第九話〜罪の感情

「慌しくて申し訳ございません」


 馬車に乗り込んだ後、馬を操りながらフィックさんが言った。


 荷物を軽くするため、アレスとアテナは僕の中に入って貰っている。


「いえ、フィックさんは何も。この世界の人たちは、何も悪くないと思います」


「そう仰って頂けると幸いです。恨みを買ったのでは無いか、と怯える者も、召喚した中にはおりましたので」


「あー。いえ、僕は、そんなことは決して」


 誰も悪くない。誰が一番悪いかと言えば勿論敵で、次に悪いのが誰かと問われれば、きっとそこに入るのは僕だ。救えるかはともかく、貸せる力はあるくせに、何もせず見捨てようとしている。


 でも、仕方ないじゃないか。そこに義務は無い。僕にはなんの義務も責任も無い。


『ゆーせーよ、落ち着け。その自責には意味が無い』


『…………そうだね……』


 自責というより、言い訳だと思うのだけれど、まぁ、アテナから見たら自責だったのだろう。


「しかし、異世界の客人よ。どうかご安心くだされ。実は、突破口が見えたのでございます」


「え……ほんとですか!?」


 フィックさんの言葉に立ち上がりそうになって、しかし馬車の振動のせいで押し戻された。


「ええ。昨晩襲撃を受けたのはアロースミス家が守護する防壁南西部と、ラマウェイ家が守護するアルマの森付近の防壁北西部でした。そして、この町最強と謳われる理法を持つラマウェイ家の力は、過解に十分通用する事が解ったのです」


 その言葉に寄せて思い浮かべたのは、昨日のクラウディアさんの戦闘力と、戦闘力に関する話だ。


 サーチェス──アシナガグモのような化け物を、チーム戦と言えど圧倒していたクラウディアさん。騎士団含めれば戦闘力二位と言っていた。僕からすれば、あれで通用していたように思える。


 少なくとも、あれよりも強い人達が居るなら、別に僕がなんとかするまでも無かったのかもしれない。


『……のぅ、いつまで続ける気じゃ』


『なにが?』


『言い訳は見苦しいぞ』


『…………だよね』


 ふと、フィックさんが何かを呟いているのが聞こえた。


「ラマウェイ家が通用するのなら、この世界のまだどこかで、希望は託される」


 耳が良いせいで聞こえてしまった。それは独り言ですらない、祈りのような力が込められていた。


「……フィックさん?」


 多分、気付くべきでは無かったのだと思う。その年寄りの手が、小さく震えていた事には。


「あ、ああ、いえ、お気になさらず。なんとですな、貴方様を召喚する理を編み出した、を持つ家系の者が提唱していた作戦がありまして。ラマウェイ家ありきの作戦だったのですが、それが実行可能となれば、希望が残るのです。『蝶の羽化作戦』と言いましてな。未来への希望そのものと言える名でしょう。ですので……これがあるので、もう、大丈夫なんです、この世界は」


 その言葉に、肩の力が抜けていくのを、自覚した。


「……そうですか」


 僕は呟く。


 安心した覚えは無い。それでも何故か、肩に力が入らなくなっていた。


 おかしい。


 何かがおかしい気がした。


 いや、多分おかしいのは僕のほうなんだ。だってこの世界の人達は良い人ばかりだ。自分が死と直面しているというのに、絶望的状況にあるというのに、それでも僕に無理強いをしようとしない。自分達に終わりが近付いているというのに、困っているからと言っただけで果物を分けてくれた町民達もそうだ。


 良い人ばかりで、優しくて、温かい。


 これが、この世界にあるもの。


 これが、この世界から奪われようとしているもの。


 暫くして、城というか、城下町というか、城への道をわざと複雑にするための住宅街を進む。


「…………人が殆ど居ませんね」


「そうですな。皆、近くの避難所へ逃げ終えたのでしょう」


「避難所?」


「習わしでしてな。何か異常事態があったら、近くの城壁を目指す事。城壁に異変があったら、避難所を目指す事。しきたりのようなものでございます」


「へぇ……避難訓練みたいなものですか」


 それが幸をなしたというのなら、素直に称賛すべきなのだと思う。


 でも。


「……避難しない人も、少なくないみたいですね」


 陶器屋の店先で座る老婆と目が合った。彼女は柔らかく微笑み、会釈をしてくる。フィックさんが手を振り返していた。


「ええ。…………きっと、避難するまでも無いと、我ら騎士団を信じてくれているのでしょう」


 そう呟くフィックさんの口調はやけに重々しいのに、まるで、まるで何かを諦めてしまったかのような、空っぽなツボを叩いてなんとか音を出したみたいな、軽い音に聞こえた。


 家の二階の窓から手を振ってくる少年が居た。屋根の上で垂れ幕のようなものを掲げているお爺さんが居た。フィックさん曰く『頑張れ』と書いてあるらしい。兵士の誰かの親かもしれない。


