第十一話~防壁の守護家

 同刻。防壁北東部。


「プラトン様、イーノスの殲滅を完了。アーバスの掃討。並びに、サーチェス。スーザーの足止め中で、す」


 若い騎士がそう言うと、大剣を背にした壮年の偉丈夫がウムと頷いた。


「被害状況は」


「軽微です。当初の計画通り、投石によるイーノスの殲滅、及びアーバスの突進力の妨害に成功しております。ただ、石を想定より多く消耗してしまいました」


「そうか。……投石隊は下がり、補充を急がせろ。チーギア戦に不可欠な存在だからな」


「はっ!」


 プラトンと呼ばれた男から離れていく若い騎士。プラトンは、どうしたものか、と、防壁の上から下を見る。若い騎士の言った通り、地面には大きな岩がいくつも転がっており、田園を無残な姿に変えていた。


「民草が丹精込めて育てた糧だというのに、勿体無い」


 これも作戦のため、と割り切らなければならないのは重々承知しているが、プラトンは騎士の中でも庶民派で知られている。豪勢な生活を好まず、強くなるための研究費用にするよりも、庶民の生活を補助する事を優先してきた。故に庶民から信頼されていたが、今となっては、それが正しかったのか解らない。


 大岩のおかげで、猪の形をした化け物、アーバスは攻めあぐね、影から騎士達が奇襲をかける。サーチェスの放つ熱線も、岩に隠れてやり過ごせる。


 だが、過解との戦いは相性が重要になる。というよりも、過解がそういう戦い方をしてくるのだ。あらゆる敵に対応出来るように、という攻め方をしてくる。


「チーギアに備え、石は温存。しなければ手詰まりになる。が、リュウマンティスに兵力削ぐにはウディウムに俺の力を使うのが妥当か。……スーザーは、兵達を信じるしか出来ないか。歯がゆいな」


 早々に指揮官が前線へ出る、というと、防壁南西部を守護するアロースミス家が脳裏を過ぎる。だが、プラトンの理法は連続使用に弱い。重要な場面以外は何もしない歯がゆさは、アロースミス家とラマウェイ家には到底理解できないものだろう。


 そんな葛藤を押し殺して自身の出陣を控えていたプラトンだったが、その背後に一人の青年が現れた。いや、美男子の顔をした女性かもしれない。と言いたくなるような青年だ。ただし、暗いアッシュの髪で顔の半分は影になっているため、あくまで雰囲気は、という話なのだが。


「オヤジ。ケイト・プラトン、今帰った」


「……やっと出所か、バカ息子」


「出所じゃない。戦果を条件に、一時的に解放されただけ」


「あーあーうるせぇうるせぇ。人殺して牢屋にぶち込まれたバカ息子の事なんて俺は知らん」


「丁寧に思い出してくれてありがとう。そんなことより状況は」


「悪くはないが良くもない。どこまで我慢出来るかの勝負になってるな」


 言いながら、プラトンとカイト──マイケル・プラトンとケイト・プラトンは下を見る。


「……畑、考慮しなよ」


「遠慮して勝てる相手では無いからな。容赦はしない」


 と口では言うが、実際はめちゃくちゃ容赦したかったのが本音だった。


「サーチェスの熱線は上手い具合に作戦通りで、被害は最小に留まっている。だが」


「攻撃力が足りない」


「……そうだ」


「スーザーまで保つの、これ」


「保たなければ負けるだけだ」


「ふーん」


 ケイトはそのまま数秒ほど下を眺める。猪の化け物アーバスはほぼ壊滅。サーチェスに対し、攻撃は避ける事が出来るが、反撃が効かないという泥仕合をしている。長引けばこちらは疲弊する。しかし相手に疲労という概念はおそらく無い。なるほど、これは我慢比べだ。


「オヤジ。参戦ついでに、バインズから言伝がある」


「聞くかどうかは、若造からか、ジジイからかに依るな」


 あっけらかんと答えるマイケルだが、神妙な面持ちが、冗談であると言外に伝えていた。


「クソジジィから。どうする」


「うわ、聞きたくないなー……。だが選択肢は無いんだろう?」


「無い」


 本気で嫌そうにするマイケルに、ケイトは淡白に答えた。


「……嫌な予感がするけど、なんだって?」


 恐る恐る尋ねるマイケル。


 返答は、なんでもないかのようにさらりと告げられる。


「蝶の羽化作戦の決行準備に移行する。ケイトにサナギを任せ、マイケルは蝶の羽に加担せよ、と」


「…………」


 マイケルは黙った。


 黙って、握っていた拳の力を強めた。


 その眼中には、防壁の下で死力を尽くす配下達が居る。たった今死んだ者が見えた。マイケルは彼の名を知っている。リーベ。二十二歳。騎士としては新米で技術は無く理法も戦闘に向かない物だったが、溢れんばかりの体力と度胸で先輩騎士達から可愛がられていた。


 そのリーベの元へ駆け寄り、死体を無残な姿にだけはしまいと、岩陰に隠した男が居た。ボンズ。三十歳。「お前は優しすぎて、騎士に向かない」と、各騎士団をたらいまわしにされた男だ。時に害獣にすら情けを掛けようとするのだから、彼のそれはもはや病気だ。


 知っている。


 知らない者など、配下の騎士団には居ない。


「オヤジ、これは命れ──」


「──断る」


 ケイトが何かを言いかけた所で、マイケルは強く、それを否定した。


 ケイトは僅かに戸惑ったが、すぐに嘆息し、頭を搔く。


「……あのな、オヤジ。これは、この世界が続くかの話。拒否は、人類への反逆と同じだ」


 その言葉に、マイケルはむしろ笑った。


「良いじゃないか、是非も無い。蝶の羽化作戦なんていうに参加するくらいなら、俺は最後までここで仲間達と共に戦い、民草のために戦ったという誇りと共に死のう。そう決めているんだ。羽の役割にはお前が加われ。俺は行かん」


