第十五話〜過去について。未来について。

『ようやく、人間らしい感情が聞けたのう』


 巫女の間に居る皆が唖然とする中、あたかもこうなる事を知っていたかのようにアテナが言った。


『それは、ハーモニスさんが、っていう話?』


 聞くと、アテナはあっけらかんと答えるのだ。



『…………』


 否が応でも合点してしまう。この町の人々は確かに、理に従う、という言い回しの元、個々人の感情を語っていないような気がする。といっても僕は、そんなに大勢と親密に話をしたわけではないけれど、人が優しいこの町は、綺麗事ばかりを述べていたような、そんな気がしてしまったのだ。


「お言葉ですが巫女様。既に手は尽くしました」


 とアデル少年が言う。その通りだ。この人達は、この町の人達は、自分達に出来る事はなんだってしたように思う。戦いへの備えも、きっとしてきたのだろう。


「そうですが……私は……」


 正論に縮こまるハーモニスさん。目が泳いでいるその様は、まるでありはしない解決法を探し求めているようで、あまりにも儚い。


「どうかご理解を。ぼく達に出来る事は、もうありません」


 理に触れ、理解するから理屈的になる。その理屈が生み出したものが諦めであろうと、理論上、受け入れなければならない。残酷であろうと、それが世界の摂理なのだから。


 しかし。


「──手は尽くした? そんなことはないと思うけどなー」


 あっけらかんと、その少女は言った。


 どこまでも明るい、快活な少女。緑の髪に彩られた桜のような唇が、その朗らかさに見合わない言葉を紡ぐ。


「カッコつけるのもうやめない? 私、付き合いきれないよ」


 口調は明るいままでありながら、その言葉は辛辣以外の何物でもない。


「パパとおじいちゃんが作戦に賛成したから大人しく従おうと思ってたけど、やめやめ。この町とか世界とか、もうどうでもいいかな」


「レヴィーナ、なにを言っているんです?」


 アデル少年がレヴィーナさんを睨む。でもレヴィーナさんはその鋭い視線を気にも止めず、怯えるハーモニスさんを一瞥してから、僕を見た。


「ねぇ、タチカワ。私に雇われてくれない?」


 自分の胸に手を当て、真っ直ぐに、レヴィーナさんは言う。


「世界を守るっていう大任が怖いなら、アルマの森だけで良い。一緒に戦ってくれたアカツキには、報酬として、私の全部は君のものだ」


「……なにを」


 あまりに突拍子もない提案に面食らった──と自覚しかけたその直前に、僕の中でアテナとアレスが反応する。


『ようやくかのぅ』『遅すぎんだろ』


 アテナとアレスはどこか楽しんでいるような、愉快げな口調だった。


「何を言ってるんですか、レヴィーナ! そんな交渉がありますか!?」


「交渉すらしない君達には着いていけないんだよ」


 激昴するアデル少年。しかしレヴィーナさんは、彼には目もくれずにそう吐き捨て、そして続ける。


「あらゆる生物は生きるために産まれてくる。どんなに過酷な環境にでも産まれて育って子孫を残す。生き方が醜い虫も沢山居るし、存在意義を見出すのが難しい植物も山ほどある。──それでも生きるために産まれてきた。なら生きるべきだ。死んでいい命なんてひとつも無い。汚くても惨めでも、生きる事に縋り付くべきだ」


 はきはきと喋るから快活に聞こえるけれど、口調はいつの間にか、おどけない、真摯なものへと変わっていた。


「虫は手足や羽をもがれても生きようとするのに、君達はかっこつけて理解した気になって諦めの道を選ぼうとしてる。生き物としてかっこ悪い」


 アデル少年は黙った。言いたい事がありそうな面持ちだけれど、何か思うところがあったのだと思う。


 さて、とレヴィーナさんが一歩、僕に近付く。


「交渉だよ、タチカワ。アルマの森を……ラマウェイ家のアトリエであり聖域で、生まれ育った大切な場所を一緒に守って欲しい。家族の大切な居場所を支えて欲しい。報酬に、私が持ってる、私を含む全ての資産、財産、権利をあげる。一生生活に困らないようにしよう。性の捌け口にしたって良いけど、それは理法を失う可能性があるから、戦いが終わってからにして欲しい。……どうかな」


「な!」『ふむ』『ほー』


 レヴィーナさんは僕の手を取り──自分の胸に押し当てた。


 柔らかい感触と体温が伝わってきて、思考が止まりそうになるほど、僕の体温が上昇する。それを悟られたくなくて振り解こうとしたけれど、強く握られた手は簡単には解けない。


「巫女様の前で何を不埒な! やめなさい、レヴィーナ!」


 もっともな怒鳴り声を上げるアデル少年。批判すべき点は他にも沢山あるだろうに、そこからなんだ、と、変に呆れてしまった。自分達の生存が関わっていながら、体裁から気にするのか、と。


「やめない。知啓の理って本当は大したものじゃ全然無いよねー、こんなことも解らないなんて」


 さも当然のように言うレヴィーナさんだが、その手は、握られている僕にしか解らない程に小さく震えて、心臓なのか胸にある脈なのかが、はち切れんばかりに激しく脈動している。


