さらば闇の光

レライエ

第1話そして光あった

 僕は生まれながらに何の特徴もなく生まれ、平均的な能力で平坦な道を平凡な終点へと歩く運命にあった。


 僕はそれを、大いなる神の大いなる手抜きと呼んでいる。この世で最も悪辣な感情である、【無関心】によって創られた――或いは創られ運命である。

 波乱万丈、そんなものは夢のまた夢。

 乗り越えるべき試練も克服すべき劣悪も、打ち克つべき邪悪すら存在しなかった。


 僕に愛を注ぎ、平均的な干渉と有りがちな無関心とで育てた両親。

 毎日似たような話題で飽きもせず盛り上がり、親友と呼べる者は居なくとも殊更憎み合うこともない、緩やかな共生関係にあった級友たち。

 怒りを露にすることもなく、道を譲ったり譲らなかったりする人々に囲まれ、ある時は共に笑い、またある時は笑われながら、僕を許容していた街。


 【特別】を造らない僕だから。

 【特別】にはけしてなれない。


 それが絶望だと気付いたのは、十二のある秋の日だった。

 そういう話ノンフィクションにありがちな、夜なんかじゃあない。ある秋の日にベッドで目覚めた僕は、かつてこの部屋を使っていた父のお陰で染み付いた、まみれの天井を見上げてふと、僕は絶望したのだ。

 僕は、何者にもなれないのだと。

 誰の特別にもなれず、互換可能な代用品として生きて死ぬだけなのだと。

 そんな絶望が、驚くほどに陳腐過ぎて、僕は僕に絶望したのだ。


 だから、僕は死ぬことにした。


 つい最近できた、この国で一番高い建造物の屋上の縁のフェンスの外に、僕は立っていた。

 足元には、何もない。

 遠く、遥か遠くには、僕がこれまでの安らかなぬるま湯じみた人生を過ごした街がある。そこには老若男女様々な人が生きていて、それぞれに悩みを持ったり持たなかったりしているのだろう。

 僕だって同じ。

 同じだから、僕は僕に価値が無いと決めたのだ。僕は、僕らしさに首を括られたのだ。


 普通の人生じゃあ駄目だ。

 他の誰かにできるような人生じゃあ、僕が僕である意味がない。

 殊更何があったわけでもなく、僕は証明のために空を飛ぶ。ここでの途中下車リタイアで、僕は特殊性を証明するのだ。

 さようなら、僕の回りの無害な人々。

 せめて、君らが有害だったなら。

 せめて――僕が有害だったなら。


 そんなわけで、さようなら。お先に失礼。





【下へ下へ下へ下へ下へ下へ下へ下へ下へ下へ下へ下へ】






「やあ、悪い子。調子はどうだい?」


 その声に、僕はいつの間にか閉じていた目を開いた。

 今、何をしていたんだっけ。ぼんやりと見上げた天井は、遥か彼方のアスファルト。


 そうだ。

 何故だか飛び降りた瞬間を忘れていたけれど、僕は、死ぬことにしたんだった。


 とすると、これは噂に聞く走馬灯という奴か。

 時間にすれば数秒の地上への旅は、どういうわけだかジリジリと、カタツムリのような愚鈍さで僕を運んでいた。


「何をしたのか覚えているかい、悪い子。どうしてこんなところにいるのだか、君の焦げかけた脳味噌は覚えているかな?」


 ……とすると、これは何だろうか。地面へ逆しまに走る僕の真横で、冗談みたいな美形の少年が、やれやれとばかりに肩を竦めているのは。


 軽くウェーブした髪は、粗悪な人工染料で染めたのとはまるで違う、黄金みたいな金色で。

 あどけない表情を浮かべるのは、日本人離れした彫りの深い顔立ち。真っ直ぐ僕を見詰める深い碧眼が際立つよう、肌は白すぎる白さである。

 身に纏っているのは、その肌が褪せるほどの純白。軽く風を孕んで波打つそれは、ゆったりとしたデザインのローブ。

 そして、何より冗談みたいなのは。

 


 中世の宗教画から飛び出してきたような、問答無用に天使みたいな存在が、僕の横を並走していた。


「もしもーし、聞いているかい?」


 そんな、異常に目を引く少年の見た目よりも、何故だかその声が妙に気になった。

 何度も何度も。

 飽きるほど聞いたような、けれども全く思い出せない美しい音色。

 清らかさの権化みたいな涼やかな音なのに、底意地の悪さが滲み出ている声。


「……?」

「いいや?」


 思わず口を突いて出た単語に、少年は上機嫌に顔をしかめた。


「それはまた、随分と失礼な呼び名じゃないか悪い子。これでまたしても、君の評価は下がったよ」


 まただ。

 言っている内容は不機嫌の表現で、顔に浮かぶのは不愉快を紹介しているのに、その声は、ただひたすらに楽しそうだ。

 僕の、少年が言うところの【焦げかけた脳味噌】がガンガンと、本当に焦げているように喚いている。

 その騒ぎは無意味だ。

 僕に言われるまでもない、僕は気付いている。

 こいつは――


 僕が、死んでまで証明しようとした特殊性を、当然のように享受する【特別】。

 非凡な終点に続く平坦でない道を歩まされる、平均から外れた能力の運命。

 大いなる神の、大いなる導き。

 丹精籠めて創られた、運命。


 求め続けた【特別】は声音だけは嬉しげに、僕を睨み付けている。


「仕方がないから説明するよ。君は、我が主人の逆鱗に触れた。命を粗末にしたのだからね、バチも当たるよそれは」

「……バチ?」

 開いた口は風圧を感じることもなく、言葉は地上にいたときと同じく流暢に流れた。「バチを与えに来たのですか、君は?」

「子供の敬語って気味悪いね、流石は君だ。君は悪い子だから、気味が悪い子なんだろうね」


 少年は、からかうように蔑みの眼差しで僕を見ている。


「君に悪口を言われるのが、バチなんですか?」

「そういうところが可愛くない。……まあいいや、このままじゃあ話も進まないし、本題に入るとしようか」

 そう言って、天使みたいな少年は、天使のような声で、悪魔みたいに笑った。「君には、

「……反省?」

「命を粗末にしたのが悪かったと、思い知って貰うのさ。……ところで君、?」

「……」

 悪魔、と答えようとして、僕は瞼を押さえる。ヒリヒリと、抗議するように瞳が痛んだ。「天使、ですか?」

「そうだね。神々しく輝く、光の使徒。天の住人、聖なる御遣い。君たち人間の遥か上位に存在する者だ」


 仰々しい言葉の羅列。

 その殆どを、僕は聞いていなかった。何故って、とにかく目が痛かったのだ。

 瞼を閉じて、両目を擦る。痛い、痛い。眼球が、痛くて


「我らは光。我らは天。ところで君、?」


 熱い、痛い、熱い、痛い、熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い熱い痛い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!


、それはそれとして、じゃあ早速バチを与えるよ?」

「っあああああっ!!??」


 閉じた上に両手で押さえた視界に広がる闇。

 そこに、容赦の無い光が広がって。

 僕は、そこに墜ちていった。

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