第1話 歪み始めた日常。(5)
5.
矢場の手伝いは十分ほどで終わった。
追加で仕事を申し付けられることを半ば覚悟していたが、デッキブラシを運ぶとあっさり解放された。
『お疲れさま。さ、明日の掃除に備えて今日は休みなさい』
別れ際に不吉な言葉を聞いた気がしたが忘れることにした。
学園を離れて徒歩十分。
民家が疎らになり人気が失せた山道の入り口。『立入禁止』の看板がぶら下がったロープを前に透哉は足を止めた。
念のため周囲をキョロキョロと見回し、フェイクでぶら下げてある看板を堂々と跨ぎ、すぐ脇の茂みに入り込んだ。迂回と言うか、正規の道を使えば回り道にはなるが整備された山道がちゃんとある。
それを承知でこの道を選ぶのは人目を憚りたい理由があるからだ。
人一人がやっと通れるほどの広さしかない急勾配の抜け道を這うように登る。
蜘蛛の巣や伸びた枝の応酬がなければ言うことないのだがそこは自然の愛嬌として受け取るほかない。
坂を上り終え、ヤマアジサイの枝を押しのけると開けた場所に出た。振り返ると登ってきた道が細く麓まで続いていてその少し遠くに夜ノ島学園が見えた。それ以外は送電線の鉄塔や山肌に点々と建った空き家くらいしか目につくものはなかった。
のどかな景色にセンチメンタルに似た感情を覚えかけるが、ハッと我に返る。
自分が今更何の感傷に浸れるというのか、自虐的に考えながら落ちていた枯れ枝を踏み砕き姿勢を九十度反転させる。そこは左右を木々に囲まれた山道の中腹で透哉が使った抜け道はこの道へ横から合流する近道だった。
そして、十年前の事件以降、誰も寄り付かなくなった場所への入り口でもある。
道は舗装されていたが整備がされておらず各所に走る亀裂からは草花が吹き出し、木の根に押し上げられたアスファルトが波のように盛り上がっている。
遠目にはアスレチックみたいにも見えたが、遊びの要素は一つも含まれていない。人工物が年月によって自然にあっさりと打ち負けた証拠でしかなかった。
そんなくたびれた景色の向こうに大きな鉄門が立ちふさがっていた。
『国立夜ノ島学園』
門柱に刻まれた文字は風化して読みにくいうえ、あちこちに蜘蛛巣が張る始末だった。肝心の門までもが錆に浸食され、後から巻かれた有刺鉄線に支えられるようにして形を保っている。
魔王の城を思わせる構えにも臆することなく透哉は歩を進め、錆びて崩れ落ちた歯抜けの格子の隙間から中に侵入する。
透哉は乾ききった足音を聞きながら溜息をもらす。
周囲を木々に囲まれながら鳥は愚か虫の鳴き声すらしない。死に絶えてしまったみたいな静けさの中をやはり臆することなく進み、間もなく足を止める。
目の前に立ちふさがるかつて校舎だった瓦礫の山。
わずか半日で崩壊した学び舎は当時の面影と爪痕を残したまま初夏の夕日に包まれていた。数えきれないほどこの景色を見てきたが何度見てもあの日の悪夢が蘇り、一向に慣れることができなかった。
瓦礫の山を迂回し、砂利のように敷き詰められたガラス片を踏みながら脇に回ると人が一人通れるほどの穴がのぞいていた。むき出しの鉄骨とコンクリートが折り重なって偶然できた今にも崩れ出しそうなトンネルだった。
いつも通りの経路をたどり透哉は校舎の群れを抜けると運動場だった場所に出る。
一口に運動場と言ってもこの国立夜ノ島学園には小等部、中等部、高等部にそれぞれ一つずつ運動場が整備されていた。
今透哉がいるのが小等部の運動場に当たる。
この場所もあの日激戦の舞台となった一つである。無数にできたにクレーターは運動場のほぼ全域にわたり、平坦な場所の方が少ない。さながらたこ焼き器のような有様だった。
密集地帯で戦車が暴れ回ったとしてもこの規模の破壊は不可能だ。
そんな光景の中に普通の学園にはないものが無造作に置かれていた。濃い茶色の土を晒す窪地だらけの運動場の隅の方、まるで恐竜の亡骸のようにショベルカーやクレーン車と言った重機が放置されていた。
倒壊した校舎の撤去を依頼された業者があまりの惨状に気味悪がって作業を途中で投げ、そのまま乗り捨てていった物だった。
重機を横目に小等部の運動場を通り抜け、さらに深部へと進む――途中。
キャタピラ独特のトタン状の轍を踏みながら、透哉はある異変に気付いて首を傾げた。
(扉が……ない?)
