第十七話~神核聖剣アレス
高さ全長百二十メートル。高さは五十メートル無いが、防壁の高さは最も高くて三十メートル。エリュマントスという化け物は、ただ立ちそびえるだけで、この世界の叡智のひとつとも言える防壁をゆうに嘲笑う。
今までの試練の流れから行くと、敵の中枢であるエリュマントスを倒しても、その他の過解が消える事は無いが、指揮系統を失うためか、動きは鈍るそうだ。
……という話を、やたら早くて大きなトンボに乗った状態で聞かされた。
「そそそそそそそそうううううななななんんんんでででですすすすかかかかか」
もう自分が何を言っているのか解らない。風で唇が震えるせいでまともに喋れやしないのだ。だというのに。
「うん。鈍る、というより、統率が取れなくなる感じ。それでもやっぱりかなーり強いし、ジュールなんかに至っては理法の職人数人で倒すっていうのはいつもだから、簡単じゃないどころか今まで勝てなかったんだけどねー」
どうしてこの状況下で、レヴィーナさんは普通に喋れるのだろうか。もしかしたらこれも、なんらかの訓練の形なのかもしれない。
「早トンボはほんっとに早いから! もー着くよ!」
楽しげに言うレヴィーナさん。そのトンボに乗っているのは、彼女と僕と、僕の中に居るアテナとアレス、そして、その後ろにアデル少年が居た。
曰く、作戦内容を伝える事さえ済ませれば、あとは父親がなんとかしてくれるため、アデル少年のほうは現場指揮に向かいたいとの事で、意見が変わったようだ。
「ジュールは数こそ少ないですが、機動性、移動範囲、攻撃力、防御力は、どれも今までの過解とは一線を画す強さです。今までは、ジュール、及びそこに至るまでの過解達によって防御陣営を破壊され、エリュマントスに蹂躙されるのみとなっていました。今回もそうであろうと高を括ってしまったのが、現状の根幹です」
「反省も大事だけど、今はそんな暇無いんじゃないかなー?」
「解っています」
レヴィーナさんに言われ、アデル少年は気を取り直して続ける。
「今までは、エリュマントスによる大胆ながらも強力な攻撃で事足りて居たものの、今回は違うということを、敵も理解しているのかもしれません。この町には巫女様が居る。そして、ぼくたちが巫女様をどこかに隠す事も想定して、敵は、小回りの効くジュールを最後に出すため、エリュマントスが自ら、中盤で突進した。そう考えるのが、無難でしょう」
「なるほど……」
小賢しい、と思えば小賢しいのだろうか。
けれど、きっと違うのだ。
そういう問題では無い。
そもそも戦争の無いこの世界に、作戦がどうのと言うほうが無茶なのかもしれない。人と人がほとんど荒争わないという理想郷のような環境は、しかし、強くなるきっかけが無いとも言えるのではないだろうか。
個人個人に強い人は居る。クラウディアさんはとても強かった。でもそれは、騎士の家に代々、そういう掟があったからだ。世界そのものが強いわけでは、きっと無かった。
それで言うと、僕が守れなかった世界はどうだったのだろう。きっと強かったのだと思う。強くなり過ぎてなんでも出来て、だからこそ秩序を失い、力はただの暴力と化した。
なら、僕が元々居た世界は?
強いのだろうか。弱いのだろうか。考える意味なんて無いのだけれど、なんとなく気になった。それはきっと、ほんの僅かな遊び心なんだと思う。暇潰しと言うには重すぎるけれど、それでも、今、僕は少しだけ、何年も久しぶりに、楽な気持ちとやらを、確かに感じている。
「……見えてきたぁ……」
流石のレヴィーナさんも緊張しているらしい。壊れた防壁と、その一部にある、赤黒い謎の歪な球体と、ひび割れたそれから顔を出して、今にも飛び出さんと暴れる黒い猪の姿。
まだかなりの距離があるのに、明確に見える。それほどの大きさ。声も聞こえそうだ。暴れ回る音も、聞こえている気がする。いや、これはただの風切り音か。なんにせよ、エリュマントスを閉じ込めている赤黒い球体が、もうもたないなんて事は、火を見るより明らかだった。
「アロースミス、頑張ったなぁ」
「そうですね」
レヴィーナさんとアデル少年が神妙につぶやく。そして、意を決したように、アデル少年がひとつ、深呼吸を置いた。
「では、足止めについての段取りですが」
「すみません、僕にやらせてください」
「……え」
話の腰を折るようで本当に申し訳無いのだけれど、なんというか、早く戦いたかった。
いや、ボクサー達みたいに、戦いが好きだからとか、そういうわけじゃない。今にも逃げ出したがっている自分を黙らせるために、さっさと最前列に立ちたかった。
「……大丈夫なんですか……?」
不安げに問うアデル少年。その疑問は最もだ。僕も僕の力を過信するつもりは無いけれど、少なくとも、信じなければならない力があることも、自覚している。
「少なくとも、すぐには死にません」
なんとか笑って答えると、アデル少年はすぐ、レヴィーナさんのほうを向いた。
「我々で、アロースミスの救出と、戦闘中の兵士の統率を行います。共に行動しましょう」
「りょーっかい」
さて。
「最後にひとつ。二人とも──僕とエリュマントスの直線上から、兵士を撤退させておいて下さい」
そう告げると、二人は無言で頷いた。
