第十話〜開戦

 そこは、僕がこの世界で初めて見た場所だった。真ん中になんらかの陣があり、そこから広がるようにして数本の大きな柱がその空間を支えている。こう改めてみると、神々しくも仰々しいような、そんな印象を受けた。


 そして。


「ようこそ、巫女の間へ」


 その広間の上座にて、数段高くなった場所で、白い椅子に腰掛けている少女が言って、ゆっくりと立ち上がる。


「私はハーモニス・エル・シオン。この世界の巫女を勤める者です」


 恭しく一礼して、宝石を編んだかのような金髪が靡く。


 …………一礼?


「えっと、僕は、タチカワ・ユーセーです。何も勤めていないです」


『ボケのつもりか、ゆーせー。寒いぞ』


『いっぱいいっぱいなんだよ……』


 知らない人との連続の出会いと、この状況に。


 しかし巫女様は柔らかい微笑を浮かべ、口元を手で隠した。


「改まる必要はありませんわ。巫女なんてお飾りの称号で、実際は何もしていない怠け者ですから」


 似ていると。やはり思ってしまう。細かいところを言えばそんなに似ていないけれど、全体的に見て、やっぱり似ている。巫女と呼ばれる目前の少女、ハーモニスさんは。ヴィクトリアと。


「あまり時間も無いので、挨拶はほどほどにして……でも、どこからお話したら良いのでしょう……?」


 はて、と首を傾げる巫女様。助太刀をしたのはバインズ少年だった。


過解かげとは、数千年前から計三度出没している、この世界の脅威です。これを二度退けた先人達の文献に従い、今の世界は作られています。曰く、平和な世であっても騎士の家系を立て、力を磨け。曰く、世界で最も清き乙女を巫女とし、たてまつれ。曰く、過解にお帰り頂くためには、巫女ともう一人、理から外れた者が必要である」


 世界の根幹。すなわちルール。それを淡々と語るバインズ少年だが、その表情は僅かに曇っている。


「それらの文献が正しいか否かの確認は取れていませんが、取る事など不可能ですが、これがこの世界の有様です」


 微かな自虐を混ぜた口調。何かを察したのか、続きは巫女様が語った。


「過解は全てで十二の試練を立てており、ひとつを超えれば次、一つを超えれば次という風に現れます。そしてその強さは数を追う毎に強大になっていきます。今戦っているのは、四番目。──文献上では、あまり強くないそうなんです」


 僕は王の強さなんて知りはしないけれど。しかし、この世界が置かれている状況はよく解った。否が応でも気付かされた。


 敵は半分以上を残したまま、自分達は窮地に追いやられ、それこそ異世界召喚なんていう不確かなものに縋るほどに追い込まれた。だからだろうか。だから、町の人達はあんなにも寛容だったのだろうか。


 どうせ負けるから。どうせ死ぬから、勝てないから。持ってたって無駄だから。残しておくなんて出来ないから。


 だから諦めて。


 だから優しかったのか。


 この世界に来て、素晴らしいと感じたものまで歪んでいく。


 でも。


「……でも、あなた達にはまだ、蝶の羽化作戦があるじゃないですか」


 言うと、巫女様の表情が凍り付いた。


 忘れていたい物を叩きつけられたような、決して良い感情では無いとはっきり解るような表情で。


「…………え……と、ハーモニス、さん……?」


「そ、そう、そうなのです。なので、この世界の事はもう、心配しなくて、平気なのです。ですので、無関係のタチカワ様を巻き込まないため、元の世界に返してしまっても良いだろう、と、そういう事になったのです」


 と、明るい口調で巫女様は言う。だが、その口調が本物じゃないなんて事ははっきり解った。




 ⿴⿻⿸──⿴⿻⿸──⿴⿻⿸





 同刻。北東部アルマの森にて。


「おいおいトーマ。無粋な肉食植物共を下げろ。せっかく呼び出した大甲殻虫ミザリアが、ただの看板になってしまっているではないか」


「いえいえ、そう言わないでよ爺ちゃん。昨夜の襲撃で敵を食わせ過ぎて増えすぎちゃって、ほら、生態系バランス崩しかねないから消費しないと」


「おいおいトーマ、無闇に減らすのは理に反するぞ」


「いえいえ、生物とは時に無用な殺生を行うも理だよ、爺ちゃん。ていうか、なんならそのミザリアだって、戦闘用の品種改良が大量に行われた、理に反する存在でしょ。ていうかミザリアて名前が理に反してる」


「なにを馬鹿げた事を。これだから未熟な若者の馬鹿者はなっとらんのだ。見よ、この美しくも猛々しい外観を。素晴らしいじゃろうが」


「怖いわー、この人頭のネジが全部ぶっ飛んでるから怖いわー」


 などと二人の男が話しているのは木の上だった。


 そして木の下では、大量で多種に渡る植物がイーノスとアーバスを次から次へと食している。悲鳴こそ上がらないが、地獄絵図と呼ぶに相応しい、決して気分の良い光景では無い。


