第十四話~蝶の羽化作戦決行の合図

「高台より報告します!!」


 巫女の間へ駆け込んできた騎士が、慌しく片膝を着く。


「防壁南西部にて、エリュマントスの出陣、及び防壁の崩壊を視認! なんとか食い止めているようですが、時間の問題かと思われます!!」


 その場に居た騎士達と、巫女様と、アデル少年の表情を順に伺うと、誰もが俯き、目を閉じていた。


 誰も何も言えない中で、重苦しい沈黙だけが、皆の諦観という感情を饒舌に語っている。


「……巫女様、猶予はもう無くなりました。ご決断を」


 アデル少年が静かに告げる。しかし、ハーモニスさんの唇は弱々しく震えるだけで、言葉は出てきそうに無い。


「……羽役の回収はどうなっていますか」


 巫女様をおもんばかってか、アデル少年は話題を変え、騎士に問う。しかし騎士は首を横に振った。


「現在こちらへ向かっているラマウェイ家を除くと、回収出来ているのは防壁北部のフィンチ家次期当主と、南東部のニコラス家の娘のみです。陥落した防壁東部のアントン家は皆生死不明、アロースミス家は硬化によるエリュマントス捕縛が視認出来ているため生きているようですが、離脱は不可能と思われます。南部マクレーン家、北東部プラトン家、西部ロットウィル家は現在交戦中です!」


「……プラトン家には釈放した息子を送ったはずですが」


「おそらく、陥落した東部から流れてきた過解による挟撃に遭い、撤退が難しいのではないでしょうか」


 アデル少年は目頭を抑えた。僕が口を挟める状況では無いし、何を言えば良いかも解らないけれど、アデル少年の口が、音を出さずに「やはりか」と動いた気がして、気になってしまった。


「予測、していたんですか」


 問うと、少ししてからアデル少年が頷く。


「マクレーン家、プラトン家、ロットウィル家は、情に厚い人が多いので……」


 褒めているのだろうけれど、その口調は苦々しく、重い。それもそうだ。蝶の羽化作戦は決死で、捨て身で、無情な作戦と言える。現に、ハーモニスさんが決行の決断をし切れない程に。だからと言って反発する者が出てしまえば──作戦に加担せず、人道を貫く意思を見せる人が現れてしまえば、人々を切り捨てなければならないハーモニスさんの意思をさらに揺らす材料になる。


「巫女様、ご決断を」


 アデル少年は、さっきよりもさらに重々しい口調で告げる。付近の騎士達も、その合図を待っていた。顔を伏せ目を背ける者。唇を噛み無意味な血を流す者。おのが鎧を引っ掻き、その指を赤く染める者。皆が一様に何かを耐えていた。


「私は……」


 それでもハーモニスさんの口は重い。


「……巫女様」


 騎士の誰かが声を掛ける。それは意味のあるものではなく、ただ、本当にただ心配しただけの声音だった。


 そして。




「どーーーもーーーー、レヴィーナちゃん参上したよーーーー!」




 空気がぶち壊された。


 見ると、いかにも元気! な感じのショートヘアーをファサファサ靡かせながら、口元に笑みを浮かべた女性が、ズカズカとこちらへやってくる。


「巫女様、状況ってどんな感じ? どっか援軍要るなら行ってやれーっておじいちゃんに言われたんだよね。おやおや、もしかして君が噂の勇者くん? でもでも、世界救えるかもって呼ばれた割にはヒョロい……?? あ、そういえば昨日アルマの森に来てた?? 来てたよね、虫達から聞いたのと同じ感じだし。ていうか変な服装だし?」


 矢継ぎ早の話すもんだから、圧倒されてしまって何も言えない。


 困っていると、僕の中に入っているアテナが口を開いた。


『これはまた随分と空気の読めん娘っ子じゃのう』


『やめてアテナ、考えないようにしてたんだから』


 室内の空気を意にも止めない態度はさることながら、その瞳と髪の色が、地球ではありえない神秘的な緑をしていた事。顔立ちは幼さを残しながらも、スタイルは抜群に良い。……良い、というよりも、なんというか、大人の風格も兼ね備えているというか、


