第十二話〜この町で最強の攻撃

「申し訳ございませんでした」


 と、巫女様は深々と頭を下げた。


「や、やめて下さい。別に僕は、その、召喚された事には怒ってませんから!」


 慌てて頭を上げて貰おうとしたけれど、巫女様は頭を上げたまま続けた。


「この世界の勝手に巻き込もうとして、無関係の人に『命を賭けて欲しい』なんて、虫が良すぎました……。そのことに気付かず、召喚が成功した事に舞い上がって……」


 ずきり、と、胸におかしな感覚が湧き上がる。多分罪悪感なのだろうけれど、何故か他にもある気がした。怒りにも似た違和感。


「……大丈夫です、心中お察ししますので」


 そこはかとなく、吐き気のようなものを覚えた。大丈夫です。その言葉は、巫女様へ向けたものなのか、自分へ向けたものなのか、言った本人すら解っていない。


 覚えの無い感覚。知らない感情。比喩しようもなく曖昧で、けれど明確に湧き上がる何かが、徐々に強くなっていく。さっきからこの感情に色んな名前を付けているけれど、結局どれが正解なのか解らない。自責、罪悪感、怒り。悲しみにも似ている。


 この得体の知れない心の惨状が、少しずつ思考を鈍くしていく。


「……言い訳はしません。助けて頂ければ誰でも良かったのだと思います。。だからと、理に従った結果今の世界があるというのに、愚直に信じて依存して……思考を、止めていたのです。相手の迷惑も考えずに召喚するなど非常識。そんな当たり前の事にも気付かずに……」


 それはそうだ。確かにその通りだ。言葉だけ聞けば、これは正論なのだろう。


 けれど僕は、頷くことも、反論する事も出来なかった。その理由さえ、僕は解らない。


「……巫女様」


 解らないけれど、解らない事ばかりだけれど、そしてそれが何故かも解らないけれど、でもひとつだけ、確認しなければならない事がある気がした。知らぬが仏かもしれないけれど、解っていなければならない事がひとつ。


「はい、なんでしょうか」


 巫女様が頭を上げて、静かに問うてくる。


 だから僕は、見捨てるにしても知る義務のある事を尋ねた。


「──蝶の羽化作戦の概要を、教えてください」


 巫女様はしばし僕を見て、無表情のまま俯いて、弱々しく唇を噛んだ。


「……それは……」


 嫌な予感は既に的中してしまった。


 言いにくそうにする巫女様に変わって、アデル・バインズ少年が、僕の横に並んで言った。


「それはぼくから紹介させてください」


 蝶の羽化。未来へ飛び立つような印象の名前でありながら、フィックさんもアデル少年も、その名を語る際に、良い表情をしていなかった。そもそも、本当に希望のある作戦なら、異世界から他人を召喚する必要なんて無かったはずなんだ。


「蝶の羽化作戦。大別して、役の班と役の班に別れます」


 アデル少年は淡々と語る。しかし、心なしか、さっきまでよりもさらに、一言一言を噛み締めるような喋り方な気がした。そうやって紡がれた概要は、


「──サナギ役と避難の難しい民に囮と殿しんがりを任せ、ラマウェイ家の突破力を中心に、巫女様と民を羽役が護衛しながら北西部の包囲網を破り、北のウォーロッド山脈へ避難する作戦です」


 その概要は本当に、最後の悪あがきと言う他ない、最悪の内容だった。


 思わず目を閉じたその時、巫女の間の扉が慌ただしく開かれた。


「ご報告します!」


 入ってきたのは一人の騎士。その表情は険しく、良い報告では無い事なんて、聞かずとも解った。


「防壁東部陥落! 過解は町へ向かわず、北進しています!!」




 ⿴⿻⿸──⿴⿻⿸──⿴⿻⿸




 同刻。防壁南西部。


 クラウディア・アロースミスと数十人の騎士が氷の絨毯の上に立っていた。絨毯の下で地面を覆い尽くす黒い無機質な固形物から、目玉のような核を見つけ出し、それを魔法や武器で貫く。


 いくらかその作業を終えると黒い塊は霧散し、すぐに消えた。


 ウディウムが生産した毒液は無機物だ。クラウディアの理法は生物に直接干渉出来ないが、無機物ならば硬化出来る。それで毒液を固めた上で、配下の騎士が理法で放った水を硬化して氷にした。