「またやってるねー、あの二人」


 こちらも木の上で、快活そうな少女が楽しげに言う。顔立ちこそ幼いが身体付きは大人よりも大人で、少女と称するのははばかられるが、実年齢上では少女だ。


「……いつものこと」「だいたいいつも通り」


 先の少女よりずっと幼い、こちらは見た目も声もちゃんと幼い少年と少女だ。登場人物は全て、緑系統の髪色をしている。血族者なのだ。


「飽きないのかなー、口喧嘩ばーっかしちゃってぇ」


「もし飽きたら」「とっくにやめてる」「きっと楽しんでる」「まちがいない」


「んー、でもここはおじいちゃんに引いてもらいたいかなー……。おじーーーーちゃーーーーーん!!」


 木の上から大人っぽいほうの少女が呼ぶと、さっきまで険しい表情をしていた年寄りの顔が唐突に緩む。


「なんじゃーーーー!?」


 一言でじじバカと解る声音だった。


「ミザリアはーー、蝶の羽化作戦にも、エリュマントス戦にも必要だからーー、今は温存してよーーーー!!」


「しかしのーー、ミザリア使わんとーー、ワシあんま活躍せんでのーーーー!!」


「ラスボスの美味しいとこーー、持ってけるからーーーー!!」


「おお、そうじゃな」


 唐突に素に返る年寄りは、ミザリアになんらかの指示を出し、地中に潜らせた。


「トーマ。植物も。下げて。サーチェス。来たよ」


 やたら区切って喋る女が、突然トーマの背後に現れる。


「いやいや、無理無理。もう根を張っちゃってるから。なんで下げれると思ったの」


「……使えない旦那」


「いやいやポルトさん!? なんで今俺を言葉で傷付ける必要があったの!?」


 戦闘中も元気な夫婦である。


「よーし、目立ちたがり屋のお馬鹿さん達が黙ったら、子供の時間だよーん。レリラ、梁花はりばな。ラルラ、桜薔薇さくらばら、よっろしくー」


「わかった」「よろしくする」


「ラルラ・ラマウェイ」「レリラ・ラマウェイ」「「生産輪廻の理に触れ、これより理法を願いたてまつる」」


 声を揃えて、二人はポケットから麻の袋を取り出した。その中には、彼らお手製の肥料と、花の種、並びに苗が入っている。


 彼らの理法は、その植物に必要な肥料と理法を用いる事で、本来要する歳月を省略し、草木を成らせるものだ。


「未熟じゃのう、レリラとラルラは」


「いえいえ爺さん、まさかレヴィーナと比べてやいないでしょうね。レリラもラルラもまだ子供だけど自慢の子供だから。将来超有望だから」


「いちいち食ってかかるのぅ、馬鹿息子のドラ息子め。てめーのイチモツバナナの木に変われ」


「残念ながら柔らかい事で有名なバナナの木からあの子達は産まれたんだよ爺ちゃん。悪いね、爺ちゃんの枯れ木より優秀で」


「貴様はミザリアの餌にしてやろぅかぁぁぉぉぁぁぉおおおおん!?!?」


「いやいや食虫植物のどでかいディナーをプレゼントしてくれるのかな、有り難いなぁぁぁぁぁあああ!!!!」


 いちいち煩い二人は閑話休題。


 桜薔薇は幹に棘の生えた桜で、その幹の伸ばし方が薔薇に似ているが、成るのは確かに桜という珍種の木だ。梁花は岩の上に成る植物で、硬いところへ小さい針のような種を落とし、そこに咲く。小さいため本来は攻撃に使えるものでは無いが、刺さった後に固くなりながら大きくなる際に、岩をも砕く圧をかける。鳥や虫に種を食べられないようにした結果の進化らしい。


 桜薔薇がサーチェスの足元に這い、動きを止める。熱線に焼かれていくが、木の成長とペースは互角。


 いつの間にか刺さっていた梁花が開花し、サーチェスの殻の一分を砕いた。


「後はよろしくね──火炎蜂」


 指揮を執っていた少女が、サーチェスの数の五倍ほどの蜂をどこからともなく呼び出し、放った。そいつらがサーチェスに付きまとい、それから、サーチェスが糸の切れた人形のように倒れていくまでに、そう時間は掛からなかった。


「さて、次はどーしよっかなー……チーギアまでは色々と温存したいしなぁ……」


「レヴィーナよーー、スーザーはひとつ、ワシのミザリアで倒すのはどうじゃーーーー!」


「天敵じゃん駄目だよ」


「え、ここに来てテンション低いのかえ孫よ……?」


 扱いがおざなりなおじいちゃんであった。



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