第2話 罅割れる日々。(1)

1.

 目覚めは最悪だった。

 事あるごとに蘇る十年前の景色は記憶の域を超えて呪いのように訴えかけてくる。

 もはや疑似体験と言っていいほどに生々しい追憶は今もなお透哉を苛み続けている。


(どうして、俺だけ生き残ってしまったんだ……)


 少しばかり他人よりも戦いに長けたせいなのか。

 殺すことへの才能に恵まれた対価なのか。

 その結果として存命する自分はどれほど罪深い存在なのか。

 いったいいくつの命を踏みつけて立っているのか。

 もし、その数を知りえたとして立っていられるのだろうか。

 

 結局一夜を学園地下の牢の中で明かし、今は旧夜ノ島学園の敷地を足取り重く歩いている。

 世界は一日を境に、一時を境に、あるいは一言を境に一変する。

 日の出間もないため周囲はまだ薄暗く、夜の香りが微かに漂っていた。

 昨晩軽く雨が降ったのか、地面には微かに濡れた跡が残っていてむき出しの鉄筋に付いた雫は朝日を浴びて輝いていた。

 雨が降った後の光景を見るたび透哉は言い様のない不安を抱いていた。

 建物が荒廃し、命の枯渇したこの場所が潤い、満たされることがまるで干乾びた死体をふやかしているみたいで受け止められなかった。

 同時に様々なものが洗い流され押し出されていく気がして。

 自分の中に渦巻く感情さえも希釈されて奪われていく感覚に陥るのだ。

 そして、今透哉の足取りを鈍く重くする理由は昨晩の園田の言葉。


『そうやって普通の生徒の真似をして皆を欺いているというわけか』


 無論、自分が素性を隠して皆に接していることは知っている。

 しかし、騙している自覚がなかった。

 気付くと両手で足りないほどの仲間ができていて、その数だけ自分は偽りだらけの側面で接してきた。

 誰も透哉の裏面も、本質も、正体も知らない。

 向けられる笑顔も思いもすべて仮面である『御波透哉』に向けられたもの。

 改めて実感する、自分が〈悪夢〉と揶揄される犯罪者であること。血肉と瓦礫の中から這い出てきた殺人者であると知って同じ笑みを向けてくれるものがどれだけいるか。

――いるはずがない。

 夜ノ島学園が変わった事情の生徒を多く抱えた学校だとしても人道から溢れた者の受け皿にはなりえないのだ。


『だってそうだろ? 君は常日頃から自分が〈悪夢〉であることを黙り偽り、友人たちと過ごしているのだろ? 欺くことで今の定位置を獲得しているのだろ?』


 園田の事実に則った言葉が胸に突き刺さる。


(言ってくれるじゃねーか)


 この学園に入ったときに存在した孤独を貫き通す覚悟。

 それを完全に忘却していた。

 学園再興の成就、それ以外の全てを捨て去るつもりだった。

 人付き合いも過程として割り切っていくつもりだった。

 所詮、路傍の石ころとして見て見ぬふりをするつもりだった。

 他を思う気持ちは邪魔な人間味であり、野望の足枷にしかなりえないと言い聞かせ、血と涙に誓ったはずだった。

 本心では周囲を無為に傷つけることを恐れ、目的のためと遠ざけてきた。意図的に粗暴なふるまいを見せるのはそのためなのだ。

 それでも数奇な人材は周りに集まり、透哉を孤立させはしなかった。彼らにとって透哉は少しとっつきにくい一人の男子学生でしかない。彼らは何の打算もなく透哉の名前を呼び、共にあることを望んだ。望んでくれた。