 本来ならば『炭素の理』故に炭素の密度をコントロールし高度を変える理法だが、理法は別に、その他の事が全く出来ないわけではない。エネルギーの消費効率は極端に悪くなるが、クラウディアもやろうと思えば炎や水を出す事は可能なのだ。


「リュウマンティスには炎が有効だ。炎が得意でない者は下がれ」


 少し息を乱しながらも、クラウディアは自身も後退する。基本的には前面に出て、自らが中心となって戦うクラウディアだが、時には配下を信頼して任せる選択も出来る。そうしなければ最後まで保たないのだ。


 理法のエネルギーの塊を空気中に浮かべ、それを硬化し、蹴り、宙を走る。そうして防壁の上まで登り、見届ける。


「クラウディア嬢、水分補給を」


「グランチか。助かる」


 差し出された水筒の中身を一気に飲み干し、すぐに状況観察を再開する。


 死傷者は軽微だ。理法の相性を考慮し、事前にバインズ家と共に組み立てた戦略通りに事が進んでいる。しかしアロースミス家の執事であるフィックが戻ったら、彼に指揮を任せ、蝶の羽化作戦の羽役として、いつでも対応出来るようにしなければならない。騎士達にも短いスパンで休憩を与えているし、自分も休憩しているが、集中力を緩めて良いタイミングなど無い。


 リュウマンティスがこちらへ近付いてくるのが見える。


 それは巨大なカタツムリだ。


 スーザーより少し小さいサイズのカタツムリの群れが、ゆっくりとこちらへ向かう。


 拠点駐屯形の過解とでも言うべきか。ウディウムで相手の拠点を蹂躙じゅうりんした後、拠点奪還を阻止しようと居座る連中で、殻は固く、皮膚にはウディウム並の毒がある。


 その皮膚も殻と同様に防御力が高く、攻撃が貫通しない。雷も通さない性質のため、という戦法が、クラウディア達の取れる最大の有効手段だ。……と、バインズ家から提案されている。


「火力は出し過ぎるなよ。ここへ辿り着くまでにじっくり沸騰させてやれ」


 自分が蝶の羽としてこの場を離れる前に、可能な限り有利な状況にしておきたい。


 そう考えていたはずだった。


 だが、事態は想定を以上の悪化を示す。


「……クラウディア嬢……あれは……」


 偶然近くに居たグランチが、震えた声で言った。彼はを持っており、微弱だが、カンが鋭くなる能力がある。しかし、それが発揮されたわけでは無かった。


 それは巨大な猪だった。アーバスとは比べるのも馬鹿らしい。防壁など飛び越える事さえ出来るであろうサイズの化け物。一週間前から草原の向こうで佇んでいた過解の親玉。その名は──


「……エリュマントス……っ!!」


 何故今、ここに来るのか。そんな恨み言は後回しだ、と自分に言い聞かせる。その途方も無い強大な敵は、まさに今、全力でこの防壁へ突進してきているのだから。


「リュウマンティスの調理は後回しだ! 皆、合図と共に全力の理法を奴に食らわせろ!! ……グランチ、筒とダイヤを持ってきてくれ」


 捨て身の指示を出し、敵を見据える。偶然近くに居ただけのグランチに雑用を任せるのは気が引けたが、ここから離れるわけにはいかない。このままでは、十秒後にはこの壁が破壊される。


 地響きが鳴る。足元が揺れる中、クラウディアは細剣を振り上げる。


「放てえええええええええええええええ!!!!」


 指示と共に、皆が一斉に理法を放つ。炎、雷、水、謎の物体。あらゆる要素が絡み合う。


「硬化っっっっ!!!!」


 理法の渦がエリュマントスを包んだ瞬間、それに硬化の理法を掛ける。


 バキン!! と、衝撃波とも取れる音を立て固まった理法が、砕けたステンドグラスのように飛散する。スーザーであればあれで身動きを封じれたものの、エリュマントス相手では一瞬で砕けてしまう。


 しかし、それでも体勢を崩す事には成功した。


 エリュマントスはその巨人で横転し、地震のような揺らぎを発生させながら、慣性に従い滑る。五十メートルは離れていたはずだが、これで激突されては意味が無い。


「止まれ……止まれ、止まれぇええええええ!!」


 無様な悪あがきと知りつつ、クラウディアは草原の草木に硬化を掛け続ける。気付いた部下達も、余力など考慮せず理法を放つ。それでも、エリュマントスの重量を止められない。敵は進む。大地を揺らして進む。


