第十八話~大甲殻虫ミザリア

 エリュマントスは確かに消滅したが、歓声が上がる事は無い。もしかしたら僕には聞こえない程度で喝采が上がっているかもしれないけれど、大将の首を落としたところで戦いが終わらないという以上は、まだ喜んではいられないのだと思う。


 それでも今の光の柱は、逆転の狼煙としては充分だろう。ここから一気にまくし立てる。怪我人達の避難はレヴィーナさん達がしてくれると思うから、僕はただ、愚直に切り込めば良いだけだ。そう覚悟を決めて、アレスを握り直す。


『気分はどうだよ、主様』


 飄々と、しかしどこか気分良さげにアレスが聞いてくる。


「……まだ解らないかな」


 良くも悪くもない。なにせ、僕はまだ、何も救えていない。


「……光よ」


 光の加護を発動。アテナを身にまとっているためそこまでの速度は出ないけれど、エリュマントスが塞いでいた防壁の割れ目に突っ込み、外の草原へ出る。


 そこは酷い有様だった。


 エリュマントス捕縛のために全神経を注ぎ、自らの防御へ捨てていたのだろう、殆どの人が横たわっていて、巨大なカタツムリのような敵がそこらじゅうで蠢いている。けれど無事な人達が居る理由も、すぐに解った。


 目を凝らさなければ視認するのも難しい速さで、誰かがカタツムリの甲羅を蹴り、それを薙ぎ倒す瞬間を見た。カタツムリの甲羅が硬いからか直接的なダメージは無さそうだが、それでも足止めには事足りていた。


 アデル少年が生存兵に指示を出しているのも確認出来た。数人が、動けない者を引き連れて撤退を始めている。


 この町で一番強いと聞かされていたレヴィーナさんの姿が見えないけれど、悠長に探している暇は無い。カタツムリを蹴った誰かに、すぐ加勢しなければ。


 でも、光の加護で加速してその人を追おうとしたけれど、その人のほうが早かった。素直に追い付く事は難しそうだ。


 だから僕は辺りを見渡す。そして、カタツムリの一体に丁度襲われそうな兵士を見つけ、すぐさまそちらへ駆け寄った。


 兵士を抱き抱え、数歩飛ぶ。カタツムリとの距離で、推定の安全マージンは取った。


「アレス。あれ、切れる?」


『切れる。が、どうせ弱点は甲羅ん中だ。届かねえ』


「なるほど」


 あの甲羅をどうするかが問題だ。下手に横着してアレスの切れ味を落としてしまえば、今後に支障が出る。光の剣も今なら十五本は出せるけれど、それだって出来れば温存しておきたい。なにせ、戦場ほここだけでは無いのだから。


『……一応言っておくがのぅ、我は鈍器では無いぞ?』


「……ごめんね?」


 思考がアテナにバレたらしい。冷たい口調で突っ込まれた。


 敵がどれだけ硬いか解らないけれど、それも結局、やってみなければ解らない硬度。一度は試さなければならない。


 兵士をその場に寝かせ、全力で地面を蹴る。数歩でカタツムリの横に回り込んで、勢いをつけ、全力で殴打した。


 硬さ勝負ではやや勝った。アテナはびくともしなかったけれど、カタツムリにはヒビが入る。しかし、力が足りなかったというか、工夫が足りなかった。致命的なダメージを与えるより先に、敵が横転してしまったのだ。


『反対から支える力が必要じゃのう』


 そうするとアテナの負担も大きくなると思うのだけれど……今の接触で、問題無しと判断したのだろう。


 残る問題は、その反対からの力だが…………。


 と、迷ったのは一瞬で、すぐさま僕の真横に、ズダン、と、何かが落下した。咄嗟に距離を取りながら視認すると、落下ではなく着地だったと気付く。


 女性だ。獣のような四つん這いの女性。年齢は不詳。クラウディアさんより少し上くらいに見えるけれど、筋肉質という意味でしっかりした体型のせいで、やっぱりよく解らない。解るのは、さっきカタツムリを蹴り倒したのが彼女だということだ。


