第二十話〜楽園

「どーしよっか、これ」


 早トンボを停止させて、レヴィーナさんが呟く。アデル少年は目頭を押さえて少し考える。


「サクリファイスの青白い光は健在。しかしマイケル・プラトンは敵との交戦を辞め、あの状況。そしてさっきのジュールの戦闘力。マイケル・プラトンがなんらかの方法で敵に寝返ったか操られているのは明白。サクリファイスは理力が尽きるか術者が倒れれば止められる。……が……」


 遠目に見ただけでも、マイケル・プラトンは血塗れので、左腕が潰れているのが解った。あの状況で平然と立っている時点で、精神的な支配も受けていると考えられる。


「……気絶、というのは、難しいかもしれません」


 すなわち、殺害。


「マイケル・プラトンを鹵獲ろかくするのが敵の作戦で、そのためにエリュマントスを囮に使っていた。北と東が陥落してなお北東部のみ無事だったのではなく、マイケル・プラトンを確実に生きて乗っ取るのが目的だったため戦闘が長引き、尚且つ防壁は既に陥落していたが、サクリファイスが健在だったせいで、戦闘中と勘違いしていたのだと仮定。だとすると、敵は巫女様を逃がさぬよう包囲網を崩さず、アウゲイアスとマイケル・プラトンがこのまま進行するというのが敵にとり最善策。その場合、他の防壁は陥落させず戦闘を継続させる事で、守護家を町から引き剥がしたままに出来る。──自陣防衛という名の足止めを喰らう事になる。ユーセー・タチカワとレヴィーナ・ラマウェイがここに居る。挑むべきか? 確実性に欠ける。蛮勇にしてもせめてもう一人欲しい。アウゲイアスにはあえて進行させて町の理法師達と戦っている間に他の守護家の戦闘を終わらせて増援にさせる? 遅い。それなら救出する守護家はひとつ。ならばどこ? 救出する手数は限られている。時間も手も不足。ならば……」


 恐ろしく早い独り言で、聞き取る事は殆ど出来なかった。僕には殆どがネガティブな言い分に聞こえたけれど、しかし、顔を上げたアデル少年の目には、炎が灯るかのように、絶望と希望と覚悟の色が宿っていた。


「レヴィーナ・ラマウェイ、そしてユーセー・タチカワ。あなた達の力を過信したい」


「おー、いーねいーね、いくらでも信じ過ぎちゃって」


 明るく言うレヴィーナさん。彼女ほど前向きには答えられないけれど、僕も頷いた。


「尽力します」


「では、レヴィーナ・ラマウェイ。僕に早トンボを貸して下さい。急ぎ町へ戻り、作戦の細部変更を伝えます。二人はあの軍と戦闘に入りつつ、深追いはせず、町と北西部の間は避けるように敵を誘導しながら撤退して欲しいのです。可能ですか」


 言われてハッとする。作戦では、巫女様をアルマの森へ隠す、となっていた。ということは、まさに今、巫女様を護衛している部隊がそちらへ移動中の可能性が高い。巫女様の部隊と敵の本隊が鉢合わせるのは最悪だ。


「わお、確かに無茶振り。でもやるよ」


「任せて下さい」


 やるしか無いのだ。レヴィーナさんの強さはまだ解らないけれど、この町で最強というなら、クラウディアさんよりも強いと考えても良いはずだ。最悪の場合──つまり僕とレヴィーナさんではあの軍に対抗出来なかった場合、レヴィーナさんをアレスに乗せ走らせ、僕は光の加護で撤退すれば逃げ切れる。こう言ってはなんだけれど、この場で守るべきアデル少年が先に逃げてくれるというのは、助かる。


「じゃあ、行くよ。早トンボ、アデルをよろしくね」


 言いながら早トンボを操り、地面に降りるレヴィーナさん。僕もそれに続くと、早トンボに乗ったままのアデル少年が最後に言った。


「二人とも──自らの生存を最優先に。町到着までに、敵の数が減っている必要はありません」


「はいはーい」「わかりました」


 そして飛び立つ早トンボ。それを見届け、平原から敵を睨む。


「町までは五キロちょっとくらいだから、真っ直ぐ走れば三十分くらいかな?」


 レヴィーナさんの説明を受けながら見据えた敵の軍は、空から見た感じとは大分違う。全貌が見えなくなるだけで、こうも不安を煽られるとは。少しずつこちらへにじり寄るその黒い大軍は、ずしんと重い空気を纏っている。