「止まれぇえええええええええええ!!!!」


 残りは数メートルだった。


 激突は免れ、壁目前で、クラウディアの眼前で止まったエリュマントスは、のそりと起き上がる。


 壁の上に居るクラウディアと、大地に立つエリュマントスの目が合う。


 見下ろされるクラウディア。見下すエリュマントス。


 クラウディアは何も出来なくなってしまった。どうすべきか皆目検討の着かないのだ。切ってどうにかなる大きさでは無い。硬化も理法の爆炎も雷も効いていない。


 エリュマントスは何事も無かったかのように、クラウディアに背を向け、草原の向こうへと駆け出す。それだけで暴風が吹く。


 それだけで。ただそれだけで、今にも戦意を失いそうだった。だが解っている。敵が優しくて引いてくれたのでは無い。もう一度突進するために、距離を取ったのだ。


 どれくらい離れたか解らない。だが視認出来るところで引き返してくるエリュマントス。


「クラウディア嬢!!」


 そこへグランチと数人の偉丈夫が、人と同程度の大きさの鉄の筒と、顔より大きな麻袋を持ってやってくる。


「よくやった!!」


 急いで受け取るクラウディア。麻袋から取り出されたのは大きなダイヤモンドだ。


「みな、離れろぉおおおお!!」


 グランチが叫ぶ。


 クラウディアはダイヤモンドを鉄筒に入れ、穴の空いた方をエリュマントスに向ける。奴は既にこちらへ向かって爆走している。


「理法よ、に触れた私の願いを聞き届けよ」


 鉄筒から手を離すが、それは落ちる事なく、エリュマントスへ口を向けたまま浮いている。


 鉄筒が赤く染まる。焼けるような音を発する。事実、鉄筒の内側は熱に溶け始めていた。


「お父様の……そして、散っていた人々のかたき……」


 炭素の理によって、炭素の塊であるダイヤモンドを分解。炭素として安定していた原子核を不安定な状態にし、そして全神経を注ぎ空気中の酸素と窒素を操る。


 クラウディアは、理に触れたためその原理を知っている。


 偉丈夫数人で担ぎなんとか運べる鉄筒を容易く溶かす熱。それさえも副産物に過ぎない。


 この現象の名をクラウディアは技の名前でしか認識していないが、地球の言語ではそれを──核融合反応と呼ぶ。




「この世界の意地を喰らえ!! 化け物!!!!」




 この現象を用いた兵器を知らぬ者が、地球上に居るものか。


 真っ直ぐに放たれる衝撃波。それは本来衝撃波では無い。レーザーなどの熱線などでも無い。そんな生易しいものではない。




「──原子の矢メルトアロー!!」





 核爆発。




 アロースミス家の切り札。


 核爆発を緻密なコントロールで直線化したそれこそが、一度きりの、この町で最強の攻撃。


 その光は、その轟音は、過ぎた後の物全てをなぎ倒し、エリュマントスを貫いた。


 直撃では無かった。命中させるだけでも至難のコントロールなのだ。僅かにズレただけに済ませたのなら賞賛に値する。


 エリュマントスの顔の三分の一を消し飛ばし、右肩を貫いて後ろ脚まで貫通。生物であれば間違いなく必殺の致命傷。


 だが。


「……………………うそだ…………」


 おごりかもしれない。だが、退けるくらいは叶うと思っていた。




 





「うそだ…………」


 クラウディアの手が下へ向く。


 一度体勢を崩し突進のコースも逸れたエリュマントス。その隙にと数人の騎士が理法を放ち、すぐに全員が続いた。だが、力が尽きかけているからか、先程までの威力は無い。クラウディアも、しばらくは全力が出せそうにない。


 なにより、奥の手で、一度しか使えない大技で、アロースミス家最大で最後の足掻きで、ダメだったのだ。彼女を失意に突き落とすには十分過ぎた。


 止まらないエリュマントスが、防壁に迫る。クラウディアに迫る。迫る。迫る。迫る。


 止める手段はもう無い。




「……うそだ……………………」




 あとはもう、まるで子供がふすまをぶち破るかのように容易い。


 絶望の狼煙とでも言いたげな爆音を上げ、防壁南西部は陥落した。

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