そうして三日が過ぎた金曜日。くるりは、いよいよ放課後の時間を迎えていた。

 幸い、カラオケの席を途中で抜けても統吾も杏奈も特に変わった様子はなく、翌日の水曜日から今日までの間も、いつもどおり五人で集まってだべっては、くだらないことで笑い合う、という平和な時間が続いている。

 話のネタに上るのは、相変わらず猿渡と彼にお守りを渡していた陸部の彼女のことだった。意地でも聞き出したい統吾たち男子三人と、意地でも口を割らない猿渡との攻防は、もうかれこれ、丸々一週間である。

 それしか話題がないのか、とは思う。でも実際、残念ながらそれしかない。杏奈のほうも、けっこうだいぶ飽きてきているようではあるけれど、話を振られればそれ相応の対応をしているところを見ると、実は彼女も密かにその後が気になっているようだ。

「猿渡め。いい加減、白状しろよなー」

「もう明日だろ? 気になって歩けなかったらどうしてくれんだよ、猿渡のやつ」

「あはは。統ちゃんたち、どうせ半分も歩かないくせに、なに言っちゃってんのよー」

 例のごとく廊下の窓際でグラウンドを見下ろしながら五人で固まっていると、最初に統吾がぼやき、瑞季、杏奈の順で絶妙な掛け合いが生まれた。雄平はしきりに窓の外を気にしていて、キョロキョロとグラウンドの端々に目を走らせては、どこに猿渡と彼女がいるだろうかと血眼になって探している。

 まったく、この人たちは……。

 くるりは思わず苦笑してしまう。

 やることがそれしかないのは、自分だってその輪の中の一員だし、野暮だからやめなよとも言わないのだから同類だけれど、逆にそこまで興味を持続できる持久力に感服する。皮肉でもなんでもなく、けっこう羨ましいかもしれない。熱くもならず冷めもせず、周りに合わせながら学校生活を送ってきたくるりにとって、そこまでひとつのことに傾注できる彼らが単純に微笑ましいのだ。

 でも、私も。

 鞄の中に入れてきたお揃いのお守りを思い浮かべ、くるりはぎゅ、と握りこぶしを作った。話が途切れたタイミングで「実はみんなに渡したいものがあるんだ」って教室に誘おう。くるりはそんな算段をつけ、さっきからひとり、にわかに緊張しているのである。

と。

「あ、悠馬じゃん。おーい!」

「おー、杏奈。それにみんなも。クラスが離れてからは話すのけっこう久しぶりだよね」

 タイミングをうかがっていた、まさにそのとき、廊下の向こうから歩いてきた男子に気づいた杏奈が彼に向かって手を振った。

 去年同じクラスだった一松悠馬だった。今は剣道部の副主将だそうだ。しかし、剣道の腕は立つものの、ちょっとばかし良くない噂も聞く、なかなかに癖のある男子である。

 とはいっても、具体的なことは、くるりは詳しくは知らない。ただ、彼に想いを寄せている女子を天にも昇る気分にさせたあとに、しれっと地獄に落とす、という下衆げすな趣味があるとかないとかで、特に夜行遠足が近いこの時期は泣かされる子が多発するとか。

 しかし反面、スポーツマンらしい物の考え方や行動力も普通に兼ね備えているので、その点では気持ちのいいやつだ。くるりも別に嫌いじゃない。ただ恋愛対象にはならないだけで、友達として付き合うなら、悠馬はやっぱり普通にいいやつなのだ。

「副主将なんだって? すごいじゃん」

「うん、まあね」

 くるりも軽く世間話をする。気さくに応じる悠馬は、やっぱり普通にいいやつだった。

 あれ、あの子……?

 すると、ふと視線を向けた先に、こちらの様子をうかがっているひとりの女子の姿が目に入った。見覚えがあると思ったら、火曜日にカラオケで統吾や杏奈が少しだけ話題に出していた、隣の隣のクラスの彼女だった。

 教室の戸から顔を半分だけ覗かせている彼女は、こちらを見ているというよりは、どうやら悠馬を見ているようである。

 ああ、なるほど。と合点がいく。

 あんまりおすすめはできないけど、頑張ろうっていう気持ちは素直に応援できるし、私もだから共感できるし、と数瞬悩んだくるりは、折を見て統吾たちの背中を押し、

「ほら、もう部活なんだから」

 と、彼らを自分たちの教室へ撤退させた。

 あとは彼女次第だ。

 相手が相手だから胸を張って応援できないのが申し訳ないけど、私にも頑張りたいことがあるから、お互いにベストを尽くそう。

 そう心の中で彼女にエールを送り、くるりは静かに教室の戸を閉める。

「なんで中に入んの? せめてグラウンド覗こうぜー」とぶうたれる統吾に「まあまあ」と返し、今頃、悠馬にお守りを渡しているかもしれない彼女の頑張りに負けないよう、くるりも鞄から揃いのお守りを取り出す。