 顔に出さず、緊張しているようだった。


「何が解っていないというのでしょうか」


 何か含み有り気に、何か、何かを喉の奥に引っ込めて、瞑目して問うアデル少年。


 レヴィーナは答える。


「──。ってことだよ。君の父親が知啓の理に従って実行されたのが異世界人の召喚。でも、力はあるけど意思の無い人を召喚しちゃった。君達の知啓の理だけじゃない。なんにでも言える。。理屈じゃない。理由でも理論でも無い。蝶の羽化作戦は確かに合理的で論理的だ。でも違う。その理は間違えてる。理屈でも理論でもなく、それは間違えてるんだよ」


「…………」


 言われ、アデル少年は黙った。きっと思うところがあったのだと思う。それは多分、地球では当たり前の価値観なのだと思う。でもこの世界には、理という心の拠り所があったから、中々気付けない事だ。


「心がある以上はさ、理屈的とか合理的なだけじゃ、駄目なんじゃないの」


 勝てないから撤退の手を。より大切なものを守る手を。そんな単純な話では終わらないのだ。


 どうしたって、我儘が出てしまう。


 助けたい。


 救いたい。


 そういう自分勝手さが。


「だからお願いだ。アルマの森を……パパ達の居場所を守って」


 なんて。


 なんて自分勝手な人なんだろう。


 我儘で、なんて強い人なんだろう。


 でもこれなんだ。


 いつもそうだった。


 アテナとアレスに召喚された最初の世界。アテナとアレスの我儘が多量に含まれた召喚動機だったにも関わらず、僕は課せられた使命を全うしたいと思った。


 救えなかった二つ目の世界。どうしようもない状況をなんとかしてくれと言われ、最初は戸惑ったけれど、どうにも出来ないものをなんとかしようとする皆に当てられて、僕も世界救済に一枚噛みたいと思った。


 世界を救うとか、そんな高慢にも美しい言い訳をしたって、それらは誰かの我儘だった。


 世界を動かしてきたのはいつだって。


 僕を動かしてきたのはいつだって、しょうもない我儘だったんだ。


「レヴィーナ、無茶な事を言わないで下さい。それはあまりにも無責任です」


「…………」


「巫女様も、何か言って下さい」


 説得しろ、と、アデル少年はそんなつもりで言ったのだと思う。


 なのに。


 なのにハーモニスさんは、こう言った。


「私からも、お願いします」


 そう言って、頭を下げた。


「自分勝手なのは百も承知です。どうか……どうかこの世界をお助け下さい……いえ、今この時だけで構いません……民を……民を見捨てたくないのです!! 私に出来る事ならなんでもします!!」


 その目はとても真摯で──


『おう? 今なんでもって』


『アレスは黙ってて』


 ──空気を読まない神は静かにさせなければ、と思った。


『だがよぉ、主様。空気とか雰囲気とか俺はよく解んねぇから今まで口挟まなかったが、そんな深刻な状況か?』


 それでも静かにならず、アレスは僕にそんな愚問を投げ掛けた。


『深刻だよ。ひとつの世界が危機に晒されてる』


 当たり前の返答。しかし、それが愚答であったかのように、アレスは鼻を鳴らした。


『そりゃ、深刻じゃない問題も、諦めちまえば確かに深刻だよな』


 独り言のような呟き。けれどそれは確かに、僕の心の中で、僕に向けられた想いだった。


『……どこが深刻じゃないのさ』


 問うと、アレスは簡単に言ってのける。


『ここに力がある』


 それだけの言葉。それだけの物言い。しかしその論は、冗長に僕の有様を責め立てた。


『無いよ。僕は大切な人達が住む大切な世界を救えなかった。なのに、どの面下げて戦えって言うんだ。ヴィクトリアさんやエイナさん、シルヴィアを置いて逃げて生き延びた惨めな僕に、何が出来る……?』


『お前は戦える』


「戦えない!!!!」


 思わず声に出してしまった。心の中だけで留めるべき会話が、内に留めておけずに漏れ出す。そうしなければ破裂しそうだった。そして、心は言葉にする事で、音という有形の物質となる。


 もう、無かった事には出来ない。


「僕は弱いんだ! 大切な人達を守れなかった!! それなのにまかり間違えて次の世界を救ってみろ、じゃあなんで前の世界は守れなかったのかって、そう思うだろう!? 守れなかった世界の人達はどう思う!? 自分達は救ってくれなかったくせに、同じ力で違う世界は救って!! 納得出来るか!? 出来るわけが無いっ! して良いわけが無いんだよ!! なら! だったら最初から、僕には何かを救う力なんて無かったんだって!! 普通の人間でしかなかったんだって!! そういう事にしなきゃ、全部僕の力不足って事にしなきゃ、じゃあなんで前の世界は負けたんだって事になる……っ! 誰だって勝ちたかった……守りたいものを皆持って、必死に戦って……ただの運でしたとか、誰も悪くないだとか、そんな言葉じゃ納得出来ないんだよ!!!!」


 それが僕の全てだ。


 これが僕自身だ。


 解っている。これは僕の我儘。これこそが僕の我儘。


 だから僕は、普通の人間らしくなろうとして、普通の人であろうとした。


 考えてしまうんだ。前の世界で守れなかった人達が、次の世界でまた元気に戦う姿を見て、どう思うのかと。


 考えてしまうんだ。何がいけなかった。なんで駄目だったのかと。


 でも、数年考えても全然解らなかった。今でも、答えを出せる気がしない。こんな脆弱な僕に、自分の意志さえ守れない僕に、何かを救う資格があるか?


