後編

「くっ……ふざけた強さだ」


 勇者は魔王の攻撃で吹っ飛ばされ、動けなくなっていた。

 剣も魔王の目の前で転がっている。


「ふんこんなものか、つまらん。死ね」


 魔王が勇者に向けて手をかざし、魔法陣が浮かび上がる。

 阻止しようにも、魔法の杖は魔王にたやすく壊され、老いた体は上手く動かない。

 ……ああ、稀に見ない魔法の才能があるあなたに、今にも滅びそうなこの世界を救って欲しい、と天使さんに請われ、よく分からないまま人助けのためならと早十年。

 やはり、荷が重かったかしら……。

 見ると他の仲間達も、気を失ったり足を痛めているようだった。


「……ここまで、か」


 勇者がポツリと呟く。

 ……勇者よ、あなたがそれを言ってはそれこそ本当におしまいでしょう。

 勇者も、仲間達も、そして私も絶望に包まれる最中。

 ――突如、魔王の前に魔法陣が浮かび上がる。


「……何だ? これは」


 異変に気づいた魔王は攻撃を止め、一歩退く。

 そして、一人の老人が召喚された。

 その後ろ姿は、見覚えがあるもので。


「あ、あれは……勝善さん?」


 忘れもしない、私の夫だった。



     *



 気がついたら荘厳な部屋の中央に立っていた。

 辺りを見回すと、見覚えのある顔が床に倒れておる。

 何年経っても忘れもしない、妻の顔だった。


「おい、千恵子じゃないか。久しぶりじゃのお。お前に言いたい事があるんじゃが。」


「な、何しているんですあなたこんなところで!」


「何ってお前に会いにじゃな……」


「今の状況を見てください! そんな場合じゃないでしょう!? 早く逃げて下さい!」


 念願の妻との再会なのに酷い言い草じゃ。

 改めて周りをよく見ると、何やら驚いた表情の青年に、動く気配の無い者達がたくさんおる。

 ……そして。


「何だお前、どこから来た?」


 声のする方向を見ると、何やら物騒な顔をした男がいた。

 背が高く、黒のコートを身にまとい、頭には立派な角。

 そして何より、ドス黒い殺気。


「まあいい、死ね」


 突然男はわしに手をかざし――。


「いけないあなた!」


 千恵子がわしを押し倒す。


「なんじゃお前いきなり……」


 見るとわしと千恵子がいた所が凍っていた。

 一度死んだから何となく分かる、命を奪う冷たさだと。

 こいつ今、わしと千恵子を殺そうとしたのか。

 折角会いに来たのに、それじゃあ意味ないし、千恵子も痛いじゃろうが。

 近くにあった剣をとると、それを支えにして立ち上がる。


「すまんが夫婦の死を超えた再会でな、邪魔しないでもらえるか」


 剣を握り直し、構える。


「大丈夫ですか!? って、あなた一体何を……?」


 わしは魔王とやらに剣を振ろうと。


 ――ズキッ。


「っ!?」


 突如腕に激痛が走る。

 余りの痛さに声も出ない。

 くそ、まるで腕が焼け焦げたようじゃな。

 ただ、剣を握る力だけは緩めなかった。

 ……そういや時間がどうのこうの言ってたのお。


「あなた! 無理なさらないで下さい! ……もしや体はもう」


 心配そうな顔をする千恵子。

 何そんなしょうもない顔しているんじゃ。

 そんな顔のお前に会いに来たわけじゃないぞ。

 自分の体に鞭を打つ。

 魔王はわしの動きを終止冷たい目で見ていた。

 ふん、お前に何が出来るんだ、と言いたそうな顔じゃの。

 実際その通りなのが癪に障る。

 ……はあ、しっかりしろわしの体。

 87年間わしを支え続けてきたじゃろ。

 一分、いや。



 ――この一振り、持ってくれ。



 剣を持つと、かつての思い出が蘇る。

 として弟子に剣の道を教えていたあの頃。

 体はまだ覚えていたようだ。


「桐生流奥義、――名はなんだったかのお」


 後は体に任せた。



     *



 すっ。

 老人は音も無く近づくと、剣を横に振ったかも知れない。

 ……知れない?

 いや、待て。

 視点がどんどん下がっていく、体を動かそうにも動けない。

 どういうことだ、これは一体……?

 ――ああ。

 やっと全てを理解した。

 剣が速すぎて、首が飛んでいることに気づかなかったのか。

 ジジイだからって侮ったつもりは無いのだが。

 ……まあ、魔王の最後が達人の一振りとは。

 悪く無い。



     *

 


 ドサッ。

 魔王と老人の二つの体が倒れる音が同時に響く。


「あんた、あんた!」


「いたたた、あーいたたた」


 一振りでわしの体は倒れたのか、情けない。

 千恵子がわしに近寄る。


「千恵子、時間がもう無い。あの時言えなかったことを伝える」


「何ですか! いきなり現れて魔王を討伐するなんて! どうせ後先考えずやってきたのでしょう! あなたはいっつもそう――」


「愛している」


 えっ、と千恵子の口が閉じる。

 あー恥ずかしい恥ずかしい。

 お前が死ぬあの時は余りにも急に死んだから、改めて言えなかった事がやっと言えたわい。


「達者でな、もう用は済んだ」


「え、ちょっとあんた!? しっかりしてください!!」


 ……ふん、先立たれたわしの気持ちを少しは分かったか。

 めちゃくちゃ辛いんじゃぞ。

 千恵子が手を握ってくる。


「私も、いつまでも愛しております……!」


 ……はっ。

 わしの方がもっと愛してるに決まっておる。



                  *    



「はい、じゃあ今度こそ来世選択の時間です」


「あなたの望みは何ですか?」


 気が付くと、また雲の上にいた。

 望みか……うむ。


「もう叶えてもらってけえ、何もないの」


 流石に何度も叶えてもらうのは申し訳ない。


「……なるほど、奥さんとまた生まれ変わっても出会いたいですか、奥さん一筋ですねえ」


「なっ」


 口にしてないのに当てよった。

 天使様には嘘はつけません、ってことかの。


「まあ、あえて言うならそうじゃな。あえて言うならな。たださっきも言ったがこれ以上願いを叶えてもらうのも申し訳――」


「構いませんよ」


 ……何?

 わしの老いた耳を疑った。


「ええ構いません。あなたは世界を救ったのですよ? それくらい容易い御用です。まあ、まずは千恵子さんがこっちに来ないと話になりませんので、ここでしばらく待ってもらいますけどね」


 天使はそう笑って言った。

 ……はあ、何じゃ。


「それなら、あんな恥ずかしい別れしなくても良かったわい」


 そうぼやきながら、そっと雲の上で寝転がる。

 そこでの睡眠は、体と気持ちが羽のように軽かった。





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わし87歳、異世界に行く いんびじ @enpitsu-hb

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