第二話〜巫女とアテナとアレスと異世界

『言語のリンクが完了したのじゃ。同調を開始する』


『うん』


 ぐわん、と、世界が回るような、酷い船酔いをしているかのような感覚に襲われる。言語チューニングとは簡単に言うと翻訳コンニャクだ。


 だから、


「つまり、我々は今困窮していて、ことわりから外れた存在、すなわち外部からの救いが必要だった。なので貴殿きでんを召喚させて頂いた。驚かれるのも無理は無い、なにせ我々も、召喚の成功に驚いていて──」


『無遠慮じゃのう……始めから通じていたと思い込んでおる』


「大変だったのだ、世界中から異世界召喚に必要な理法師りほうしを招くのは勿論、異世界召喚に必要な理を算出するのにもどれだけの期間が──」


「ブランドン、無礼ですよ!」


 糾弾する声と共に、人垣の中からもう一人が現れた。


「…………ぁ……」


『ゆーせー、違うぞゆーせー取り乱すでない。……呼吸をしろ!』


「…………そんな……」


『主よ! 平静に!!』


 現れたその人は、調度、日本の巫女服に近い格好をしていた。


「巫女様!? 私が何を!?」


「異世界からの客人が、同じ言語を用いているとは限らないと、気付かないほど愚かでは無いと信じて任せておりましたのに……開口一番、一方的に喋るなど!!」


 長い金髪。やや吊り目だが、大きいからか鋭さは無く、壮年を叱りつける唇は、それでも優しさを含んでいて、まるで、誰かにとって理想的なお姫様を体現したかのようで……その顔が、声が、怒り方が、そして……


「ようこそおいで下さいました。突然の無礼をお許しください」


 恭しく頭を下げるその整った仕草が……


「言葉は、解りますか?」


 心配そうに、不安げに揺れるその上目遣いが、二年前、僕が救えなかった世界の、救えなかった少女と同じだった。


『違うぞ主よ、それは有り得ん! 落ち着け!!』


『──ゴチャゴチャうっせーぞ、アテナ』


 頭の中で騒ぐ声に、落ち着いた、しかし粗い声がひとつ増える。


『アレス、主が取り乱しておる。なんとかせい』


『言われなくてもそのつもりだっての。主様、


 その瞬間、僕の胸の付近が光って、光が形を変えて、それが現れた。


 それは金毛のオオカミだ。だが、ライオンのように大きい。ライオンよりも大きい。


「……なるほど、こういう世界か」


 意味深に呟いたアレス。アレスのその姿を見て、群衆がざわめく。巫女服の少女が小さな悲鳴を上げ、ギルバスキンと呼ばれた壮年の男が、その少女を庇いながら後ろに下がる。


 だが、アレスは群衆に襲いかかったりなどしない。


 アレスは、そのオオカミは振り向きざまに、僕を叩いた。


 僕は数メートル吹き飛ばされ、群衆の一人と激突した。そのせいか、そのおかげか、大した痛みは感じない。


「目は覚めたかよ、愚鈍なる主様。必要とあらば爪も出そうか」


 アレスがそう言う。手加減したぞ、と。でも、だからなんだと言うんだ、この暴れる心臓と震える脚を、どうやって止めろって言うんだ。


「ちっ……荒療治だが、仕方ねぇ」


 アレスが爪を出す。僕はそれでも、抵抗に意味を感じず、この状態で抵抗出来る気も起きず、ただそれを見つめていた。


 だが。


「どうかお鎮まり下さい、神格しんかくけものよ!!」


 割って入ったのは、巫女の少女だった。


「巫女様!?」


 ギルバスキンと呼ばれた男が、慌てて巫女様の盾になれる位置へと割り込む。


「ほぉ? 俺が神格とってやがんのか。なにもんだ?」


「いいえ、存じません。しかし、その立派な風貌は、神格で間違いないと、少なくともそれに至る方であると判断致しました」


「カマかけやがったって事か、おもしれぇ。気に入った、名を言え」


『カマをかけているのはアレスじゃろうて……。ゆーせー、聞いておけ、あの巫女は、あの姫君とは別人であると証明される』


 心の中でアテナが言うから、僕はうるさい心臓を黙らせ、彼女の、その巫女の言葉に耳を傾ける。


「──ハーモニス・エル・シオン」


『ほらの、違ったろう。…………主? おい、ゆーせー! 馬鹿者め、期待しておったのか』


『どーすんだアテナ、主様のやつ、思考放棄してんぞ』


『この場に留まっても仕方あるまいて、一旦退く。アレス、後でどうとでもなるように適当な事を言って、ゆーせーを連れてこの建物から脱出じゃ。そのサイズなら可能じゃろう』