 そんなものは無い。


「僕には……戦う資格は無い……」


 静寂の巫女の間で、小さく呟いたはずのそれがコダマした気がした。本当は響いてすらいないのかもしれないけれも、自分で言ったセリフが、深く自分の胸に突き刺さる。


「そう……ですか……」


 ハーモニスさんが呟いて、力無く後ずさる。俯いてるのか閉じているのかも解らない視線。長い睫毛が脆く震える。僕はその光景を見ていられなくて目を背けた。


 そして。


「それは違うぞ、ゆーせーよ」


 唐突に、ではないのかもしれないけれど、アテナが僕の中から出てきて、顕現の副産物たる光も消えない内に言い放つ。


「戦う事には資格など要らん。何かのために戦う事は、誰しもが持つ当然の権利じゃ」


 僕より背の低いアテナは、殆ど俯いていた僕の視界に無理矢理入り込んで、きょとんとしているような、無表情で睨んでいるような、なんとも形容しがたい面持ちで僕と目を合わせる。


「アレスは魔神との戦いで一度死んでおるから、我がこの場の年長者。人生経験が豊富な戦いの女神から言わせて貰えば、たかだが一度の敗北では、全人類に与えられたを奪うには、ちと足りん。いや、戦う事は人類に限らず、あらゆる生命が持つ権利なんじゃよ。奪うため、守るため、食すため、弄ぶため、がため、己がため。戦う事に間違いなど無い。戦いそのものは罪では無い。あるのは勝敗であって善悪では無い。故にゆーせー、お主に戦う資格が無いなどという事は、断じて無い」


 得体の知れない、見た事のないアテナの瞳に吸い込まれてしまいそうで、僕は何歩か後ずさる。しかし、その度にアテナは距離を詰めてきた。


「資格の有無などという言い訳に縋らねば、自分の気持ちも言えぬのか? この緑髪の娘も巫女とやらも、今、この世界の話をしている。お主はなんの話をしている」


「……解ってる。ハーモニスさん達とヴィクトリアさん達は関係ない。同じテーブルに乗せて考えるべきじゃないって解ってる……。でも、今の僕を作ったのは過去の僕が通ってきた道だ。過去を見ない振りなんて、出来ない……」


「過去を見たって構わんじゃろう、それは思い出という名のお主の所有物じゃ、好きに扱えば良い。だがゆーせーよ、今は今の話をせんか。今と未来の話じゃ。過去どうだったからこうする、ではなく、今どうしたいかで語らなければ誠実では無い。こやつらにとっても、守れなかった世界の者達に対しても、お主の未来に対しても」


「……未来……。……未来……?」


 僕の未来。誰かの未来。漠然と考えてみる。でも、過去に囚われている僕には、それは少し難しすぎた。


 そういえばこの世界に来る直前も、進路の話をしなくちゃいけなくて、憂鬱だったっけ。


「今のお前がどうしたいか。それで未来を決めるべきじゃ」


「…………アテナは、僕にどうしろって言うんだ」


「自分で決めろと言うておる。お主の選択を、過去のせいにするな。過去に未来を決める力など無い。未来より大切な過去など、ひとつもありはせんのじゃから」


「…………無理だ」


 考えようにも、考え方が解らない。最初の世界では僕は幼くて、アレスとアテナに言われるがままで、なんだかそれが楽しかったから戦った。


 次の世界では、一つ目の世界を救えたからって調子に乗って、達成感に味をしめて、それで結局惨敗した。


 深くなんて考えてなかった。結局流されてばかりで、自分でなんて、本当は何も考えてなかったんだ。


「…………僕は、命を賭けてまでこの世界を救いたいとは思えない。でも、なんでかなぁ、救いたいと思えない、って理由だと、断ろうとも思えないんだ……」


『そいつはおそらく俺と同じだ』


 僕の気持ちに答えながら、今度はアレスが僕の中から出てきた。


「負けて悔しかった。それが、お前の本音じゃねぇのか」


 納得するのは早かった。


 そうだ、僕は悔しかった。世界を救えなかった無力さも、最後まで戦えなかった惨めさも、きっと全部が悔しかった。


 なら。


 だとしたら、僕の気持ちは。




「──負けたまんまじゃ、終われない」




 世界存続に関わる話だというのに、過去をとっぱらって見出した僕の感情は、そんな我儘なものだった。

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