第八話~迷い

「美味であったのう」


「うん、そうだね」


 僕とアテナは、貸して貰った寝室のベットで横になっていた。お風呂も立派で、何より安心したのはトイレだ。トイレも水洗の清潔なトイレで、少なくとも、古い公園のそれよりは快適だった。


「理ってのは、なんつーか、都合の良い能力に思えるな」


 と、部屋の隅で丸くなっているアレスが言う。


「うん。代償とかもパッと見は無さそうだよね。えっと、まずは、何かが蓄えたというエネルギーを貰う。このエネルギーは人間にしか扱えないから、その何かが死ぬか壊れるかでダメになるまでに紡がないと無駄になっちゃう」


「して、理を頂戴したとて、その何かに悪い事はなく、完全に無害」


「それどころか、愛着だかを持ち、より深く知り、丁寧に扱う事で、より深く、より効率的にそのエネルギーを貰えるっつー道理だから、完全にウィン・ウィンの関係だとも言ってたな」


「うん。……いや、ウィン・ウィンとは言ってないけどね」


「言い回しを変えただけだろうが」


 なんだろう、優遇され過ぎたせいか、アレスの睨むような冷たいジト目が心地良い……。


「ここまでは、外の力を流用して使う魔術と似てるよね」


「じゃのう。もっとも魔術などというクソったれとは違って、純粋なエネルギーのようじゃが」


「この世界の人々は皆、各々の理を持ってて、その理に触れた人は、その事に関する色んな事を知る事が出来るんだよね」


「だったなぁ。地球じゃ科学で解明しなきゃならんかったもんが、こっちじゃその理を持った人間さえいれば問題ねぇと来た」


「だから、科学力が無くても衣食住は地球に負けず劣らず。その理によって満たされて、導かれるから、人間同士が争う必要も無い」


 ここは素直に羨ましいところだ。地球の、延いては、実は争い事が大好きなんじゃないかと疑いたくなるような日本の歴史を知っていて、それでもまだ甘いものにさえ思える世界で旅をしていた僕からすると、本当に争いの無い世界というのは──なんというか、いくつものファンタジーを体験した僕が言うのもなんだけれど、とてつもないファンタジーに思えた。


「しかし故にこそ、この世界は追い込まれたのじゃろう」


 と、アテナが指摘した。


「この世界における脅威は、害獣と呼ばれるものぐらい。あとは、生活に困った個人の悪戯じみた悪行くらいじゃと、あの娘は言っておった。巨大な脅威と戦う力が備わって居なかったと」


 その通りだった。それは僕もすぐに気付いた事だし、クラウディアさんが嘆いていた事でもあった。


「なんだったか、騎士団も巫女も、昔の過解カゲとの戦争から産まれた歴史だったらしいから、あのクラウディアって嬢ちゃん達騎士の家系は修行してきたが、それ以外に危機感が無かったってやつだわな」


 面倒くさそうに言うアレスだが、最後の一文が全てなんだと思う。


 戦わなくて良いから、戦わない。


 そんな単純な話では無かったのに戦う準備をしなかったから、必要が無かったから、脅威が現れた時に何も出来なかった。


「クソみたいなグラディオスの時もそうじゃったが、日本にはこんな至言があるのぉ。喉元過ぎれば熱さ忘れる」


「あはは、まぁ、数百年数千年じゃ仕方ないよ」


「しかしあれじゃのぅ。この世界の人間は寛容に過ぎるのぅ」


「…………だね」


 多分アテナが言ったのは、食事の最後にクラウディアさんが言っていたこの言葉についてだ。


『そなたを元の世界へ戻す事は、おそらく可能だ。参戦を無理強いすることも、巫女様では有り得ない。帰りたいのならば明日にでも、城へ送ろう。そなたの身はアロースミス家が預かっているため心配も無用だと、今の内に使者を送っておく』