『やたらエロいな』


『直訳ありがとうアレス、でもわざとぼかしたんだから気遣って?』


 駄目だ、呆然としていると、シリアスな話に疲れちゃったアテナとアレスが遊び始める。というかもう今ぞ好機! とばかりにボケてこないで欲しい。


「レヴィーナ、無礼ですよ」


 呆れた様子でアデル少年が言うと、レヴィーナと呼ばれた少女は「たはは」と笑って、軽くステップして僕の眼前に。


『……胸が揺れるのぅ……』


『妬むんじゃねぇよ貧乳の処女神。これは人げでも特別製だろ』


『ちょっと顔を埋めてみたいので、顕現けんげんしても良いかの?』


『俺もだ。こいつはかなりの上玉だぜ』


『なんで許可すると思ったの? アレスとアテナは絶対に出てこないで』


『あの乳を独り占めする気かゆーせーよ!!』


『俺達にも寄越せって言ってんだよケチケチすんじゃねぇ!』


『そもそも僕のじゃないんだよ!! アレスもアテナもボケの機会だからってやりすぎだよ!?』


「どもども、私は生産輪廻の理に触れたラマウェイ家の現当主、トーマ・ラマウェイが第一子、レヴィーナ・ラマウェイ。よろしく」


 ニカッ、と快活に笑って、彼女は小首を傾げて僕の顔を覗き込んで来る。


「……ラマウェイ……?」


『……ほぉ?』


『こいつがこの町で最強ってやつか』


『温度差…………』


 彼女の名を知った途端に、おふざけモードは終了。


「僕は太刀川祐誠。他に名乗る事はありません」


「ん。まーまー固くならずに。クラウディアからちょっとやそっとの事は知らされてるから、詳細は言わなくていーよ。逆に私に聞きたいことは?」


「いえ、ありません」


「ん。じゃー自己紹介はしゅーりょー。……さて、巫女様……アデルでもいーや。状況は?」


「最悪ですね。アントン家、アロースミス家が陥落。回収出来た羽はフィンチ家とニコラス家のみ。異世界召喚のため集まって頂いた理法師達が居るので、辛うじて蝶の羽化作戦が実行可能、といった具合です」


「レルラとラルラは羽役のとこに届けてきたから、参加出来るのは三家だね。私はどうしたらいい?」


「あなたという戦力は失いたくありませんので、このまま作戦に参加して頂けると助かります」


「ふーん、そ」


 テンションが高い割に、レヴィーナさんは存外あっさりと、それを受け入れた様子だった。


「じゃー、どーするの、巫女様?」


 レヴィーナさんはハーモニスさんに問う。そして、その場の視線は再びハーモニスさんに集まる。


 未だに決心が着かないハーモニスさんに、アデル少年が進言する。


。やれる事はもうありません。巫女様、どうか、ご英断のほどを」


 その言葉に、ハーモニスさんは目を閉ざし、一度の深呼吸を置いて、意を決して言葉を紡いだ。


「私はこの世界に、死んで良い人間など、一人も居ないと考えます」


 一言一言に魂を込めるように、一音一音を強くはっきりと鳴らすハーモニスさん。それが悪あがきなのか覚悟なのかは、きっと最後まで聞かなければ解らない。


「陶器屋のナザリーおばあちゃんは、脚が不自由でも作る陶器は芸術的で、いつか赤ん坊も安心して使える陶器を作りたいと仰っていました。身体が弱く病気しがちなケビン君も、自分の経験を活かして、医者になるんだと教えてくれました」


 ひとつひとつ、目を閉じながら何かを思い浮かべるようにして言葉を並べていく。


「織物屋のダグラスさんは、今よりもっと性能とお洒落を両立させた服を作りたくて、身体の自由が効かなくなっても織物を続けているそうです」


 ぽつん、ぽつんと、彼女は今にも震えそうな声で、一人、また一人と、各々の人生を語る。掻い摘んではいるものの、それでもはっきりと解るのは、ハーモニスさんが、この町を愛していたということだ。


「彼らが……彼らが届かなかった未来を、必ず素晴らしい物にしてみせると誓って……」


 丁寧に続いていた言葉の羅列が途切れる。弱々しく震え、嗚咽を堪えようとするせいで声は内側に篭っている。


「これより……蝶の羽化作戦を…………」


 受け入れなければならない現実。切り捨てなければ前には進めない。そう知っているからこそだろう、彼女の瞳から涙が落ちる。


 実行します。


 その最後の一言が出ない。


「…………いやだ……」


 変わりに出てきたのは、そんな我儘だった。


「……巫女様?」


 アデル少年の表情が曇る。逆に、今までは何を考えているのか曖昧に揺れるだけだったハーモニスさんの面持ちが、明確に、明朗にその感情を語り始める。


「──私は、皆を見捨てたくありません!!」


 多分、それは当たり前の感情なんだと思う。


 それは必死の強がりで、現実を弁えない子供の我儘で、備えてきた全てを台無しにして世界を危機に曝すような横暴で──当たり前の切望だった。

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