第十九話〜アウゲイアス
早トンボで移動しながら、僕はアデル少年に聞いた。
「マイケルさんが使うという、その、サクリファイスという理法は、そんなに強力なんですか?」
隣接する北部と東部の防壁が突破され、完全包囲されているという、北東部のプラトン家。その状況下で未だに戦闘中というと、やはり相当の戦闘力を誇っているのだと思える。けれど、得体の知れない不安が胸をざわつかせていた。
「……強力なのは間違いありませんが、サクリファイスそのものが強力なのではありません」
と、重々しい口調でアデル少年は続けた。
「サクリファイスは、マイケル・プラトンの理法力を他者と共有する力です。マイケル・プラトンが味方と認識している者の理法力を強化する、というと簡単でしょうか。味方は少ない力で最大の理法を用いる事が出来るようになるので、マイケル・プラトン一人で強くなるわけではありません」
「なるほど。味方全体が強くなれるなら、確かに現状を保てるのも納得──」
「いえ、それが、プラトン家はマイケル・プラトンの指針で、他家と比べて戦力増強をあまり行っておらず、且つ、息子のケイト・プラトンの犯行により、祖父母は死去しています。なので、サクリファイスで戦力増強を行ったところで、そこまで──それこそ、三箇所分の集中砲火に耐え抜くだけの力があるとは思えないのです」
「……それって……というか、犯行……、ですか。この世界では、人が人を殺す事は殆ど無いと聞きましたが……」
ゾッとしない話だ。孫が祖父母を殺す、なんて話が、平然とされるなんて。
しかし、アデル少年は首を横に振る。
「アロースミスは代々人が良い。クラウディア・アロースミスから話を聞いたのでしょうが、彼女なら、『事情があっての人殺しは犯罪とは違う』と判断しても、おかしくない」
「と、言いますと……?」
「マイケル・プラトンの妻、エミー・プラトンは病気で亡くなっています。難病というんけではないものの、運悪く食糧難の時期に患ってしまい、ケイト・プラトン出産直後で体力も落ちており、病気に耐えられる体調ではありませんでした」
「…………」
今の日本ではあまり無いような話だけれど、そういえば授業で、江戸時代に流行った脚気という病気があったと、思い出した。当時は難病とされていて、薬は何も効かないけれど、種を明かせば栄養失調という、現代的に考えるとしょうもない病気だった。
「生活環境さえ潤沢であれば……と嘆いたマイケル・プラトンは、守護家に与えられる財力、権力を騎士の食事も農家のおかげ、という名目で、大半を生活環境の向上及び農家の優遇に用いたのです。その結果、他家とは大きな戦力差が生まれていました」
惜しい話だ。こんな言い方では何様かと思われてしまうかもしれないけれど、マイケルさんの行いは、とても正しいように思う。もし、過解の進行が今でさえ無ければ、間違いなく正解だったはずだ。
「他家からも、祖父母からも反対されたのは勿論です。味方していたのは、バインズ家とマクレーン家のみ。ただし、我がバインズ家は、城にも食料を回すように手引きされた上での賛同で、表面上のみの味方でした。マクレーン家は、良くも悪くも後先を考えないので、マイケル・プラトンの行いが善行に見えたのでしょう。マイケル・プラトンとプラトン家の祖父母は派閥となり、この町の大きな問題へと拡大しました」
それだけ聞くと、内戦のようなものを想像してしまう。けれど、事はそういう血なまぐさい感じでは無いらしい。
アデル少年は続けた。
「長い話し合いは意味を成さず、祖父母とマイケル・プラトンで決闘が執り行われました。その場では祖父母が勝利したのですが、その決闘に息子のケイト・プラトンが乱入。祖父母二人を殺害しました。──当時十一歳の少年でした」
「…………」
何かを言うべき場面では無いから、という言い訳は必要ないだろう。言葉が無かった。前の世界では、幼い子供の命なんて消耗品以下ですらあったし、戦場で多くの命を奪う改造人間と化す十歳児も居た。そういうのを見てきたけれど、嫌というほど見せられてきたけれど、それでも、そういう話は、胸が詰まる感覚になる。
「ケイト・プラトンは逮捕され今日まで城の監視下にありました。その時に乱入したちゃんとした動機は聞けていませんが、マイケル・プラトンの方針に賛同していたためでしょう。アロースミス家はどっちつかずだったと思いますが、だからこそ、その方針の入れ違いの顛末を、悪く語るような真似はしなかったのだと予想します」
確かに、クラウディアさんの人柄なら、決闘の末ならば犯罪ではないと言い出しても、違和感は無い。
「でもだから、プラトン家は本当は、そんなに強くないはずなんだよね。本当は」
逸れていた話を戻したのはレヴィーナさんだった。