「やや東に曲がりながらだから、もうちょっと掛かるかな。それまでにアデル達が迎撃体制を整えてくれたら勝ちってね」


 言いつつも理法を展開する緑髪の少女は、口元に笑を含んだままだ。二人対数千という戦力差だというのに、負ける事は考えていないらしい。


「コンビネーションはどうしましょう。二人ですからあまり多くはありませんが、戦法としては僕が前衛で──」


「だいじょーぶ、タチカワは前衛で強いのと戦ってくれたら、私は全部で厄介なのと戦うから」


「え」


 それは戦法とは言えないのでは、と言いかけたけれど、レヴィーナさんの自信に満ち溢れた表情が、問題無いと告げている。


「自信家なんですね」


 関心したつもりで言ったが、それにはレヴィーナさんも苦笑した。


「自信なんてあったら、タチカワに救世のお願いなんてしてないかな。でもでも、私達は戦える。戦えるってことはね、まだここに希望があるって事なんだ」


 レヴィーナさんの手の上には、いつの間にかいくつもの虫の卵が乗っていた。本当に小さな無数の卵。いくつあるかなんて、想像も着かない。それらを優しく地面に置いて、その上に何かの粉末を振り撒きながら、彼女は続けた。


「それにね、タチカワ。ひとつ訂正がある。私達は二人じゃない。二人だけで戦うんじゃない。むしろ──」


 大量の卵が一斉に孵化する。幼虫は瞬く間に肥大化し、草原は黒光りする蠢きによって覆われた。


 蟻だ。


 成虫となって尚も未だに成長し、日本で見慣れたそれとは五倍はあるサイズとなる。


「──数なら、こっちに理があるんだよ」


 女王アリも混ざっていたらしく、増え続ける巨大な軍隊蟻。現段階でもう数百は蠢いていた。


「このまま待って、蟻と敵が戦闘を始めたら、タチカワはジュールの狙いを集めながら撤退して欲しい。他のやつらは、可能な限り私で足止めするから」


 言いながら、レヴィーナさんの理法は止まらない。地面に何かの種を撒いたかと思えば、一斉に芽が出て、美しい花が咲く。さらに何かの欠片を置いたかと思えばそこから数匹の蜂が這い出てきて、花の元へ飛んでいく。


 敵の大軍が迫る中、その蜂は花から蜜を集めて欠片の元へ戻り、欠片を大きくし、大きくなった欠片からまた蜂が出てくるというサイクルに繋がる。蜂が蜜を運ぶ度に花の数も増え、いくつもの花は徐々に花畑と呼べるものへと拡大していく。


「ここはもう私の楽園。私の聖地。私のアトリエ」


 手を広げ、尚も何かをばら撒くレヴィーナさん。その後ろに、どこからともなく飛んできた、人よりも二回りは大きい蟷螂カマキリが着地した。


「──私が守るべき戦場だよ」


 口元には笑みを絶やさないその美しい姿と、周りに創造された虫の楽園。いつの間にやら蝶や蛾も飛び交うその光景にゾッとした。


「人も運べて岩も砕ける黒天蟻こくてんあり。燃えるような感覚で敵をおいやる火炎蜂かえんばち。幻覚作用を持った鱗粉をばら撒くマヨイまよいが。花魁鈴虫ほどじゃないけど敵の攻撃を引き付けて、避けるのも隠れるのも上手い玉虫蝶々たまむしちょうちょ。おじいちゃん直伝の術で私が作ったオリジナルの切り裂き蟷螂かまきりことキリキリ。初手から大分、割とヤバめに気合い入れてみた」


「……は、はは……頼りになります」


 なるほど、口元の笑みは未だに健在の彼女こそが、所謂、この町の最強。まさに、一人で軍隊を作り上げてみせたわけだ。


 敵に最も近い蟻が戦闘を開始する。


 しかし既に、数での不利は無くなっていた。

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