 人が少ないと思ったけれど、こうして見てみると結構居た。幼い子供や年寄りばかりなのは、中間くらいの年齢の人が居ないのは、きっと兵士として出ているからだ。


 どこか遠くで、地鳴りのような音が響いてきた。


「……戦闘が、始まったみたいですね」


「いいえ。始まっていたのでございます」


 それもそうだ。あんな爆音、猪型や芋虫型のやつらとの戦闘では、そうそう起きない。必要の無い力だろう。


 大型の敵との衝突があったのだ。僕達が来た方角から。南西部から。


 住宅街を抜けて、大きな橋を越えると、城壁が視界を覆い尽くした。1度門番に止められたけれど、フィックさんが取り持つと、すぐに中へ通してくれた。


 古いけれど綺麗な、白を基調とした大きな城。その迫力に呑まれたからか、それとも違う感情からか、心臓が凍りつきそうな痛みを覚えた。


 馬車を降りて、城の中に入る。


 すると、五人ほどがそこへ待機していて、僕を見るや、すぐに駆け寄ってきた。


 黒髪の、内気そうな少年を真ん中に、あとは武装した兵士だった。


「はじめまして。タチカワ・ユーセー様。ぼくはアデル・バインズと言います。に触れたバインズ家の末席に名を連ねる者です」


 十二歳くらいにしか見えない少年からそんな丁寧な言葉が出てきて、思わずたじろいた。けれどそれだけで思い出したのは、知啓の理を持った家系の人間が、異世界人の召喚の理論を編み出したというフィックさんの話だった。


 簡単に言うと、賢いのだろう、と。


「巫女の間へお招き致しますので、僕に着いてきて下さい。フィック、ご苦労様です。あとは引き継ぎます」


「かしこまりました。では、私は主の元へ戻ります」


 そして、フィックさんは城から出ていく。


「あなた方はこちらへ」


 アデル少年に言われ、少しの違和感を覚えた。アテナもアレスも僕の中に居る現状、僕はどう見ても一人だというのに、この少年は『あなた方』という言い回しをしたのだ。


「念のため説明させて頂きますと、ぼくはバインズ家の当主ではありません。アロースミス家の身内の不幸を聞いたであろうあなたが余計な心配をしないよう、先に言っておきます」


 まさにその事を考えようとしていた所だった僕は、思わぬ先打ちに戸惑う。


「それと、もう一つ念のため。バインズ家の当主はただ今、とある作戦準備のため手を開けられません。なので、当主でもなんでもないぼくが、変わりにお出迎えしました。その御無礼をお許しください」


 丁重に扱われ過ぎて気持ち悪くなってくる。そんな事で怒る気は勿論無いのだけれど、この世界はそういう文化なのだろうか。少なくとも僕は、気にも留めていなかった事への謝罪に、さらに面食らう。


 なんとか話をしなければと、意味も価値も無い謎のプライドが、戸惑いながらも話題を見つけた。


「作戦とは、蝶の羽化作戦、ですか?」


 問うと、アデルは少しだけ驚き、しかしすぐに「フィックから聞いたんですね」と納得したようだった。


「お恥ずかしい限りですが、それがこの世界で我々が取れる、最後の手段なのです」


 苦笑するアデル。内容までは聞いていないけれど、聞いてはいけない気がするのだけれど、でも、フィックさんはそれを、未来への希望と言ったのだ。だから良い作戦に違いない、と、自分に言い聞かせる。そうでもしなければ不安で押し潰されそうな違和感が、さっきから心臓を掴んで離してくれないのだ。


「不安ですか。でも、ご安心ください」


 と、アデルは言う。


「結論から申しますと、タチカワ。あなたを元の世界へ帰す事は、すぐにでも可能です。なので、あなたの命が脅かされる心配はありません」


 笑顔を作ろうとしているからか、しかし半端な珍妙な面持ちで、アデルは続ける。


「しかし一度、巫女様と話をして下さいませんか。クラウディア・アロースミスから話は伺っておりますので、無理に引き止めるような事はしません。ですが、ただ……言い訳を聞いて欲しいのです。ぼく達の世界の危機に、関係の無いあなたを巻き込もうとした、免罪符にもならないような言い訳を」


 それもまた、そんな事で怒ってやしないのに、という内容だった。


 むしろ怒られるべきは僕なのだ。


 心臓がまともに動いてない気がして胸を掴む。心臓マッサージ変わりに何度か押してみる。鼓動がやたら弱く感じる。


『ゆーせー。何度も言うが、お主は悪くないぞ』


 僕の中に居るアテナが言った。


『どんな選択をしようと、それはお主に与えられた当然の権利じゃ。気にするな』


 そう言われて、少し安心して気付く。


 さっきから抱いている違和感のようなこの感覚の名前が、罪悪感なのだと。


 世界を見捨てようとしている僕の罪の感情なのだと。


『……傲慢、かな』


『いいや、ゆーせー』柔らかく、しかし淡々とアテナは言った。『当然の権利じゃ』


 世界をひとつ見捨てる権利。


 とんでもない代物が与えられたもんだ。


「着きました」


 アデルが大きな扉の前で立ち止まる。


「では、巫女様と面会して頂きます」


 そして、兵士達の手によって、扉がゆっくりと開かれる。

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