 こんな気遣いまでされてしまった。ご飯も美味しかったし、この世界で出会った人は良い人ばかりだ。


 しかもクラウディアさんは、僕達を部屋へ案内してから、最後にこう言った。


『巻き込んでしまって、すまない』


 と。


 その言葉は真摯だった。あまりにもまっすぐで、それだけで、後ろめたさを孕んでいる僕の心情を切り裂いてきそうな鋭さだった。


 謝るべきは、僕のほうなのに。


「迷っておるのか。どうするべきか」


 アテナに問われ、僕は浅い息を吐く。間が持たなくて、呼吸にでも意識を向けなければ、変な事を口ずさんでしまいそうだったのだ。


「まさか」


 ゆっくりと、噛み締めるように、僕は答える。


「僕には、迷う資格も無いよ」


 夜の闇の中、そんな卑屈な台詞に続いたのは、アテナの素っ気ない「そうか」だけだった。




 ⿴⿻⿸──⿴⿻⿸──⿴⿻⿸




 悪魔の大軍と、自警団の人間が戦っていた。悪魔の大軍の向こうでは、下手をすれば天使と見間違えそうな神々しい姿で戦車に跨る悪魔が、悠々と立ち尽くしている。


「ジャスティン! しっかりしてよ、ジャスティン!!」


 片腕を失い、胸に風穴を開けた戦友を抱き抱えて、僕は叫んだ。


「……うるせぇ、な……傷に響くから……叫ぶな……」


「待ってて! 今ヴィクトリアを呼んでくるから!!」


「馬鹿! っ……こんな戦場のど真ん中に、大事な姫様を、連れてきて良いわけ、あるか」


「でもっ! このままじゃジャスティンが!!」


「…………なぁ、ユーセー……」


「なんだよ、どうした、何か助かる方法でも思いついたのか?」


「…………これから、自爆装置抱きしめて、敵陣のど真ん中に、特攻かける……その途中で殺されねぇようにだけ、見張っといてくれ」


「なにを……何を言ってるんだ! そんなこと!」


「ベリアルの軍団に一矢報いんだよ!! このままじゃ犬死にだ……死んだら、パラサイトの餌食んなって、お前や姫様に剣を向ける事になる…………そんなんごめんだ……そんなんだけは勘弁だ……」


「ジャスティン……馬鹿言うな……お前は死なない!!」


「ベリアルは……悪魔崇拝サタニズムの連中に……余計な入れ知恵を、しやがるから……なんとかしなきゃ、なんねぇだろ……誰かがよぉ……。でも、あんな手下の大軍率いてるやつに、一矢報いるなんて……まともなやつにはできねぇ……。だから……だから、まともじゃねぇ、俺がやんだ!」


「……ジャスティン……っ」


「アテナ……こいつが爆発に巻き込まれないよう……頼んだぜ……」


「承った」


「援護……頼むぜ、アレス」


「……ベリアルの最深部まで、歩いてでも辿り着けるようにしてやらぁ」


「はは……頼もしいな……」


 そして、ゆらゆらと立ち上がるジャスティン。


「……ユーセー……姫様を……この世界を頼むっ!」


 そして、戦友は駆け出した。


 アレスの力で道を切り開き、そこをジャスティンが駆ける。


 光の剣での援護も、数は少ないが、惜しむことなんてしなかった。


 だが。


 彼が抱えていた爆弾は、突如横切った猫のような姿をした悪魔が、奪い去ってしまった。


「っ!?」


 ベリアルの手下では無い。あの悪魔は、今戦っている悪魔の大軍を率いているベリアルの配下では、無い。


 考える事も馬鹿らしくなるような絶望の中で、僕は猫が来た方角に目を向けた。


 青白い馬に跨り、ひと目で悪魔と解る禍々しい炎を背に、そいつはこちらへ来ていた。


「……べレトまで出しゃばってきやがったのか……っ!!」


 アレスが悪態を吐く。


「まずいぞ、ゆーせーよ!」


 アテナに叱咤され、我に返る。


 そして、今更だと知り、また絶望する。


「ぐぁぁあああああ!!!!」


 戦闘力などとうに失い、爆弾さえ奪われたジャスティンが、悪魔に集られていた。


 悪魔は、強い戦士ほど、一思いに一撃で殺したりしない。丁寧に、身体を壊さないようにゆっくり殺す。後で生物兵器パラサイトによって、自分達の手駒にするために。


 だから、強いジャスティンは、強かったはずのジャスティンは、なぶられ、蹂躙じゅうりんされ、そして使役される。


 そんなことが、許されていいのか?