 透哉も当初は戸惑い、邪険に扱いながらも拒絶はしなかった。学園再興の決意が薄れかけていることに気付いたのも丁度このころだった。

 しかし、淡い自覚の内に安寧と惰性に飲み込まれていた。

 透哉もまた彼らと共にある日常を望んだ。

 大願成就への足枷を受け入れた。

 仲間たちとの繋がりが、絆が、いつか弊害になると分かっていて。


「ちくしょう、こんなことなら――」


 一人歩きながら誰にも聞かれるはずもないのに続く言葉を飲み込んだ。冗談や嘘でも口外出来ない感情の発露を体の方が禁じたのだ。

 なんだか踏み絵のようだ、そう思って失笑した。

 仲間への暴言を吐くことで決意と言う信仰心を証明するみたいに。

 今の自分には出来そうにない暴挙だった。

 悔しいが昨晩の園田が言ったとおりだ。

 園田は学園再興と言う信念を握ったまま、半端に何かを求める透哉を叱責したのだ。

 けれど半端な甘えはもう許されない。

 野望か仲間どちらかしか選べない。

 しかし、透哉の心は決まっていた。信念は揺るがない。

 内情では寂しさをひしひしと感じていた。時が進むにつれ、事態が進行するにつれ、透哉は人の輪から離れなくてはいけないのだから。

 だから懊悩し、苦悩しているのだ。

 誰にも邪魔はさせない。

 深層に関わらせないことで排除してきた。

 一人の例外を除いて――


「源ホタル……」


 クラスメイトにして、メサイアの〈悪夢〉討伐隊のメンバーであるホタルの存在が全てを狂わせようとしている。

〈悪夢〉である自分を追う確たる敵対者。

 メサイアとはエンチャンターを統括する組織で、活動拠点は世界中に点在している。

 エンチャンターの社会的地位を保持、救済を主な目的とし、エンチャンター専科の全ての学校の運営管理にも携わっている。

 当然、夜ノ島学園もこれに該当する。

 にもかかわらす、堂々と地下に監獄を設け、透哉たちを囲っているあたりからも園田の太巻き具合が窺える。

 同時にメサイアはエンチャンターが関与する事件事故も管轄している。

 そして、一般人では手出ししづらい案件を多数受け持つ部署こそが〈悪夢〉討伐隊と呼ばれる執行委員会である。

 一口に〈悪夢〉討伐隊と言っても内情は様々である。メンバーごとに役割は異なるが一貫して戦闘及び潜入に長け、一般に密偵や暗殺者に分類されるものが多数である。

 これらの知識は全て園田を介して知ったものだ。


『随分よそのことに詳しいんだな。スパイでもいるのか?』

『君にしては鋭いね。その通りさ。私直属の部下を一人潜入させてある』

『そいつはご苦労なことだ』


 あの時は適当に聞き流した話だが、今になって敵地で働く園田の部下とやらを労いたくなった。

 メサイアは十年前の事件以降躍起になって活動する兆候が見られたが、魔の手がこんなに身近に迫っているとは夢にも思わなかった。

 園田の思いもよらない暴露に驚愕こそしたが、それ以上のことは思わなかった。

 浮足立って狼狽えたりもせず、事の重大さを斟酌して算段を立てる。

 今を悲観せず、逆にこれまでがうまく行き過ぎていた事実を自らに言い聞かせる。

 この転換と取捨選択の早さは十年間に培ったものである。

 伸びてくるメサイアの魔手、その手先であるホタル。

 プレハブ小屋の前まで帰ってきた透哉は屋を見上げながら思いつつ、


(ここが見つかるのも時間の問題か……?)


 階段に足をかけたところでふと疑問が浮上した。

 ホタルはどうして今まで静観していたのかと。

 カンカンと階段を踏みしめる音を耳にしながら何故今になって急に間合いを詰めるようにアプローチをかけてきたのかを考える。


「……まさか」


 一つ思い至る節があった。

 今から約一年前。

 透哉がホタルと初めて顔を合わせたときのことだ。

 あの時のホタルの表情は今でも克明に覚えている。

 白昼に幽霊にでも遭遇したみたいな顔。

 相手への礼儀や周囲への配慮さえ忘れてありのままを晒していた。全く心当たりのなかった当時の透哉は「妙な奴だ」とだけ思いあまり深くは考えていなかった。

 しかし、ホタルは初対面の時点で透哉の正体に気づき、訝っていたのだ。


「――だったら何でもっと早くに行動に移さなかった?」


 疑問を口にしながら、頬を汗が伝う。

 もしホタルが確信を得るために時間を要していたとしたら?

 もしホタルが準備段階を終え確信を得ていたとしたら?

 本格的に行動を起こし、踏み込んでくる可能性が風船のように膨らんでいく。

 さすがに周囲を憚らずに暴れるような真似はしないだろうが昨日のように二人で鉢合わせをするようなシチュエーションになったことを想像すると背筋が寒くなった。


 透哉は手早く準備を済ませると足早にプレハブ小屋を出た。

 きっかけはあったのに見逃していただけだった。妥協を許されない決意を前に些細な取りこぼしも命取りとなる。


「でも、しょうがないよな……みんなが襲ってくるんだから」


 少年は呟く。無垢で正当防衛の意味さえ知らなかった頃のように。


「向こうからくるなら遠慮はなし、だよなぁ?」


 少年は呟く。穢れて正当防衛の意味を知った上で、それとは程遠い理由で。

 学園の中腹、瓦礫野原の最中で足を止め、軽く目を閉じた。


「エンチャント――『雲切くもきり』」


 そして、目を開くと同時、右手が虚空を掴み、一振り。

 無駄のない挙動を追って風を切る音が微かに響く。

 直後、傍らの背丈ほどのコンクリート片に直線が走り、そこを境界に二つに両断された。

 揺るぎない純な破壊力は二度と自衛手段としては振るわれない。

 立ち塞がる者を屠る逆上の牙でしかない。


「……ホント、何も変わってねぇな」


 崩落する瓦礫には目を向けず、視線を虚空に這わせながら歯噛みし、自嘲した。

 あの日以来この『眼』も『雲切』も封じてきた。

 にもかかわらず何一つ変わる気配はない。

 衰え知らずの技量と破壊力。

 容易く整う臨戦態勢。

 それは封印していたはずの殺戮者としての資質の呆気ない回帰だった。

 誰かを手に掛けることへの躊躇も、仲間殺しへの抵抗も含まれていなかった。

 敵は殺す。

 十年前に培われた冷徹な感性がゆっくりと鎌首をもたげる。


「これで最後。あと一人だけ……誰にも邪魔はさせない」


 まるで不要なものを選別してトレーにでも移し替えるように、殺すべき敵の中にホタルと言うクラスメイトを加える。

 そんな悪夢のシフトに透哉本人は気づかない。

 そこに疑問を抱けないほどに透哉は擦り減っていた。

 透哉の色のない視線は堆積した瓦礫と空の境界線を彷徨い、その消失点で催眠が解けたみたいに色を取り戻した。


「そろそろ学校行かねーとな」


 透哉はうわごとのように一言漏らすと静かにその場を後にした。

 中途半端な覚悟を捨て、破滅の決意と共に。


『……っ』


 その時背後に誰が潜んでいたかも知らずに。

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