 よし、と心を決めてトランプカードのように五つのお守りを扇状にして見せると、四人の反応はびっくりするほどそっくりだった。

「え、どうしたの、それ?」

「俺らにくれんの?」

「マジで?」

「どゆこと?」

 四人とも、まさかくるりがお守りを作ってくるとは夢にも思っていなかったのだろう。目を丸くし、口をぽかんと開け、数秒の間を置いてから各々が驚きの第一声を口にする。

 いきなりのサプライズなので、まあ無理もないけれど、それにしても、連帯感が強いというか、連携が抜群というか……。杏奈、統吾、瑞季、雄平の順で口を開いたのだが、それぞれが絶妙に違うニュアンスで尋ねているので、いっぺんに説明できそうである。

 赤のギンガムチェック。本命の証であるそれと、くるりの顔を何度も見比べながら驚いた顔を崩さない四人に、くるりはクスリと笑って、ここまでに至った経緯を説明する。

「……実は私、今年の夜行遠足は、みんなで完歩を目指したいと思ってて。ずっとモヤモヤしてたんだ。みんなでダラダラするのも、もちろん楽しいけど、なにかひとつくらい本気で頑張りたいなって。みんなで頑張ったらきっともっと楽しいんじゃないかって」

「それで作ったの……?」

 杏奈に尋ねられて、神妙に頷く。

「私ね、前に一度、手芸店に行ったの。でも生地は買えなかった。なにも頑張ろうとしてないのに買えるわけがないよ。でも、陸部の彼女もそうだったけど、それを当たり前に手に取れる子が羨ましくって。私、イベント事って実はけっこう好きなんだけど、この機に心機一転してみたいと思ったんだよね」

 バクバクと高鳴る心臓の音を耳の奥で感じながら、ぐるりと四人を見回す。どういう反応が返ってくるかは、賭けだと思っていた。

 統吾は『割に合わないことはしない主義』だと言っていたし、瑞季も雄平も、そうだろう。杏奈だってリタイヤするにはどの地点が妥当か頭を捻っていたし、一緒にいたらよくわかるけれど、運動が得意なほうでもない。

 四人はもともとリタイヤする気満々なのだから、前日になってやっぱり完歩したいだなんて言われても、困るだけかもしれない。しかも本命お守りまで渡されたら、逆に強制されているように取られても仕方がない。

 でも、悪あがきさせてほしい。中途半端な自分はもう嫌だ。頑張ることを頑張りたい。私にはやっぱり一生懸命が性に合うから。

「うん。確かに。興味がないふりをしてたけど、私も普通に生地を買える子が羨ましい」

「まあなあ。それをもらえる男も普通に羨ましいわ。俺らなんて、なんもねーし」

 すると、杏奈に続き、統吾もそう言って瑞季や雄平と顔を見合わせた。ふたりとも統吾の言葉に苦笑したので、思い当たる節があるようだ。バツが悪い顔で、こくりと頷く。

「あ、でも、絶対に完歩しなきゃダメってわけじゃないの。完歩するんだって気持ちで、みんなで歩きたいの。……まあ、本気で頑張ったところで、報酬がたったのりんご一個じゃ割に合わないけど。でも、みんなでこの本命を持って、ちゃんと頑張ってみることってできないかな? 私の変なお願いに付き合わせちゃってごめん。でも、あのっ……」

 感触の悪くない四人の反応に頬が持ち上がったくるりだったが、しかし、それ以上は声に詰まって言葉にならなかった。静かに注がれ続ける四人ぶん――八つの瞳に、いい加減緊張が高まりきり、くるりは自分でも無意識のうちに息を止めてしまったからだ。

 声を発する者がいなくなった教室が、まるで夜の静寂(しじま)のように、しん、と静まり返る。

 バクバクという自分の心臓の音が耳元でやけに大きく聞こえて、たまらずゴクリと唾を飲み下す音さえ、その音にかき消されてしまうような、耳に痛い静けさが教室を包む。

「ふふっ。ていうか、くるりさ、そんなに思い詰めた顔をしなくても、誰もくるりのことをバカにしたりするわけないじゃん」

 すると、沈黙を破って杏奈がくぷっと吹き出した。思わず「え……?」尋ねると、彼女はくるりの手元のお守りを指さし、

「で、私はどれをもらっていいの?」

 可愛らしく小首をかしげた。

「てか、いつお守り作る時間あったんだよ? 俺らに内緒で可愛いことしやがって。なんだよ、それならそうと早く言ってくれれば、どこらへんでリタイヤしようか、なんて話はしなかったのに。バカだなあ、くるりは」