「そうです、サクリファイスは、強い者と共に使う事でより効果を発揮します。なので、強い戦力を整えた蝶の羽化作戦では莫大な価値があった。しかし、弱い戦力の底上げのために使われてしまうと……」
言葉こそ濁したけれど、端的に言うと、勿体無い、ということだろう。
「でも実際、防壁北東部はまだ健在なんですよね」
完全包囲を健在と呼べるかはともかく、戦闘はまだ行われているはず。それは、事実上強い、ということなのではないだろうか。
しかし、アデル少年はまた首を横に振る。
「あの場では言いませんでしたが、この現状はおかしい」
「……おかしい?」
「はい。まず、東部、アントン家の陥落が早すぎたこと。アントン家は弱小ではありませんでした。アントン家が油断していたか、敵が戦力を多く置いていからか、定かではありませんが、なんにせよ早すぎました。そして、敵は進軍せず、南東へも行かず、北東部を包囲したんです」
『何か作戦がある、としか思えん動きじゃのう。とはいえ、自分達が孤立しないための王道とも思えるが』
鎧のままのアテナの呟きに、内心で頷く。
「そして、北部のフィンチ家が陥落した後も同じでした。北西部へは向かわず、北東部のプラトン家包囲へ加わった……そして、戦闘は今も継続中。プラトン家はそこまで強くないはずなのに」
「敵が、プラトン家を脅威と判断したのでは?」
僕が問うと、それに応えたのはレヴィーナさんだった。
「敵が脅威に感じて潰しに掛かるなら、多分それこそ北西部に向かって、ラマウェイ家を挟み撃ちにしたと思うよー? 普通に考えたら、一番の脅威はやっぱりウチらだし」
「……えっと、ラマウェイ家は強過ぎるからと、後回しにしたとか……?」
「もしぼくが敵側なら、やはりラマウェイ家を包囲します。そして敵には、巫女様が居る町だからと大将のエリュマントスが中盤に出陣するという奇策を取る脳がある以上、やはり巫女様が逃げ込める場所を奪うべきだと、理解しているはずです」
「……でも、そうはなっていないですよね」
「はい。そもそもサクリファイスは時間制限付き。今躍起になって陥落させずとも、時間切れを待てば容易に落とせます」
「確かに何かを理由があっての行動にも見えますけれど、敵がサクリファイスの時間制限を知らないだけでは?」
「かもしれません。でも……」
アデル少年はどことも知れぬ前方を睨みながら言った。
「敵が無能かもと願うのは、こちらがあらゆる思考を尽くしてからでなければなりません。そうでないのなら、驕った怠慢です」
『おう、真理だな』『戦争には必要な危機管理じゃ』
アレスとアテナがやたら喜んでいた。これでも戦の神、ということだろう。でも……。
『策士策に溺れる、とも言うよね』
なんとなくだけれど、嫌な予感がしていた。
アテナが言う。
『それは策謀に慢心する事を言うのじゃ。驕らず気を引き締めてさえいれば問題は無かろう』
『なるほど……』
納得はした。したのだけれど……。
「近付いてきました」
アデル少年が告げる。
しかし。
「でも残念。戦闘が先みたいだねー」
早トンボを操るレヴィーナさんが、重々しい声音で言った。睨んだ先に、小さな影が見える。
「……人……が、飛んでるんですか……?」
「いいえ」
率直に見たままの疑問を投げかけると、アデル少年が否定した。
「……ジュールです」
高速で移動する早トンボ。向こうもこたらへ飛翔しているため、接近はすぐだった。
そいつは、まるで天使のような見た目をしていた。黒いから堕天使だろうか。鳥のような翼に、人影のような黒いシルエット。鎧を纏っているようにも見える。その手には、黒い大剣。
「捕まって!!」
レヴィーナさんが叫んだ。途端、距離はまだあるが、ジュールから炎の柱が伸びてきた。それを回避するため、早トンボが急転換する。莫大なGが身体に加わったせいで振り落とされそうになるが、かろうじて、アデル少年を庇う事にも成功した。
「余計なお世話でしたか?」
「……いえ、助かりました。ありがとうございます」
「無駄話してる暇はあんまり無いよー」
言いながら、レヴィーナさんが手元から何かを取り出し、横に飛ばした。すぐに落下を初めながら、それは猛々しい鈴の音を奏でる。一瞬見えたのは、何かの虫のようだった。
ジュールはその虫に釣られるようにして、そちらへ炎を放つ。虫は瞬く間に燃えてしまったが、その隙にとレヴィーナさんは次の虫をジュールへと飛ばしていた。蜂のような虫達がジュールへと向かう。数匹はすぐさま切り落とされたが、数匹がジュールへと辿り着き、針を刺そうとした。けれど、ジュールの身体から放たれた衝撃波のようなものに吹き飛ばされてしまう。
隙を着いてジュールとすれ違おうとしていた早トンボもその衝撃波に呑まれ、空中で数回転して進行が止められた。
体勢を立て直している間にジュールが斬りかかってくる。避けるため、体勢も覚束無いままの早トンボは数メートル落下した。