透哉が通ってきた瓦礫山のトンネルとは真逆の比較的形が残った校舎、その昇降口の扉がなくなっていた。
透哉は記憶違いか、と思いかけたが即座に否定した。この場所を誰よりも知る透哉が間違うはずがなかった。それを裏付けるように無残に破壊された扉の残骸が横たわっていた。
自分以外にこの場所に出入りする異常者がいることになる。
今までの十年間で一度もなかった事態に透哉の顔が自然と強張る。十年前に捨てた異常者としての形相がじんわりを浮かび上がる。
気配と足音を殺して近寄ると真新しい靴跡が残されていた。恐らく革靴、それも透哉の物より小さい。耳を澄ますと少し遠くから微かに足音がする。靴跡は校舎内へと続いていたが透哉はそれを直接追わずに校舎の外壁に沿って追跡する。
「――?」
小さいながら一定のペースで刻まれていた足音が変化した。どうやら校内の一室に入ったらしい。変化した反響音を頼りに透哉は足音の主がいると思し教室の前まで来た。
息を殺し、砕けて歪んだ窓の隙間から中を覗き、透哉の顔から険が僅かに取れる。ありとあらゆるものが山積した煤まみれの教室の中、割れて半分がなくなった黒板の正面に足音の主はいた。
腰まで伸びる銀髪に夜ノ島学園の女子用の制服。
その特徴だけで透哉には分かった。
(なんだ、源か……っ)
安堵し、一瞬で状況を思い出す。
ここは十年前の惨劇の跡地で、現在表向きは封鎖されている場所だ。
ついさっき校門の前で分かれたクラスメイトの源ホタルが存在することは絶対ありえないのだ。
手配写真の中に友人を見つけてしまったぐらいの衝撃が透哉を貫く。
――何が目的だ?
そう思いかけて即座に思い当たる節がった。
(まさか、〈悪夢〉の手掛かりを探しに来たのか?)
クラスメイトとして付き合いがあるとは言え、透哉はホタルのことを深くは知らない。それは透哉とホタルの交友関係が浅いからではない。
理由は夜ノ島学園そのものの形態にある。
現在の夜ノ島学園は高等部だけに層を絞っている。そのため多数の生徒が初対面の状態から学園生活を始めることになる。加えて元が特殊な事情で集められた生徒たちである。そこに過去を詮索しない風潮が根付くのはごくごく自然な流れなのである。
だからホタルが透哉の知らない側面を持っている可能性は十分にあり得た。
現に目の前にいるホタルが透哉はおろか、他の生徒だって知らないホタルである可能性は極めて高い。
透哉は改めてホタルの様子を観察する。
やはり帰宅前に興味本位で立ち寄ったにしては横顔が物々しい。偶然迷い込んだとは考えにくい。仮にホタルがオカルトマニアや廃墟マニアだったら合点もいったが、そんな趣味聞いた覚えはないし、噂を耳にしたこともない。
そもそも、人が多数死んだ場所に女子が単独で足を踏み入れて黙々と散策している時点でおかしい。
惨劇の当事者である透哉の本能が警鐘を鳴らす。
両者の距離は十メートルほど。ホタルは教室内を軽く眺めると何をするでもなくすぐに隣の教室へと移動した。その挙動に恐れや迷いと言ったものは介在していない。大の大人でも不安で冷静を保てない場所を悠然と歩く。単に肝が据わっているのか、それとも相当の場数を踏んでいるのか。
その背を影で覗き見ることに背徳感を覚えつつ、いくつかの考えたくない可能性が浮上してくる。
とにかく今この場で気軽に声をかけられる状況ではなかった。考えられない不測の事態に発展する危険性さえ孕んでいた。
透哉は音をたてないように静かにホタルから離れ、その場を後にした。
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