「そうだよ。水臭せぇぞ、くるりー」

「ほんと、ほんと。で、俺のはどれ?」

 その直後から次々と上がった男子たちの声に、くるりは少しだけ彼らを見下してしまっていた自分をおおいに恥じ、それから、無性にこみ上げてきてしまった涙を指で払った。

 ごめん、みんな。それと、ありがとう。

「好きなの取って」

 そう言ってにっこり笑い、お守りを持つ手を威勢よく伸ばすと、我先にというように、四人が競い合うようにして、くるりの手の中からお守りを抜き取っていく。

 なんだ、変に悩むことなんて、ひとつもなかったんじゃん……。あっという間に抜き取られ、それぞれの手の中と、自分のぶんだけが残ったお守りをぐるりと見回すと、くるりはなんとも言えない気持ちに包まれた。

 まるで夢でも見ているような心地だった。ダラダラすることこそが本分みたいなところがあるみんなが、ひとりで勝手に熱くなった私に付き合ってくれるなんて……。

 そう思うと、嬉しい、ありがとう、と感謝する気持ちよりも、驚きと信じられない気持ちのほうがまだ若干、まさってしまう。

 でも、勇気を出して言ってよかった、お守りを作ってよかった、無事にみんなの手に渡って本当によかったと心から思う気持ちも、紛れもなく本物である。現にお守りを手にした四人は、見事に全員がふにゃふにゃと頬を緩ませていて、裏返してみたり、中を開けてみたりと、見るからにとても嬉しそうだ。

 そのときふと、廊下のほうから女子の高い声が聞こえた。きゃあ、きゃあと嬉しそうな声の感じからすると、どうやらさっきの彼女は悠馬にお守りを渡し終えられたらしい。

 爽やかな外見とは裏腹に、案外、下衆いところがある悠馬には、本命お守りはやっぱりあんまりおすすめできない。今は幸せを噛みしめているだろうけれど、一寸先は闇だ。

 でも、ダメだった場合でも、どうか引きずらないでほしい。自分のお守りをぎゅっと握りしめ、くるりはそう思う。

 恋愛面において悠馬はクズ以外のなにものでもない男だ。そんなクズを相手に流す涙なんて一滴たりともあってはいけない。ただ頑張った自分をたくさん褒めてあげたらいい。

 そしてまた、新しい恋をすればいい。

「ねえ、くるりがお守りをくれた記念に、みんなで写真撮ろうよ! くるりは気持ちだけでいいって言ってたけど、せっかくなんだから、がっつり本気出してみんなで完歩を目指そうよ! そしたら、めちゃくちゃ美味しいアップルパイ、くるりと私で作るから!」

 ひとり感傷的な気分になっていると、ぱちん、と手を打った杏奈がキラキラした目で提案した。はっと我に返ったくるりは、そこでようやく仲間たちへと意識を戻す。

「お、いいねえ! 撮ろう撮ろう!」

「じゃあ、くるりは真ん中だな」

「なんてったって、寂しい俺らに本命を作ってくれたミューズだからな!」

「え? なに、石鹸?」

「バーカ、女神だよ、女神。てか、いちいち説明させんじゃねーよ、恥ずいっつーの」

 そうして統吾たちも杏奈の案に乗り、くるりは、あれよあれよという間に中心になるように位置取りを決められてしまう。恥ずかしさのあまり、困惑しきった顔のままで真ん中になってしまったけれど、しかしくるりも、実はまんざらでもない気分である。

 やっぱりいいな、この仲間。

 気心の知れた仲というのは、こういうことを言うんだろうか。統吾たちといると、とにかく楽だ。でもその〝楽〟は、つい一週間前までの〝楽〟とは百八十度違う。

 誰かの本気に本気で応えてくれる熱さを内に秘めていたこの仲間たちは、きっと私にとって一生ものの仲間になるだろうな……。

 くるりの右隣で、カメラモードにした自身のスマホを掲げる統吾の楽しそうな息遣いを耳に感じながら。杏奈、瑞季、雄平のワクワクした雰囲気を肌で感じながら。

「じゃあ、撮るぞー。一足す一は?」

「にーっ!」

 ――カシャッ。

 くるりは、みんなの輪の中心で、あの頃のような満面の笑みを咲かせたのだった。

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