*


 ……あれ、あのふたり。なんか、ちょっと雰囲気が変わった……っぽい?

 友人たちと他愛ないおしゃべりをしながらトイレから帰ってくる道すがら、晄汰郎の幼馴染だという統吾――確かそんな名前だったはずだ――とよく一緒にいる女子ふたり組の近くを通りかかった詩は、彼女たちから受ける印象に変化があったことに気がついた。

 つい二~三日前までは、よく言えば華やかな、言葉を選ばなければ〝上〟の子らしい独特の存在感を放っていた彼女たちだったけれど、今はジャージのせいか、髪型こそ洒落ているものの、ふと例の独特の存在感が中和されているような……そんな気がしたのだ。

 とはいえ、そういう詩も、四時起きでばっちりメイクを施し、髪型も歩くのに邪魔にならない程度にオシャレを意識してひとつに結っているので、人のことをとやかく言える立場ではない。しかし、それでもどこか自分たちとは違うような気がしてならないのだ。

 どこだろう? と、ひとり頭を捻りながら、女子生徒がひしめき合うグラウンドを友人たちと連れ立って歩く。なんとなく学年別に分かれているグラウンドは、三年の学年カラーの紺に近い青色と、二年の臙脂えんじ色、一年の緑色の三色に綺麗に分かれていて、そこがなんだか妙に序列を思わせて面白い。

 しかし詩たちも当然、二年の女子生徒が固まっているエリアの後ろのほうに固まり、スタート前の最後のおしゃべりに興じる。緑に臙脂が混ざっても別にこれといってなんともないが、さすがに青には混じれない。気持ち的に、なんだかそんな感じである。

 前に少しだけあいさつをした香魚は、優紀とともに臙脂エリアの真ん中あたりに。例の彼女たちも、そのすぐそばに位置取りを決めていて、詩たちの周りには、文系の部活に入っている子や帰宅部の子など、体力にあまり自信のない面子めんつが集まっているようだ。

 詩ももれなくそうなのだが、しかし詩は、友人たちの誰がリタイヤしようと、絶対に完歩すると決めている。なんとなく後ろのほうに来てしまっただけで、やる気の部分では、もしかしたら臙脂エリアの前のほうにいる子――いや、さっき拡声器で呼ばれた上位を目指している子、いやいや、一位を目指して歩いている晄汰郎よりも強いかもしれない。

 だって、いつから自分のことが好きだったのかを教えてもらえる条件が完歩である。あのときは『グラウンドの脇の道を通って帰る姿を見つけたときから』と、はぐらかされてしまったけれど、完歩すれば教えてもらえるのだから、そこは俄然、気合いも入る。

 晄汰郎に構ってもらえず寂しいけれど、そのぶん、完歩へ向けてのモチベーションは、木曜日から順調に高まり続けている。

「そういえば、詩の彼氏、夜行遠足中も、ちょこちょこ連絡くれたりしてるの?」

 友人のひとりに聞かれて、詩は、もやっとした笑顔とともに、ふるふると首を振った。

「ううん、それがまったく。一位目指してるから集中して歩きたいとか言って、こっちから送っても全然相手してくれないんだよ」

 いやあんた、その言い方……。あんたもクラスメイトなんだから普通に名前で呼ぼうよそこは、と心でツッコミを入れつつ、宣言どおりひとつも連絡をよこさないゴリラ坊主を思い浮かべて、詩はため息を吐き出した。

 真面目で実直なところが好きだ。当然のように熱くなるところも格好いい。そんな晄汰郎と付き合っているなんて、いまだに、ちょっと信じられないくらいである。

 けれど、もうちょっと構ってくれてもいいんじゃないか、と詩は思うのだ。まだ日は浅いが正真正銘の〝彼氏と彼女〟なのに、ちょっと冷たすぎやしないだろうか、と。

 あの日、木曜日の放課後、体育館裏で照れながら〝答え合わせ〟をしたときの可愛い晄汰郎はいったいどこに行ってしまったというのだろう。幻だったなんて思いたくない。

「えー? すごい真面目だねぇ。まあ、そういう人だって、みんなわかってるんだけど」

「真面目っていうか、むしろ真面目すぎてバカなんじゃないかって思うよ……。どうせやるなら一位を目指したい気持ちもわかるけどさ、キュンが足りないんだよ、キュンが」

「ああー……」

 同情のこもった相づちが、耳に痛い。

 ほんと、キュンが足りない。この中にどれだけの子が想いを実らせたのかはわからないけれど、自分以上にキュンが不足している子はいないんじゃないかと本気で思ってしまうレベルで、とにかくキュンが足りない。

 男子は体力と気力が勝負なので、甘い恋愛ごとに割く時間があるなら、少しでも自身の回復に努めたい気持ちはおおいに察せる。まして、本気で一位を狙っている晄汰郎なら、毎年上位に名を連ねる強者もいるので、一瞬たりとも気は抜けないだろう。

 でも、彼氏と彼女なのに。そう思うと、眉間に深いしわが寄る。なんだか、リア充どもめ爆発しろ、みたいな気持ちにもなる。

 あいつ、本当に私が好きなんだろうか?

