第1話 歪み始めた日常。(6)

6.

 透哉は中等部の運動場を比較的ゆっくりとした速さで歩いていた。

 ここはホタルを発見した場所からは直線で二百メートルは離れている。

 ホタルがこちらを察知して追いかけてきても簡単に追いつける距離ではない。障害物が邪魔で直線で追走できない時点で実寸よりも長い距離を得ているのだ。

 本来の敷地の広さや立地、瓦礫の大まかな配置を把握し、地の利を生かして逃げることができる透哉に圧倒的に分がある。何らかの魔道具を用いれば距離は大したアドバンテージではなくなるが、その場合はこちらにも備えはある。

 透哉は顎に手を当てて考えてみたが、元来物を考えることに向いていないらしくうまくまとまらない。


(あとで園田に聞いてみるか……)


 事態を軽く先送りにして平常通りの帰路へと戻る。

 中等部の運動場には先ほどとは違う種の惨状が広がっていた。

 直角に曲がったまま地面に立っている外灯の下を潜り敷地に踏み込むと突然日影ができた。

 頭上にはドーム状の屋根が下に向かって盛り上がっている。これは隣の高等部用の体育館屋根が何らかの力で屋根ごと吹き飛ばされ、校舎との間に跨って引っかかっているからだ。そのせいでこの一角だけは常に薄暗いアーケードになっている。

 体育館本体は片側の壁が完全になくなっていて斜めに切り落とされたケーキのような有様だ。

 肯定的に見ればモダン建築と呼べなくもないアーケードを抜けると高等部の運動場に出た。先の二つの運動場よりかは幾分マシで校舎の一棟が横倒しになって散らばっていることを除けば飛来してきたコンクリートや残骸が疎らに転がっている程度だった。

 亡霊のように立ち尽くす校舎の影を抜けると学園の裏門が見えた。正門から裏門までは軽く見積もっても五百メートルはある。

 瓦礫の合間を縫ってここまで踏破した透哉の前に目的の物が姿を見せ始める。

 砂漠の真ん中に木が聳え立つように、その建物は瓦礫野原の中にポツンと軒を構えていた。

 学園の最深部に忘れ去られたように、一軒のプレハブ小屋が建っている。これは学園の施設ではなく、解体業者が後から建てたもので、重機同様に敷地内に放置されたものだった。

 しかし、現在は透哉に住居として使われている。

 レンガ色に染まるプレハブ小屋に向かって歩きながら透哉は難しい顔で唸る。

 道中、透哉が考えるのはホタルのことばかりだった。


(あれは興味本位でした質問じゃない……確実に何かを掴んでいる。揺さぶり探るような目だった)


 源ホタル、同い年で一年から二年続けて同じクラスの透哉の友人。学園では比較的浮いた存在である透哉にも分け隔てなく接する変わり者と言えば変わり者。

 出席番号の関係で隣の席になった縁でよく話すようになったどこにでもあるような間柄。

 それがこの数分の間に得体の知れない何かに変貌しつつある。

 こんな朽ちた学園の敷地内に平気でいること、恐れなど微塵も感じさせぬ挙動、どちらを取っても通常の学生にはあり得ない。透哉が言うのもなんだが、ホタルは奇妙な気配を放っていた。

〈悪夢〉

 校門前でホタルが透哉に尋ねた言葉。

 それは十年前を境に浸透した言葉で一般的に罪を犯したエンチャンターの蔑称として使われる。言葉自体に問題はない。透哉が危惧しているのはそこではない。

 問題なのはホタルが〈悪夢〉をゴシップのいたずらではなく現実の存在として認知している点。

 世間的に風化した惨劇を今でも追い続けているのが何よりの証拠だった。

 加えて、ホタルを含む不確定な勢力が夜ノ島学園に近づいている可能性も否定できない。


「気付いていないだけで他にも何かいるのか?」


 誰か、と限定せず曖昧に呟く。

 何でもないぼやきのつもりだったが、透哉自身がその言葉に動揺していた。

 一端を担ぐものとして、これ以上学園の暗部へとコマを進められるのは好ましくなかった。

 噂などとは違う現実味が暑さとは違う理由で透哉を発汗させる。


「少しの間、様子を見てみる……かな」


 透哉は妙なもやもや感を拭えないままどこか悠長な独り言と共にプレハブ小屋の側面に回る。古ぼけたアパートにあるような鉄の階段が外壁に沿って二階まで伸びている。

 手すりに手を乗せた瞬間、不意に上から声がかかった。


「お帰り透哉。遅かったのね?……ヒヒッ」

「――!?」


 透哉は目を剥き、声がした方を見上げる。無人のはずのプレハブ小屋、その二階の一室の窓から何者かが身を乗り出して透哉を出迎えた。長い黒髪を揺らし、額に血の滲んだ包帯を年中巻いている和人形のような少女である。

 家主である透哉(実際は違うが)を図々しく応対するのはクラスメイトの草川流耶。


「遅かったじゃないだろ……不法侵入だぞ?」


 突然の声に驚きはした透哉だったが、それ以外に驚いた様子はない。今放った言葉も呆れこそ混ざっているだけで流耶がここにいることへの疑問は抱いていなかった。


「いいじゃない? 私と透哉の仲なんだから?」


 侵入者である流耶は言葉とは裏腹に友好的かどうか怪しい笑みを浮かべながら透哉を迎え入れる。


(ったく……)


 頭上から降ってくる流耶の言葉を聞き流しながら透哉はきっちり施錠されていた二階入り口を潜った。


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