「あ……あぁあ……」


 僕は剣を構えた。


 魔を打ち払うための力──アレスを、戦友を見据えながら、構えた。


「友のためじゃ、ゆーせー」


「良い決断だ。おめーは悪くねぇ」


 アテナとアレスに言われ、耐えられず涙が落ちる。


「ああぁあ、ぁあぁあうあああああああ!!!!」


 僕は、僕の力で、僕の選択で、ジャスティンを殺した。




 ⿴⿻⿸──⿴⿻⿸──⿴⿻⿸




「うわっぷ!?」


 水をぶっかけられて、眠りから覚めた。


「すまぬ。うなされていて煩かったでのぅ、起こした」


「もうちょっと、優しく起こして欲しかったかな……」


 見ていた夢のせいで汗だくだ。……汗なのだろうか、水なのか解らない。


「優しかろうて。夢の戦場は熱かったじゃろう?」


「…………そうだね。これくらい冷たいほうが、今は良いや」


 寝言を聞かれてしまったのだと思う。恥ずかしい限りだ。


「それよりじゃ。あの娘は昨晩に屋敷を出たようでな。執事とやらが城まで運んでくれるそうじゃ。朝食を取ったら、すぐに出ろ、と執事に言われたわい」


 ゆったりと、重々しい口調でアテナが言う。


「……ということは、敵に動きがあったんだ……?」


「昨晩、あの後も敵の進行があったそうじゃ。幸い強者の居る場所だったため退けたそうじゃが、近い内にまた進行があると踏んで、厳戒態勢を敷くそうらしい」


「…………それって」


「──関係ねぇだろ」


 僕は、僕が何を言おうとしたかさえ自分で解っていなかったのに、アレスによって言葉は遮られた。


 見るとアレスはなんでもなさげに丸くなったまま、こう続けた。


「戦わないって決めたおめーには、戦士の事情は関係ねーだろ」


「…………」


 解っている。解っていた。そのはずだった。


 これでいいのかと。何かが自分に問い質してくる。これしか無いんだと答えようにも、僕はいったい、何に言い訳をしているんだ。そんな虚しさが募るばかりだ。


「それが、お主の選択であろう」


 アテナにも言われ、再度自問する。


 これで良いのか?


 このままで良いのか?


「……僕は……」


「失礼致します」


 何かを答えようとした時、枯れた老人の声が扉の向こうから聞こえた。


 そして開かれる扉。町の風景とは打って変わった、立派な燕尾服を身にまとった年寄りがそこに居た。


「この屋敷の執事、フィックと申します。急ぎ身支度を。すぐに、城へお送り致しますので」


「え」


 突然の事に戸惑う。なんてシラを切れるほど、僕のカンは衰えていてはくれなかった。


 次の執事の言葉を僕は、なんとなく、解っていた。


「敵の、本格的な進行が始まりました。非戦闘員は急ぎ避難を、と、巫女様からの指令でございます」


 逃げ場は無く包囲され、敵の数は膨大。


 僕が来た異世界で、最初の戦いで、ここは最後の砦。未来などどこにも無い。


 僕に何が出来る?


 僕が何かしてどうなる。


 迷う資格も、本当なら無い。僕は勇者になれない。


 違う。資格がどうのと言い訳をして、逃げているだけなんだ。


 逃げて逃げて、そこに何も無いと尻ながら逃げて。何も無いなら傷も無いと、現実から目を背けている。


 僕はただ。


「……わかりました」


 僕はただ、きっと、臆病なだけなんだ。

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