「サーシャ・マクレーンだ。おまえは?」


 簡潔に名乗る女性。獣のような四つん這いから立ち直しながら僕に問うてくる。


「太刀川祐誠。異世界より召喚された者です」


 名乗りを返すと、サーシャさんは目を見開いて、微かに綻んだ。


「加勢してくれんのかい。さんきゅーな」


 そこでやっと、サーシャさんの呼吸が絶え絶えなのと、全身が汗だくな事に気付いた。きっと、エリュマントス捕縛に全力を注ぐ兵士達を、十体以上居るカタツムリからずっと守り続けていたのだろう。倒し切る事も出来ないが戦い続ける、というのは、前の世界で何度か経験したけれど、体力が底を着いても構っていられないため、かなりの心労だ。


『ゆーせーよ、こやつは使えるぞ』


 と、アテナが言った。頷いたのはアレスだ。


『だな。こいつと組めば、力を温存してクソ虫共を倒せる』


 クソ虫って……。


 でも、言いたい事は解った。


「サーシャさん、あのカタツムリ、あと何回蹴り倒せますか」


「カタツムリ……? ああ、リュウマンティスのことだね。望みの回数分だけ蹴り倒してみせるよ? それだけが取り柄だかんね」


 息を切らしながらも屈託なく笑って、それだけで、蝶の羽化作戦に参加せずピンチの援軍へ赴く人だなぁと悟った。


『ふむ、こやつ……』


 アテナが何かに気付いたらしい。


『どうしたの、アテナ』


 聞くと、アテナは意味ありげな沈黙の後にこう言った。


『……やたらエロいのぅ』


『色ボケ神様は黙っててもらっていい?』


 聞いた僕が馬鹿だった。


「僕が狙った敵を、僕のほうに倒して下さい。甲羅は僕が砕きます」


「……出来るのか?」


 サーシャさんは感嘆の息をもらして、すぐに首を横に振った。


「さっきのエリュマントスを倒した一撃。あれが君のっていうなら、疑う事はなんもない。あたしじゃ倒しきれない。託すよ。……リュウマンティスは体表面に毒持ってるから、それも気を付けといて」


「毒ですか。……解りました、任せてください」


 やり取りを終えると、サーシャさんは消えるような速度で僕から離れる。瞬間移動でもなんでもなく、純粋に走っている。僕みたいな光の加護の力みたいなものではなく、どうにも、純粋な脚力で走っているよう見えてしまう。


 僕はサーシャさんが数秒後に居そうな位置を予測し、そこから狙い易そうなリュウマンティスの側面で構えた。


 シンプル故に、簡単な戦法。


「アテナ、全面包囲」


『承った。……我は毒を浴びる事になるのじゃが……』


「きつい?」


『むろん、解毒は問題無い。なんか汚そうなのが嫌じゃ』


「我慢してよ」


 まぁ、これでこそアテナと言えなくも無いのだけど。


 さて。


 サーシャさんが切り返して、こちらへ──僕のほうに居るリュウマンティスへ向かって来るのが見えた。倒れてくる敵に全力の殴打を見舞わすだけなのだから、外したら相当恥ずかしい。


 サーシャさんが敵を蹴る。同時に僕が敵へ突っ込む。


 単純だが、だからこそ強い衝突。アテナの硬度と、光の加速でも、一筋縄ではいかないリュウマンティスの防御力。けれど、破れないものではない。


 ビシ、と重みのある音と共にヒビが広がり、そこからヒビが細かくなれば、あとは脆い。リュウマンティス自身の重さが僕とアテナとサーシャさんの挟み撃ちに加担して、その甲殻は破られた。


 甲羅が破れればあとは脆い。とはいえ、肉を貫き、その後で反対側の殻も破るのは骨が折れる。僕は敵の肉に呑まれる前に後ずさった。


 すると、一筋の電撃が走り、甲羅の内側で迸った。


 肉の焼ける臭いと、断続的ながらも続く雷撃。振り向くと、アデル少年が集めたらしい数人の兵士が、アデル少年の指示の元、僕達がこじ開けた敵の急所に理法による攻撃を食らわせたようだった。


 兵士は誰もが満身創痍。それでも、苦痛に顔を歪めながらも、勝利の可能性にしがみつこうとしている。その一体感というべきか、執念というべか解らない何かが、どこか心地好くて、思わず頬が緩んだ。


