白岩くるり 1
卒業した母校の中学校に足を運んでから、三日。その日は時間も時間だったので無理だったけれど、翌日の放課後、くるりは例の手芸店で人数分の生地を買うことにした。
店のおばさんには「五人も渡すの?」とたいそう驚かれたが、自分も含めて五人の仲間でお揃いで持ちたいんです、と照れながらも説明すると、彼女は「とってもいい渡し方だね」と目尻のしわを深くして笑ってくれた。
そういうわけで、くるりの手元にはお守り作りのキットが五セットあるわけだけれど、チクチクと針を刺しながら、くるりは自分でも、こんなのはやっぱり私のキャラじゃないんじゃないかな、と何度も思った。けれどその気持ちとは裏腹にお守りを縫う手は一向に止まらず、気づけば水曜と木曜の二日間で、五つ。飾りもなにもないシンプルなものではあるものの、自分でも驚くほどのスピードで人数分のお守りを完成させたのだった。
母校の中学では、幸い顧問は以前と変わらず垣谷先生で、わりと本気で心配していたものの、くるりのことも覚えてくれていた。
突然の訪問に先生は最初、ひどく驚いた顔をしたけれど、すぐに相好を崩して歓迎し、一、二年生だけの新体制で活動を行っている後輩たちに「引退した今の三年生が一年生だったときの三年生で、県大会まで進んだ立役者だったんだぞ」とくるりを紹介する。
「そんなことないですって」
くるりは慌てて顔の前でブンブンと手を振って否定したが、垣谷先生は、そんなくるりを物言いたげな胡乱な目で一瞥すると、
「一年のときからベンチに入ってたのは白岩だけだったんだぞ? あのときのチームは確かに白岩を中心に回ってたんだ、今の三年の間じゃ、伝説の先輩になってるんだから」
「……で、伝説!?」
「そうだぞー。レジェンドだ、レジェンド」
と、なにやら大風呂敷を広げたような発言をして、くるりをひどく驚かせた。
けれど先生の言うこともあながち嘘ではないようで、先生とくるりと向き合うようにして整列している後輩たちからは、次々に「先輩たちからよく聞いてます」とか「部室に飾ってある、そのときの地区大会で優勝したときの写真を見て、いつも励みにさせてもらってます」なんていう、可愛らしくもちょっと胸がむず痒くなるような声が上がる。
レジェンドはさすがに話を盛りすぎだとは思うものの、自分が卒業したあとに入ってきた後輩たちからも、いつの間にか慕われていたんだなと思うと、じーんと胸に込み上げるものがあったのは言うまでもない。
むしろ今はこんなになっちゃってごめんなさい、と申し訳ない気持ちにすらなる。体型こそ変わってはいないものの、明らかに落ちた筋力や体力に、先生に注意されない程度に色を加えた髪、メイクに短いスカートは、後輩の誰かが言った〝集合写真に写っている頃の自分の姿〟とは大きくかけ離れている。今の私を見ても、なかなか励みにはできないんじゃないかと思うと、なんだかとても居たたまれない気持ちになってしまった。
だから、嬉しい反面、ただただ愛想笑いしか浮かばなかった。来てしまってから思うのもなんだけれど、こんなにも一生懸命に頑張っている後輩たちに合わせる顔がない。
「ところで白岩は、今日はどうしたんだ?」
やっぱりもう帰ろうかなと思っていると、そのタイミングで垣谷先生に聞かれた。先生を見ると不思議そうな顔をしていて、そういえば、とくるりもそこで、忘れかけていた本来の目的をようやく思い出した。
「あ、いや、久しぶりに体を動かしたくなったと言いますか、もうすぐ新人戦だし、みんな調子はどうかなーって思ったっていうか」
けれど、まさか『卒業するときに置いていったかもしれない〝なにか〟を拾いに来ました』なんて正直に言えるはずもない。とっさに訪問の理由を作ったものの、嘘だとバレやしないだろうかと妙にハラハラしてしまう。
しかしそこは、さすが先生だった。
「じゃあ、白岩もひと汗流していけ」
それだけを言うと、くるりと体格の近い子にジャージの下とシューズを貸すように指示し、その間にチームを振り分けはじめた。
「あの、本当にいいんですか……?」
しっかりハーフパンツをスカートの中に履き、シューズの靴紐も締めたものの、なんとなく聞かずにはいられずに尋ねる。アポもなしに訪ねてしまったこともあり、練習の邪魔なのでは、と今さらながら恐れ多くなった。
「いいもなにも、準備万端だろ。誰にだって無性に汗を流したくなるときがあるってもんだ。言っておくが、今年の新チームはちょっとすごいぞ? レジェンドでも歯が立たないかもしれん。存分に手玉に取られるといい。そのうちバカらしく思えてくっから」