『承った』


「ハーモニスと言ったか。わりぃがこいつは今冷静じゃねぇ。つーわけで、さよならだ」


「そんな……お待ち下さい! 神格の獣よ、どうか話だけでも!!」


 それからの事は、よく覚えていない。







 ──川にぶち込まれた。


「溺れるかと思ったよ!!」


 実際溺れかけた僕は、びしょ濡れの服が飛沫でアレスを濡らすのをお構いなしで文句を言う。


「うっせーな、他にやり方があったかよ」


「…………すみませんでした」


「素直じゃねぇかよ」


 身体に着いた水をフルフルと弾き、アレスはほくそ笑む。


「頭は冷えたかのう、ゆーせー」


「うん、物理的にね……って、アテナ?」


 振り返った先に居た姿に、少し戸惑った。


 アテナはいつの間にか僕の中から出ていたらしいのだけれど、慣れというのは恐ろしい。僕は、掌サイズの、妖精のような姿をしたアテナが居ると思い込んでいた。


 だが、そこに居たのは人間の、十歳くらいの少女だった。


 とはいえ、その美貌は人間離れしているのだけれど。


 純銀よりも価値があると言われても信じてしまえそうな銀髪に、間違えて宝石を組み込んでしまったのではと疑いたくなるほど美しい瞳。ミロのビーナスが作られるより前に彼女の姿が世に知れていたら、彼女こそが美の中心点となっていただろう。そういう美少女。


 いや、でも胸が無いからやっぱり無理かもしれない。


「……白いワンピース、似合うね」


「そこは突っ込みどころではあるまいて」


 呆れられてしまった。呆れ顔も絶世の美少女だ。


「……アテナもアレスもその姿って事は、少なくともそういう世界って事だよね」


「日本よりは、信仰心があるようじゃの」


 ジト目で睨まれる。無宗教大国でごめんなさい。


 アテナとアレスは所謂神様というやつだ。


 アテネ、アーテナ。アーレス、アーレース、これらの呼び方で知っている人も居るかもしれないけれど、それらとは、似て非なるものだが殆ど同じ、と思って貰って構わない。訳あって僕は、この二柱と契約関係にある。


 そしてこの二柱は、その世界の信仰心によって、生物としてうつ顕現けんげんした時の姿を変える。


 日本では妖精だったアテナが、ここでは少女になり、ここではモロの子供(金色バージョン)みたいなアレスだが、日本では柴犬の子供だった。


「加護は使えるかの?」


「えっと……」


 辺りが人の居ない森の中だということを確認し、人差し指を立てる。すると、ぼんやりと指先が光った。


「光の加護。うん、使える」


「ならば、時間が巻き戻ったわけでは無いと言えるじゃろう」


「……そうだね。いや、解んないけど、少なくともあの人は……えっと、ハーモニス・エル・シオンさんは、ヴィクトリアじゃない。あと、アテナとアレスの姿が違うから、ジルシュバリアスでも、無い」


「解れば良いのじゃ」


「魔法とかはある世界なのかな。何か感じたりしない?」


「んな忌々しい気配がしてたら、どっくに暴れ出してるっての」「魔法なんて滅びれば良いのじゃ」


「う、うん、そうだね、すごく賛成だよ」


 魔法は無い世界らしい。


 少し落ち着けば解るはずの事なのに、取り乱したせいで随分と遠回りをしてしまった。それに、現状もまた、なんとも言い難い。


「どうしようか、アテナ、アレス。僕としては、すぐに戻るのは恥ずかしいのだけれど」


「うむ、下半身も見られたしのう」


「ちょっとアテナさん? 意図的に話題から逸らしてたの気付いて?」


「気付いたからこその話題じゃろうて。どうじゃ、ここは我にもう一度見せて、プラスマイナスゼロにするというのは」


「プラマイゼロどころか掛け算してるから! 恥の上塗りだから!!」


「あの壮年のハゲ男も、ゆーせーの下半身に喜んでおったぞ。やはりホモは世界を救うのじゃ」


「救わないんだよなぁ……犠牲者しか産まないんだよなぁ……」


「何を言うのじゃ、日本人はなんなら聖書の普及率よりもBL本の布教率のほうが高かったじゃろう!!」


「え、うそ待ってそれは嘘でしょう!?」


「おいこら馬鹿ども」


 アテナと騒いでたら、アレスに叱られた。


「遊んでばっかいねぇで、これからどうすんだ」


「それなんだよね……」


 少なくとも、セルフで元の世界に戻る事は難しいと思う。とはいえ、あの教会のような場所へは、すぐには戻りたくない。


 となると、僕の取れる選択肢はひとつしかない。


「この世界の事を識る……てところから始めようか」


 急務なのは、食料の確保だろうか。

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