 考えてもキリがないことだけれど、こうも連絡を総シカトされてしまえば、詩は嫌でもそんな疑いを持ってしまうのである。

「あ。詩のスマホ、震えてない?」

「え? あ、そう?」

 すると、もうひとりの友人が詩のジャージのポケットを指さして教えてくれた。

 基本的に携帯端末の類いは背中のリュックに入れておくことになっているが、みんな、急に具合が悪くなったときにすぐに救護の先生を呼べなくて困るから、という理由でジャージのポケットに入れている。夜行遠足前は学校の電話番号と救護車に乗る先生の携帯電話番号を登録したり、確認したりする。もちろん詩もそのとおりだ。ハンカチと一緒に入れていたので、どうやら振動が体に伝わってこなかったらしい。急いで取り出す。

「……は?」

 しかし、画面を見た詩は、真っ先に疑問符を口にしてしまった。……あり得ない。こっちはまだスタートすらしていないのに。

「え、なになに、どうしたの?」

 驚きをあらわにしたまま固まっていると、周りの友人たちが詩の手元を覗き込む。

 と、そこには――。

【一位でゴールした。これから南和に行く】

 たったそれだけの簡素な文が書かれていて、しかもこれから、男子のゴールの碁石から女子のゴールの南和まで行くとある。

 まあ、南和は碁石までの途中にあるので戻ればいい。帰りも当然、迎えに来てくれた家族の車で帰るから、そこも問題ない。

 ただ、次にポコンと届いたLINEには、

【歩いて戻れば、宮野がゴールする時間にちょうどよくね? そこでりんごやる】

「体力底なしか……」

 気の抜けたツッコミしか入れられない。

 篠宮晄汰郎という男は、いったいどんな男なのだろう……? 詩は改めて思う。

 とんでもない男と付き合っていることだけは確かにわかるのだが、バカなんだか、なんなんだか、もうわけがわからない。

「あら~、お熱いね~」

「あ、でも、もしかして、このために一位を目指してたんじゃない? 早くゴールして詩を迎えに行きたかったから頑張ったのかも」

「そ、そう……なの?」

「いや、よくわかんないけど、なんかあの人なら普通にやりそうな気がする」

「ああ~!」

 そう推理した彼女の言葉に、周りの友人たちの妙に納得した相づちが綺麗に重なる。

「……」

 ったく、ほんとにもう……。

 詩は気を抜くと緩みそうになる口元を必死に引き締め、心の中で盛大ににやけた。

 結局のところ、ゴリラ坊主の晄汰郎が考えていることは、詩にはやっぱり、まだ今ひとつわからないのが現状だ。でも、自分に向けられている好意の大きさだけは嫌でも胸に響いてくるから、ほとほと参ってしまう。

「……私、めちゃめちゃ頑張っちゃおっかな」

 スマホをぎゅっと胸に抱き、ぽそりと言うと、そのとたん、友人たちにわっと抱きつかれた。口々に「頑張って!」「歩くのが遅かったら、うちらのことは置いていっていいからね!」と紅潮した頬を持ち上げて言う彼女たちに「うん、うん!」と頷き返しながら、詩は特大のキュンを噛みしめる。

 最高の友達と、最高の彼氏。計算したり自分を偽ったりすることなんて、この人たちの前では必要ない。そんな仲間たちに囲まれて、詩はもう、満面の笑みを隠しきれない。

 少し雰囲気が変わったように思えたあの彼女たちも、もしかしたら、この数日間でなにかきっかけがあったのかもしれない。

 そうだ、今度話しかけてみようかな。話したことはないけど、仲良くなれる気がする。それに、晄汰郎は統ちゃん――統吾と幼馴染なんだし、これからなにかと話す機会も多くなるかもしれないんだから。

 そんなことを思いながら、詩は改めて完歩に向けてのモチベーションをぐんと上げる。

 南和のゴールまで迎えに来てくれる晄汰郎の胸に飛び込むイメージは、もう完璧だ。

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