「…………」


 それは、ケイトの予想の範疇ではあった。しかし、もう少し話し合いの余地があると思ったのだが、予想外だったのはケイト自身だった。


 交渉の手札はまだあるのだ。話し合おうと思えば、話し合いは続けられる。というのに。


「……息子が牢屋に入ってても、相変わらずの頑固オヤジだな」


 止めたいという気持ちが微塵も湧かないのだ。父親の性格を知っているとか、そういう問題では無いし、ケイトに父親並の愛国心があるわけでも無い。それでも、蝶の羽化作戦というものに賛同出来ない気持ちは同じだった。


「なら、親子揃って、戦後は牢屋か」


「……愚かな父ですまんな」


 その言葉に、今度はケイトが浅く笑った。


 笑って、そして猛々しく、背にしていた長槍を構える。


「愚かな息子には、お似合いだ」


 防壁の下、その向こうから、大きな足音が迫る。視認した先で、灰色の巨人が涎を垂らしながら疾走してこちらへ向かっていた。


「あいつは俺がやる。いいな」


 ケイトが言う。


「次のウディウムは任せろ。行け」


 マイケルが答える。


「同化の理に触れ、理法にならい俺に従え」


 呟きながら巨大な棍棒で大岩を薙ぎ払いながら猛進するその化け物を睨み、ケイトは防壁から飛んだ。近くの大岩に着地し、岩に何かを貼り付け、落下の衝撃をそのまま跳躍へと変換するように、また飛ぶ。それを五箇所の大岩で行い、最後にスーザーへ向けて、灰色の巨人へ向けて飛ぶ。


「ケイト様だ!! 巻き込まれたくないやつは下がれ!!」


 と、気付いた誰かが叫ぶ。


 よくやった、と、ケイトは内心で、誰とも知らない誰かを賞賛した。


 そして、投擲とうてきの構えに入る。


「我が血潮よ、同化せよ!!」


 同じくして、ケイトが着地し、何かを貼り付けた大岩達が連動して動き出す。


(狙うは一点。その心臓部)


 振り回される棍棒には目もくれず、その視界にはスーザーの胸だけが移る。


 ケイトは長槍をスーザーへ向けて放った。


 跳躍の慣性と投擲の威力が合わさり、それは猛スピードでスーザーの胸に突き刺さる。


 しかしスーザーはその程度では止まらない。怯みもせずに突き進む。


 しかし。


 しかし、ケイトの攻撃もその程度では終わらない。


 ケイトが大岩に貼り付けていたのは、自分の血で文字を書いた札だ。そして投擲した長槍にも血の呪文が刻まれている。ケイトは理法の力によって、その札と長槍を


 ケイトの理法による同化とは、同じ物質となる原理に働きかけ、それを理法によって増長させ、大岩と長槍を連結した同じ物質と見なされた。故に長槍に働いている慣性も大岩に働き──大岩達が、長槍と同じ速度でスーザーの胸へと飛んだ。


 大岩達はスーザーの胸元で衝突する。爆音を上げて砕け散り、辺りにその破片を撒き散らす。ケイトはすぐさま、飛ばさないでいた近くの大岩に隠れてやり過ごした。


 ある程度破片が落ち着いてから、大岩から姿を出し、それを見届ける。


 五つの大岩に潰されたスーザーは上半身を失い、下半身のみとなって地面に倒れ、霧散して消える、その光景を。


 しかし、勝利に浸る暇は無い。昨夜までの小手調べとは違い、既に本格的な戦争が始まっているのだ。次の敵が来る。


 むしろ、もうそこに居る。


 それは、突如として下から現れる。


 それは、半液状の黒い影。


 地面から湧き上がり、またたく間に触れた生物を飲み込んで行く。


 騎士達は既に大岩の上に避難している。


 それは、生物というよりも災害に近い。核となる目玉のような本体がどこかに居るのだが、そいつがこの有害な無機物を生み出し、溢れさせているのだ。


 ウディウム。


 本来なら、イーノス、アーバス、サーチェス、スーザーで敵の防御を破った後、拠点をとことこんまで荒らす役割を担った敵。無差別殺戮物質とでも称すればカッコイイだろうか。


 しかしこれは、マイケルと非常に相性の良い敵だった。


 防壁の下まで流れてきた黒いマグマに向け、マイケルは背中にあった大剣を──落とした。


 その大剣は確かに、マイケルが長年、害獣退治に使っていた大切なものだ。しかし、この時のため、このウディウムのためにあったと言っても過言では無い。


 それは、構造とか想いとかは関係なく、ただ一言。


「同化せよ」


 そう呟けば良い。


 プラトン家の同化は、生物と同化する域にはまだ誰も達していない。しかし、無機質同士を同化させる事は出来る。勿論無制限にでは無いが、マイケルが丹精込めて理法を編み込んだその大剣であれば、ある程度、どんな無機物とも同化出来る。


 故に。


 ウディウムの黒いマグマに飲み込まれ、溶けた大剣は、またたく間に黒いマグマと同じ物質という扱いになり、その結果、大剣は黒いマグマを引き連れ、溶かし、消えた。


 恐るべき速度で広がったはずの黒いマグマは、消えるのも一瞬だった。


「本体、見つけました!」「こちらにも!」


 本体の核を見つけた配下の騎士達が、迅速にそれを処理していく。被害は軽微。それもこれも、事前準備あってこそ。


「さて……ここからが正念場か」


 事前準備の限界がここだった。


 ここからは、正真正銘、血みどろの泥試合となる。

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