早トンボのスピードならば、すれ違う事が出来ればそのまま置き去りに出来る。落下の勢いで飛び立ちジュールとの戦闘を回避しようと試みたが、既に回り込まれており、早トンボは進むべき方向とは垂直の方角へと空を駆けた。
何度か方向転換を試そうとした早トンボだったが、その度に放たれる炎の柱によって、思うようにいかない。
僕も光の剣でジュールの牽制をすべきなのかもしれないけれど、片手は自分が、もう片手はアデル少年が吹き飛ばされないよう押さえるのに使われていて、それも出来ない。完全にレヴィーナさん頼りだ。
レヴィーナさんはその回避行動中に何度か、鈴の音を鳴らす虫を落としている。ジュールはその度にそちらに気を取られているため、鈴の音の虫が居なければ攻撃を食らっていたであろう事が容易に想像出来た。
けれど、それでも振り切れない。
早トンボは早いけれど、三人の人間を乗せている。本来のスペックが活かしきれていないのかもしれない。
「キリがありません。僕がやつを倒します。レヴィーナさん、その虫を僕に分けて下さい。引き付けて戦います!」
「ん。だいじょーぶ、問題ないよー」
呑気に言いながら、レヴィーナさんはゆっくりと振り向く。その手には──大量の蛹が乗せられていた。もしかしたら繭かもしれない。
「間に合ったから」
その言葉と同時に、繭はありえない速度で羽化を始める。
「目を閉じて息を止めててね。これは割りとちょっとヤバいから」
言われるがままにしたから、その先どうなったか解らない。でも、身体に掛かるGの感覚からして、方向転換に成功した事だけは解った。
「振り切るから、スピード上げるよ!」
受ける風が一段と強くなる。アテナの鎧が無ければ潰されるんじゃないかとさえ思える勢いだけれど、アデル少年が無事な以上は平気なのだろう。普段高速移動する時は光の加護を使っているからか、加護を使っていない状態だと、速さの感覚が狂ってしまう。
「目、開けていいよ」
言われたままにすると、前方に防壁と敵の群れが見えた。後方を確認すると追撃は無く、置き去りにされたジュールがあらぬ方向へ攻撃している。
「マヨイ蛾。簡単にざっくり言うと、幻覚作用持ちの子かな」
なるほど、それは確かに、ちょっとヤバい。
あまり虫が好きではない僕からすると、ゾッとしない話だ。、
「希少な虫だから羽化させるのに時間掛かっちゃったし、
花魁鈴虫とは、多分さっき敵を引き付けてくれた虫たちの事だろう。
攻撃誘導と敵の幻惑ならば光の加護でも出来るけれど、今見ただけでも、その効果は比べ物にならない。
「しかしレヴィーナ。今のジュールは……」
不安げに、アデル少年が何かを確認する。
「うん、ちょーっとおかしかったというか、強いよね」
「はい。情報よりも早く、明らかに炎の攻撃を放ちすぎでした」
「だよねー……」
そして二人は沈黙する。沈黙して、前方を睨む。
想定よりも戦闘力の高い敵。それが意味する事など、僕には到底考えもつかない。そう割り切れたなら──自分がもっと馬鹿だったら良かったと後悔した。
こういう時の嫌な予感は、否が応でもよく当たる。
そして。
「……くそ……こう来ましたか……」
アデル少年が唇を噛む。
「さいあく……だね」
レヴィーナさんも悔しそうにしていた。
ということは、そういうことなのだろう。
壁を取り囲む無数の過解達。それらは既に戦闘を行っていなかった。
イーノス、アーバス、サーチェス、スーザー、ウディウムは飛んでリュウマンティス、チーギア。今まで見てきた過解達に加え、先程と同じ姿のジュールが数体。後方には黒竜のようなモノも一体飛んでいる。あれがパーパチュアかと思いかけたけれど、過解の大軍の中に、抜きん出て巨大な牛のよう黒い何かが何十体も居た。あれも見た事の無い敵だ。
しかし、僕が聞いていた話では過解の種類は十種類。あの龍のようの何かと牛のような何かが別の過解だとしたら、全部で十一種類になってしまう。
さらに。
その過解の大軍の中心に、人影が見えた。戦っているのではなく、守られるような形で立ち尽くす人影。
「これは……どういう状況なんですか?」
聞くと、アデル少年は少し間を置いて、悔しそうに応えた。
「間に合わなかったということです」
レヴィーナさんが早トンボのペースを落としながら続いた。
「後ろの龍がパーパチュア。過解の戦力のひとつだね。そんであの大きな過解達は、過解の親玉の一種。エリュマントスの次の試練であるアウゲイアス」
新たなる親玉の出現。飛び出してきた情報は僕の予想よりももっと悪いものだった。
しかし、事態はそれだけに留まらない。
アデル少年が言った。
「──味方の戦闘力を底上げする能力『サクリファイス』。その使い手であるマイケル・プラトンが、敵に乗っ取られたようです」
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