「……あははっ。はいっ」
しかし先生はフン、と鼻を鳴らし、目尻のしわを深くしてニッと笑う。そんな先生に、くるりはもう声を上げて笑うしかない。
きっと先生には、くるりになにか悩みがあることなんて、とっくにお見通しだったのだろう。直接は触れないけれど、言葉の端々から教え子を思う気持ちがよく感じられた。
その後、行ったゲームでは、先生が言ったとおり、くるりは後輩たち相手に存分に手玉に取られ、レジェンドが形無しだった。
引退してからまともにバスケットのボールに触れていなかったせいで、ボールがあの頃の何倍にも重く感じられたし、あの頃は冴えていたはずの勘も読みもてんでダメ。目まぐるしく攻守が入れ替わるコートをバタバタとみっともなく走っていただけで、これといってなんの役にも立てないまま、一クォーター十分間があっという間に終わってしまった。
でも、そのうちバカらしく思えてきたのは本当だった。こんなところまで来て、後輩にめちゃくちゃいいようにされて、私はいったい、なにをしているんだろう? 悔しいし情けない気持ちも本当だったけれど、なんだかとても面白い気分だったのも本当だった。
「あはっ。あはははっ!」
しまいには、体育館の床に大の字に寝転がって大声を上げて笑ってしまう有り様だ。
滝のような汗と、一向に収まらない上がりきった呼吸。久しぶりに嗅いだボールのゴムの匂いや、ひんやり硬い床の寝転がり心地。
懐かしくて恋しくて、きゅっと胸の奥が詰まる。すっからかんになった心と体に、なにか別のものが注入されていくようだった。
一生懸命って、やっぱり最高にいいな。
後輩の子に「どうぞ」とスポドリを差し出されたので、起き上がって「ありがとう」と受け取りながら、額に汗の粒がびっしり浮かんだ彼女の顔を見て、くるりは思う。
あの頃の自分が感じていたように、楽しいけれど、ちょっとだけ不満もあるだろう。休みもほとんど部活に充てられ、満足に遊びに行くこともできないだろう。毎日死にもの狂いで汗を流すより、楽をしたいと思うことだって、一回二回じゃないはずだ。
でも、それでもやっぱり、一生懸命って最高にいい。格好いい。キラキラ輝いていて、涙が出そうなくらい、とても眩しい。
「……」
それに引き換え、私は……。
くるりは、一生懸命になりたいのに、それをどこかでダサいと思っていた自分がひどく恥ずかしかった。ちょっとの不満はあったけれど、あんなにも頑張った自分の三年間は、確かにこの体育館の中にあったのに。高校生になって、やっと念願叶って自由な放課後を手に入れたはずが、今ひとつ体や心に馴染みきっていないのは、ずっと自分の心に嘘をつき続けていたからだったのに……。
――やっぱり完歩したい。みんなで。
ゴクゴクと勢いよく喉にスポドリを流し込みながら、そうしてくるりは、やっと自分の心に正直に向き合う決心を固めたのだった。
「今日は本当にありがとうございました。いきなり訪ねてきたのに歓迎していただいて嬉しかったです。新人戦、頑張ってください。私も心機一転して、いろいろ頑張ります」
最後にそうあいさつをすると、後輩たちからの温かな拍手とともに、垣谷先生からも温かな拍手と眼差しがくるりに送られた。
何度も頭を下げつつ、すっかり温まった体で外に出ると、冷えた秋の空気が心地いい。
ふと見上げると、空は星月夜だった。深く吸い込んだ息は、くるりの肺の隅々まで行き渡り、胸の中までまっさらに浄化していく。
「……私、やっぱり、みんなでお揃いのお守りを持って、本気で完歩を目指したい」
ゆっくりと時間をかけて息を吐き出すと、くるりは改めて声に出してみた。統吾たちの前では口に出せなかった本当の気持ちは、言ってみれば、別段言い出しにくいもののようには思えなかったし、ごくシンプルだった。
こんなに簡単なことなのに、どうして今まで言えなかったんだろう?
そう思うと、ふ、と苦笑が漏れる。
「でも、まだ間に合うから」
そうだ、幸い今日はまだ火曜日だ。金曜まではあと三日。正味二日でお守りを作って、金曜の放課後に絶対にみんなに渡すんだ。
そう固く心に決めると、くるりは星月夜を見上げてふわりと満足げな笑みをこぼし、足取り軽く家路についたのだった。
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