 手を貸したくなる。助けたくなる。参戦して良かったって、なんとなくだけど感じられる。


「次行く!」


 サーシャさんが言う。


「はい!」


 僕が答え、移動する。


 あとはもう単純な作業だ。一体一体を確実に、同じ方法で倒していく。


 そして最後の一体が倒れたところで──次の敵が現れる。


 空を飛ぶ、鳥のような敵。くちばしの中では炎が燻っていた。


「……あの距離は」


 光の剣を使わざるを得ないのか、それとも跳躍のみで戦うかを考える。チーギア含めて、ジュールまであと三種類。強さは増していくという。能力は温存したいから、最初は危険でも跳躍で──と思考を巡らせていた時だった。


 全てを遮るように。心配の全てを打ち壊すに足るインパクトでもってそれは現れた。


 空飛ぶ敵、チーギア。数は二十は居る。その内の四羽を、強烈な音と共に、突如現れたそいつが空中のまま潰した。


 ただの体当たり。けれど、尋常ならざる物量での体当たりは、それだけで強力な攻撃であることは、エリュマントスが証明したばかりの事。今度はそれを、敵が味わう事になった。


 現れたのは金色の甲殻を持った巨大な虫だ。メスのカブトムシみたいな形をしていて、羽ばたくだけで木々を大きく揺らしながら草原に着地する。


『こいつは……愚直な力技で来たじゃねぇの』と関心するアレスに『いいや、これは力技ではない。力そのものじゃ』と、半ば呆れ気味のアテナ。


「ユーセー・タチカワ!」


 僕の元へ駆け寄るアデル少年。


「アデルさん、あれは?」


「この町が誇るラマウェイ家の懐刀がひとつ、大甲殻虫ミザリア。蝶の羽化作戦で必ず必要になるからと温存しておいて貰ったのですが……どうやら、レヴィーナ・ラマウェイが話を通して貸して貰ったようです」


 心なしか……いや、現状に正しく、アデル少年は喜んでいるようだった。さっきの体当たりも然り、飛べる事も含めて、頼りになる助っ人だ。


「サーシャ・マクレーンとレヴィーナ・ラマウェイ、それにミザリアが居れば、ここの危険度は下がりました。なので、差し出がましいようですが、敵に完全包囲されながらも奮戦中のプラトン家へ向かって頂きたいのです」


 少し考える。


 確かに、戦力としては満たされているほうだろう。過信してはいけないけれど、救うべき場所が多すぎる現状では、ここの優先度は限りなく低くなった。


「わかり──」


「待たれよ」


 答えかけたところで、誰かがそれを制した。後ろへ目をやると、立っていたのは鎧までボロボロのクラウディアさんだ。


「クラウディア・アロースミス。貴女はよくやりました。今は戦線離脱し、次へ備えて下さい」


 アデル少年はそう言うけれど、彼女の目を見れば、そんな言葉は無意味だと解りそうなものなのに。


「確かに、理力は尽きた。身体も打撲と捻挫だらけで、気力も危うい。しかし、レヴィーナ殿の計らいで、身体は動く。故に、参戦は可能だ」


 その計らいがなんなのかは解らないけれど、クラウディアさんは刀を掲げる事で、その事実を証明する。


 アデル少年は僅かな沈黙を置いた後に、ひとつ深呼吸をした。


「では、クラウディア・アロースミスに参戦要請を。戦力を再采配します。この場所の指揮権は引き続きクラウディア・アロースミスに。サーシャ・マクレーンとミザリアを主戦力として、この場所を防衛して下さい。南部ロットウィル家から増援に来ていた兵士は、急ぎ自分の持ち場へ戻って下さい。レヴィーナ・ラマウェイとユーセー・タチカワは、早トンボにて南へ。ぼくもそこに同乗します。防壁南部のマクレーン家は現状優先度は低いので、そのまま通過。続く南東部、東部が既に陥落しているため、滞在は不要です。敵主力を叩きつつ、反対に位置する北東部へ向かいます」


 名前が出過ぎてどこがどうなっているかよく覚えていないのだけれど、北東部というと、印象的な単語が聞こえてきたため、覚えていた。


「北東部というと、確か」


 僕が確認すると、アデル少年は頷いた。


「北東部を守護しているプラトン家は現在、北部、東部が陥落して完全包囲され、孤立無援ながらも奮闘中なんです。しかしマイケル・プラトンが使う固有理法サクリファイスは、自身を犠牲に味方の能力を底上げするもの。時間切れは間近のはずです」

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