話し合いは終了した。もう、敵との距離は殆ど無い。
僕は空駆けるトンボの上で立ち上がって、雲にも届くのではと勘違いしてしまいそうな巨体を睨んだ。
ただデカいだけかもしれない。いやもしかしたら、魔王の誰かよりかは強いかもしれない。でもそういう不安は、戦ってみなければ解らないものだ。なのに、ずっと戦いから逃げていた。普通に逃げて、自分が確かに持っている力からも目を逸らそうとしていた。
その理由は、戦いたくなかった理由は、実際のところ一つでは無い。そのうちのいくつが本当で、いったいいくつが、戦わない事を正当化するために後付けした言い訳なのかも、自分で解っていない。でも確実に本当の理由の一部がある。
怖かった。ずっとずっと、本当は怖かった。でも、戦友が居て、希望があって、信じていればいつかって信じて戦ってきた。その盲信の末に辿り着いた場所で馬鹿を見て、痛い目を見て、現実を知って、怖いだけになっていた。
「アテナの封印を解除!」
この言葉を口にすれば、戦いが始まる事を実感してしまう。今ならまだ引き返せるのでは無いか。そんな逃げ道を塞ぐため、僕は巨大なトンボから飛び降りた。
『承った。世界との同調を開始──完了』
この言葉を聞けば、勝たねば何かを失う事になってしまう。数年間逃げ続けてきたその覚悟をもう一度抱くため、大きく息を吸い込んだ。
「アテナの神格化を確認。中期戦を想定し出力は八割。我を守る力として、ここに顕現せよ!!」
戦いから逃げたところで、何かを失う事に変わりは無いと知りつつ、見て見ぬ振りをした方がラクだという事実が、この期に及んでまだ僕を襲うのだ。
『出力指定の要請を受諾──
その白銀の鎧を身に纏ってしまえば、もはや普通では居られない。何かを守る者として、立ち上がらなければならない。
身にまとった鎧の重さで、着地した地面が砂塵を上げ、ひび割れる。僕は、最強の守る力と共に、強大な敵、エリュマントスと向かいあった。
しかし知っている。守るだけでは、いつか奪われる事も。だから。
「……アレスの封印を解除っ!」
だから、奪う力も持たねばならない。
『承った。代わりに、
この手に、その手に、赤と金が綯い交ぜになった色合いの光がまとわりつく。その光は力だ。弱き人々の希望となり、絶望にもなる力。これを振るう権利が、本当に僕にあるのか解らない。
「力の解放を許可する。逆転の狼煙を上げよう。出力は全開。道を切り開く力として……ここに顕現せよ!」
いや、きっと、アテナの言い分ではこの権利は誰しもが持っていて、それには必ず責任が付き纏うのだという。
『やや本気了解。──神核聖剣アレス、行くぞ』
そして現れる聖剣。黄金の刃に赤黒い柄。これは力だ。純粋な力。これによって誰かから何かを奪う事によって生じる責任。それを背負っていくという覚悟。
「初手から行くよ」
僕はアレスを上段に構えた。アレスは鼻で笑うと、
『敵は手負い。身動きも封じられてる。外したら、ブランクのせいだけじゃ済まねぇぜ、主様』
「…………そうだね」
怖くて震える手が、アレスにバレていた。そりゃそうだ、僕は……僕達はこの力で、前の世界を救えなかった。
また救えなかった時を思うと、立ち直れる気が微塵もしない。実際に、あれから数年経った今も、僕は立ち直れていないのだから。
でも。きっと今なんだ。
立ち上がるべきは今で、立ち直る好機は今しかない。
戦いの屈辱は戦いでしか晴らせない。
こんな憂さ晴らしみたいな力の乱用は間違えていて、生じた責任を背負えないかもしれない。
でも──進みたいと思ってしまったんだ。
「行け!! アレス!!!!」
振り下ろす刃。そして放たれる光の波動。
縦一閃に放たれたそれは地面を抉りながら進み肥大化し、放射状の軌跡を残しながらエリュマントスに迫る。
神の力。
戦神の一刀。
それは、影に光を突き刺したかのようにエリュマントスに切り掛かる。彼の者を囲んでいた赤黒い塊も砕け散り、頭を割かれながらも、エリュマントスは分断されまいと抗う。神の刃の行く手を阻む。
エリュマントスの咆哮と共に、その力は拮抗し、光の刃は進むのを止めた。だが、発生した膨大なエネルギーは霧散するにたる道連れを求める。進めなくなったエネルギーはその場で暴発し、エリュマントスを飲み込む光の柱と化した。
「二年分の利子付きみてぇなもんだ。豪勢な墓標だろう」
と、冗談めかしてアレスが言う。
本当にそうだ。
巻き起こる爆風に曝されて、髪や服どころか、アテナに守られていなければ僕ごと吹っ飛ばされていただろう。事実、鎧を着た兵士達が、何人か宙を舞っているのがチラついた。
そこに僅かな罪悪感はあったものの、今は、天まで届く光の柱を、ただ眺めていた。あれが墓標で、後世に形を残せるのなら、あらゆる世界のどんな偉人よりも立派なお墓だろう。
けれど、それは一時的なエネルギーの爆発に過ぎない。やり遂げたエネルギーは、あとは消えるのみ。
少しずつ、時間をかけて細くなる柱。
それが天に帰るように消えたところで、しっかりと見届けた。
エリュマントスは、確かに消滅していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます