第十六話〜過去を背負って

「……高台より報告です」


 巫女の間へ入ってきた騎士。その青ざめた顔色から、内容の善し悪しは聞かずとも解った。


「北部フィンチ家の防壁が突破され、北東部プラトン家は完全に孤立。同時にマイケル・プラトンの固有理法サクリファイスの発動を視認……羽役として合流することは不可能となりました」


 これで、現在は北部、東部、南西部の三箇所が陥落した事になる。アデル少年は青ざめた。


「……サクリファイスは、羽化作戦には不可欠な理法だから、ケイトを向かわせたというのに……」


 上手くいかない憤りは、それだけに留まらない。騎士は続けて言った。


「並びに、南部マクレーン家の羽役も一度は城へ向かっていたのですが、途中で進路を変え、エリュマントスと交戦中のアロースミス家へ援軍に赴いたようです」


「なにをばかなっ!」


 アデル少年が、悲鳴のような声を上げた。命令違反に継ぐ命令違反。指揮を任されている身としては、手足をもがれるような心持ちなんだろうと、なんとなく察した。


「……こんなんだから、ここまで追い込まれたんだ、この世界は…………」


 憎々しげに呟くアデル少年。しかし、それは憎悪というよりも、呆れというよりも、後悔に近いように聞こえる。


「……ぼく達が……どんな思いで……」


 そう唇を噛んで呟くアデル少年の姿は、同じくまだ子供の僕から見ても、その幼さに見合わない悲愴さを醸し出していた。きっと彼だって、見捨てたくなんて無かったんだと思う。悲痛の思いで立てた人類存亡を賭けた作戦だというのに誰も従わなければ、そうなるのも無理は無い。


「アデルの理が出した答えより、自分の感情が出した答えに従ったってだけでしょ。どうなるか解らない未来より、今を大事にしたいっていうのは、生き物として正しいんじゃない?」


 レヴィーナさんに言われて、アデル少年は天井を仰ぎ見る。


「…………理……ですか。なんて皮肉だ……」


 意味深に呟いて視線を僕へ向けるアデル少年。しかしその目は、諦観も懇願も写していない。何かを決意したような目。


「ユーセー・タチカワ様。急ぎ身支度を。貴方を帰還させ次第、次の作戦へ移行します」


「え」「アデル?」


 僕とレヴィーナさんが呆ける。


「……そうですね……仕方ありません……。私が躊躇ったせいで状況は悪化してしまいましたが、蝶の羽化作戦を──」


「──いえ、それはもう辞めです」


 ばっさりと、アデル少年は言い放った。


 そして、誰が反応するよりも先に、巫女の間で待機していた高台の騎士達へ告げる。


「バインズ家当主、ファルデリア・バインズへ急ぎ伝令を。現在羽役として待機している理法師達に協力要請。半分を市街地にて待ち伏せさせ、もう半分を、防壁守護家の撤退援護へ向かわせよ、と!」


「は!?」「バインズ様!?」「……正気ですか」


 騎士達が各々の反応を示し、実行に躊躇した。しかし、アデル少年はすぐさま切り返す。


「レヴィーナ。優秀な理法師を数人貴女に託し、特殊部隊を立てます。それでなんとしても、エリュマントスを一時間、足止めして下さい。レヴィーナ隊がエリュマントスを止めている間に、戦場を防壁から市街地へ移行。撤退のふりをして誘い込み、伏兵を用いて敵の追撃部隊を叩きます」


 口早に告げられる新しい作戦。


「りょーっかい。良い部隊を用意してねー」


 レヴィーナさんは聞くや否や、どこからともなく現れた小さなトンボの足に、何かを書いた羊皮紙を絡め、トンボを飛び立たせた。


「敵はここを本拠地と見て潰しに来ます。レヴィーナと同じくラマウェイ家のレルラとラルラを中心とした護衛部隊を立て、巫女様は急ぎ、アルマの森へ拠点を移して下さい。よりすぐりの理法師達とラマウェイ家と共に巫女様をお守りしなさい」


「りょ、了解!」


 一人の騎士が、慌てて立ち上がり、巫女の間を後にする。


「理法に戦闘力の伴わない者と、余っている刃を集めてぼくの元へ。この城に細工を施し、城そのものを武器にします。そして、このエリュマントスをこの城へ突進させ、この城と共に葬る!」


「すぐに集めて参ります!」


 もう一人の騎士が続いて出ていく。


 そして、最後に一人残った高台の騎士へ視線を向ける。


「……私はなにを」


 指示を待つ。


 アデル少年は真っ直ぐ答えた。


「父上に事の顛末の説明と、班分けの依頼を」


「……了解」


 そして、三人目の高台の騎士が巫女の間から出ていくと、アデル少年は少しよろめいて、しかし踏ん張って立ち直し、それでも心労からか、目頭を抑えた。


「良いのですか……私の我儘に付き合んせてしまって……」


 申し訳なさげにハーモニスさんが問うと、アデル少年は浅くため息を吐く。


「……この作戦、今思いついたものでは無いんですよ」


 答えはそれだけだった。僕にはよく解らなかったけれど、ハーモニスさんには通じる何かがあったらしい。ハーモニスさんは、余裕こそ無いけれど、微かな笑みをアデル少年に返した。


「ユーセー・タチカワを転送している間に準備を完遂します」


 気を取り直して、と僕へそう告げると、アデル少年はレヴィーナさんを見やった。


「レヴィーナ・ラマウェイ。エリュマントスを一時間足止めするのに、どれくらいの戦力が要りますか」


「優秀なの二人でとりあえず。おじいちゃんにもちょっとしたお願いしたし」


「解りました。すぐ選びますので、少々お待ちくだ」


「んー、適当に後から送って。アロースミスとマクレーンが気になるから、私は先に行くよ」


「ダメです。貴女という戦力に万が一があったら困ります。万全を期して下さい」


「アロースミスは見殺し?」


「…………貴女まで失うよりはマシです」


 そう言われ、レヴィーナさんは引き下がる。期待されている戦力なのだろう。


 そして、最適の役割を見出すための思考を開始するアデル少年。


 ハーモニスさんが僕に言う。


「バインズ家が班分けを終わらせる前に、異世界転生を実行します。人々への説明は私が致しますので、こちらへ」


 そして歩き出すハーモニスさん。


 それに着いていこうとして──何故か、足が動かなかった。


 良いのか、これで。


 僕は、アテナに『自分で選べ』と言われた。過去に縋らず、過去を言い訳にせず、今の選択をしろ、と。


 こんな流れに身を任せたままで良いのか?


「これで良いのかよ、主様よ」


 狼姿のアレスが言う。


「傷はいつか癒える。辛さは時と共に薄れてく。だがな──敗北の屈辱だけは、戦いでしか拭えねぇんだぜ」


 その言葉に、いくつもの光景がフラッシュバックした。


 初めての異世界召喚で、実はウキウキしていた事。アテナとアレスにしごかれて辛かった修行の日々。圧倒的な力で戦いの中心に居る充足感。


 二度目の異世界召喚で、調子に乗っていた事。今はもう二度と会えない仲間達との冒険の日々。為す術もなく何度も敗北し、それでも時折なんとか掴み取った勝利に見出した小さな希望を、皆と祝福した切望感。


 僕にとって、全てが大切な時間だった。大切な人達と過ごした時間だった。その日々を、あの日々を──嫌な過去にしたまんまで、本当に良いのか?


 思い浮かべるヴィクトリアさんの顔。皆の顔。はっきりと思い出せる。でも、笑顔を思い出そうとすると、どうしても、最後の終わりを悟った表情がチラついてしまう。


 過去を変える事は出来ない。


 忘れたいその過去は、忘れたくない過去とセットだ。だから絶対忘れられない。きっと僕は、一生あの過去を背負って生きていくのだろう。


 なら、だとしたらせめて。


 過去の意味を変えてやるくらいしなきゃ、何も報われない。




「……僕が行きます」




 出口へ向かっていたハーモニスさんが立ち止まる。


「僕が、レヴィーナさんと一緒に、エリュマントスの足止めを請け負います」


 思考に集中していたアデル少年がこちらを向く。


「……良いの? 本当に、一緒に戦ってくれる?」


 レヴィーナさんが僕に問う。


「良いよね、アテナ、アレス」


「是非も無し、じゃ」「待ちくたびれたっつうの」


 僕の確認に、当然のように答えるアテナとアレス。


 だから僕は、真摯な目を向けるレヴィーナさんを見て、唖然とした目をしているアデル少年を見て、今にも泣き出しそうに目を潤ませているハーモニスさんを見て、はっきりと答えた。




「太刀川祐誠。これより、エリュマントス討伐及び、町の防衛に参戦します」

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