第一話〜異世界召喚

 僕の名前は太刀川祐誠たちかわゆうせい。テストの解答欄に記されたその名前を見て、なんとなく自己確認。


 どこにでも居る普通の男子高校生。成績も普通。身体能力も普通。特別変わったところの無い、一般的な思春期男子だ。


『ゆーせー。そこの問題が解らないのか。ならばよし、我が隣のやつの解答を見てきてやろう』


 そんな悪魔みたいな事を、僕の肩で脚をパタパタさせる妖精のようなやつが言う。そんな奴が見えちゃう普通の男子だ。


『ちょっと? やめてくれます? バレないけどカンニングだからね、それ。あと、これを解いちゃったら他のも解けないと辻褄が合わなくなるから、成績を調整するためにわざと空欄にしてるの』


 念力……というと語弊ごへいがある。この掌サイズの妖精もどきとは以心伝心なため、基本的に思考だけで会話が出来るだけの、普通の男子。……これで普通を名乗るのは既に無理があるかなぁ……。


『見てきたぞ。答えは『解りません』だった』


『僕の隣のやつは解答用紙に何を書いてるの!?』


 隣の席を見ると、戸松はテスト終了まであと十分あるにも関わらず既に眠っていた。テストを放棄している……。


『にはは。こんな至近距離でこんな隙だらけなやつが居たのに気付かぬとは、お主も衰えたのぅ』


『アテナ……あまり声を上げそうになる悪戯はやめてよ……僕は普通に、普通の人間として過ごしたいんだから』


『それは無理じゃろうて。我等がお主と共にある限り、お主は普通になどなり得ない』


 僕の目の前を、背中に生えた小さな翼でパタパタと飛ぶ、妖精もどき。名前はアテナ。


『まぁそうだけど……』


 こんなのと一緒に居るけれど、それはこいつらが異常なのであって僕では無い。だからワンチャン、僕は普通の人間になり得るのだ。


『そも、なんじゃこの英語のテストとやらは。お主には不要じゃろうて。我が言語チューニングしてやれば、外国人となんてすぐにペラペラじゃぞ』


『……そうだけど、勉強は勉強することに意味があるの。だから、そういうズルはしない』


『真面目じゃのー、お主は』


 にはは、と笑いながら、アテナは空中遊泳を続ける。それを見届けて、僕もテストを再開しようとした、その時。


「よーし、テスト終了だ。後ろから集めろー」


「え!?」


 先生の言葉に面食らう。もう少し時間はあったはずなのに!!


