私はお前を守り続けるとも。

 そして、共に死のう。

 アリスよ。この世界にただ一人生き残った人間よ。我が娘よ。

 生きてくれ。お前こそが、私の最後の……

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