「どうした太刀川。解答用紙にズレでもあったか?」


「い、いえ……その……なんでもありません」


 苦笑すると、教室の中に苦笑いが伝播でんぱした。まぁ苦々しい空気ではあるけれど、平均点くらいは行くだろうから、問題は無いはず。


「これで、今日の分のテストは全部終わりだな。この後ホームルームしに担任が来るから、待っていなさい。太刀川、少し良いか?」


 呼ばれて僕は、先生と一緒に教室を出る。


「調子はどうだ、太刀川」


 職員室へ向かう道すがら、先生にそう聞かれた。なんの事が解らなくて黙っていると、アテナが助け舟を出してくれた。


『失踪の事ではないか?』


「……ああ。平気ですよ」


「そうか。それは良かった」


 二年前、僕は一ヶ月ほど失踪した。


 学校近くで発見された時は酷く錯乱しており、家に帰っても一ヶ月ほど引きこもった。失踪中の記憶は失っており、誘拐事件だったのでは無いか、ということになっている。


「あの時の担任としては、クラスに馴染めているようで安心してるぞ」


「それは……どうも」


 馴染めている、という表現には、違和感を禁じ得ない。僕は、友人皆無ぼっち。 なのだから。


「成績も、悪くないようだしな」


『何が言いたいのじゃろうなこのジジイは。残り少ない髪の毛を引っこ抜いてやろうか』


『やめてアテナ。多分これシリアスな話だから、笑わせないで』


「まだまだです……どうしてそんな話を?」


「うむ。実はな……」


『告白だぞゆーせー。この物憂げな表情は、ジジイから少年への愛の告白で間違い無い』


『やめてアテナ。今から絶対真面目な話が始まると思うから笑わせないで』


「……日比野先生から、君の進路の事を聞いた。……担任でも無いのに口出しするのはマナー違反だが、お前なら、もっと上の大学を狙えそうな気がしてな」


『ち、つまらん話じゃな』


『ちょっとアテナさん? これ、僕の将来に関わる大切な話だからね?』


「成績にもとづいた進路ですので、これ以上は負担になります」


「そうか……? 俺には、お前はまだ本気じゃないような気がしてならんのだが」


「…………買いかぶりですよ、先生」


 平然と答える僕。


『どうしようアテナ、どうしよう見破られてるのかなこれ!!』


『い、いやいやいやいや平和ボケかましとるこの現代日本で、お主の建前を見破れるほどの洞察眼を持った者などおるまいて!!』


『だよね!? だよねぇえ!?』


 内心はバクバクである。


「そうかな」


 先生はまだ話を続けた。


「俺には、お前が、頭の中にお前以外のやつも居るような、そんな気がしてるんだ」


「はは、何を言ってるんですか、先生」


 平静と応じる僕。


『バレてらっしゃるー! これ僕の現状バレてらっしゃいますよアテナさん!!』


『ば、ばばば馬鹿をい言うでない! わ、我等の気配を感じ取れる者など、どの世界にもそうはおるまいて!!!!』


 内心はマジやばい。


「解りにくいよな、すまんな。……なんというかな、多面的に物事を見れるのがお前の特徴だ。一歩引いて観察して、というだけでなく、まるでいくつも思考回路を持っているかのように、いくつもの可能性を見い出せるのがお前だ」


「…………恐縮です」


『あーこれ、どうなんですかね、アテナさん』


『知らん』


アテナとかと脳内会話をするから、複数の思考回路を持っているのは比喩でなく事実だ。けれど先生は、それを比喩のように言ってくれたし、多分バレてはいないのだろう。……そもそも、バレるはずの無いことで動揺してどうしたんだ、僕は……。


「その思考の広さ、深さをな、勉学にもっと活かす方法は無いかと、俺なりに考えてみたんだ。それを今からお前に──」


「あ、あの、先生!」


「──む、なんだ、太刀川」


「ち、ちょっと、トイレに行ってきても宜しいですか!?」


「……あ、ああ。はは。もちろん、行ってこい」


「失礼します」


 僕は、先生から逃げるように、近くのトイレへと向かう。


 用を足したかったのも事実だが、本心は気持ちを一度落ち着かせたいというところにあった。事実はともかく、まさか工藤先生が、あそこまで僕の事を見ていたとは……。


『あやつは何かの加護でも持っていたのかのう』


『まさか。この世界にそんなものは無いよ』


 この世界には何も無い。魔法も魔術も加護も何も。全ては科学によって占領された。


『おしっこするから、近く飛ばないで』


『では、中に入ってるとするかのう』


 僕は用を足す。そしてアテナは僕の中に入る。溶け込むというか、融合するというか……。


「でもこれから、長くなりそうかなー」


 工藤先生は良い先生だけど、話が長いのだ。だから多分、いや間違いなく、束縛時間は長くなる。


 これは、覚悟を決めて戻らなければなるまい。


 そう決意した時だった。


 不意に、世界が歪んだ。


 立ちくらみのように、世界が点滅する。自分が光になるかのような、不可視の光に包まれるかのような感覚。身体が空気に溶けるような感覚。


「……………………は?」


 なぜ。


 どうして。


 謎の浮遊感。


 しかし僕は知っている。


 この感覚を、僕は覚えている。


 空気中に身体が溶け込み、自分の手が消えていく。その光景が、いつかの記憶と重なる。


『──希望をくれて、ありがとう』


 そう言った少女の姿を幻視する。


 僕はその少女に手を伸ばす。


「……やだ……」


 救えなかった少女。救えなかった世界。その悔しさと、はち切れんばかりの罪悪感がフラッシュバックする。


「いやだ!!」


 しかし、僕に選択権は無い。


 この感覚から逃れる事は出来ない。


 そして、光が飛散し、霧散する。その眩しさに目を閉じた。




 ……ざわめきが聞こえた。


 僕は立ち尽くしていた。


 恐る恐る目を開ける。


 そして思い知る。


 日本人とは異なる顔立ちをした人の姿。ゆっくりと身体を回して見れば、僕は十数人に囲まれているようだった。


 中世ヨーロッパ風の、教会のような建物の中で。見知らぬ天井の下で。魔法陣のようなものが描かれた床の上で、僕は立っていた。


 ──で立っていた。


 僕へ何事も無かったかのようにズボンを上げる。だって仕方ないじゃない、トイレの最中だったんだし。


 そこに、唖然としていた人垣の中から、一人の壮年の男が、僕へ向かって駆けてくる。


 何かを口早に言う壮年の男性。その顔には喜びがはっきりと見えるから、下半身裸だった事を責めているわけでは無さそうだ。でもどちらにせよそれは知らない言語で、何を言ってるのかは解らない。


『……アテナ。アテナ、居る?』


『うむ。我等はここに。中に入っておって正解だったようじゃな』


『良かった……。アテナ、言語チューニングを』


『承った。言語チューニングを開始する。…………ゆーせー、残念な報せじゃ。


『時間が掛かるって事は、さっきまで僕が居た世界の──地球の言語じゃないってこと……?』


『さようじゃ』


 その言葉に、僕は全身の力が抜けていく事を自覚した。


 きっとこの感覚の名は絶望だ。


 普通の高校生になろうとしたのに。


 普通の人間になろうとしたのに。


「…………………………」


 また、来てしまったのだ。


 普通とはかけ離れた、特別になってしまった。


 僕はまた、異世界へ召喚されてしまったのだ。

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