赤い糸が見える薬

Mogue

赤い糸が見える薬

 カチャカチャ。

「予想通りの反応です。状態も安定しています。」

「色、体積、質量ともに予測通りだ。」

「やりましたね。」

「ああ。遂に完成だ。」


 ――――――――――


 ここは東雲ラボラトリー。職員が二人しかいないこの小さな研究所では、現代科学では眉唾とされているものを多く研究している。

『玉手箱』『消える魔球』『チャクラ』といった冗談のような研究の数々は、同業者の間では失笑と揶揄の的であるが、「浪漫がある」と研究に出資する好事家も少なくない。

 そのような荒唐無稽な研究ではあるが、一部の研究では多少の成果を上げて、現代科学に遠回りながら貢献していたりもする。

 そんな東雲ラボの最新の研究である、『赤い糸』も大詰めを迎えている。

「さて、柊くん。早速これを飲んでくれ。」

「お断りします。」

 研究所の代表である東雲の要請を、助手の柊はきっぱりと却下した。

 博士と助手という立場ではあるが、学生時代からの付き合いである二人の間に上下関係はほとんど無いと言ってもよい。

 東雲が奇抜な発想と閃きで研究分野を切り拓き、柊がそれをまとめて学説という枠に収める。

 一見すると単なる奇行でしかない東雲の研究の本意を汲み取り、東雲が書き散らしたデータを根気よく体系立ててまとめる作業は、柊以外には務まらない。

 どちらが欠けても研究は成立しないのだ。

「しかし柊くん、臨床試験は必要だろう。赤い糸を視認できるのは薬を服用した者だけなのだ。こればかりは動物実験では効果を確認する術がない。」

「だったら被験者を募ればいいじゃないですか。予算はあるんですし。」

「全くの素人に仔細な観測なんてできるものか。いくつもある仮説や起こり得る可能性を知り尽くしている君じゃないといけない。そもそも、開発途中の『赤い糸が見える薬』なんて怪しさ満点なもの、一般人が飲むわけないだろう。」

 こういうところが厄介なんだ。柊は内心でため息をつく。東雲が研究以外には常識も興味もなんら持ち合わせていない、物語にありがちなマッド・サイエンティストならばまだ御しやすい。

 しかし、彼は常識的で理性的なのだ。自分達が作っているものが、世間から見てどれだけ馬鹿馬鹿しい代物かを理解している。

 頭が沸いているとしか思えないような発想、それを実現にまで漕ぎ着ける天禀、自分の研究は客観的に見て可笑しいと自覚する良識、これらが何故一つの体にスッキリと共存できているのかが柊には不思議でならない。

「人体に有害なものは一切入っていないし、確実に安全であることは君が一番よく知っているだろう。」

「安全性の心配をしているんじゃありません。単に自分の運命の人なんて知りたくないだけです。」

「『運命の赤い糸』とは効果を分かりやすくするための便宜上の表現じゃないか。実際には遺伝学、社会学、人間行動学、心理学と様々な角度から考え得る最も相性が良いであ…」

「分かっていますし、そういう問題じゃないです。『コイツがお前にとってベストだ。さあ惚れろ』だなんて現代科学に言われるんですよ。野暮の極みです。」

 柊は苛立ちが隠せない。東雲の言うことは正しい。柊が被験者となることが研究を進める上で最も効率的なことは、柊自身がよく分かっていた。

 製作者の自分が実際に服用していたほうが、今後の臨床試験で被験者を募る際にも安全性を強く謳える。

 それでも柊は断固として受け入れるわけにはいかなかった。

「だったら東雲さんが試せばいいじゃないですか。」

「だめだ、それは僕の信条に反する。」

 知っている。東雲は「科学者は観測者」を堅く己に誓っている。実験を行う際、自身の考えによるバイアスを排除することは科学者として初歩の初歩だ。

 自分の理論の正誤を観測するためには、実験の当事者であってはならない。その科学への愚直な真摯さに柊は敬意を抱いているが、だからといってその「当事者」の役割をこちらに押し付けられるのは釈然としない。

 しかし、世の奇人と称される科学者の例に漏れず、東雲もまた自分の信条はたとえ銃口を突きつけられようが決して曲げない類の人間だ。この提案が大した時間稼ぎにすらならないことを、柊は口に出す前からよく理解していた。

 そして、そんな悪手しか打つ手が無い程に追い込まれていた。

「とにかく、嫌なものは嫌です。コレを試すくらいなら、考え得るあらゆる事象をリストアップしてフローチャート化し、被験者にマニュアルとして持たせるだとか、半年ほどみっちりと被験者に研修を行ってから飲ませるほうがマシです。」

「馬鹿を言え。結果を早く知りたくないのか。」

「ええ、早く知りたいです。なので今からすぐに被験者用のマニュアル作成に取り掛かります。」


 ――――――――――――


 その日の午後には、どうにかして薬を飲ませようとする東雲と、断固として飲みたくない柊との攻防が繰り広げられた。

「柊くん、クッキーを頂いたんだが、お茶請けに一ついかがかね。」

「いえ、結構です。」

「僕が一服盛るのを疑っているんだろう。なんなら君の目の前でいくつか食べてみせようか。」

「紅茶のカップに塗ってあるとか、スプーンに塗ってあるとか、罠を疑えばキリがありません。だいたい、水以外のものと混ぜて摂取したら正確なデータが取れないじゃないですか。今後一切、東雲さんの前では飲食しませんので。」

 あの手この手でどうにか薬を飲ませようとする東雲を退けてようやく帰宅した柊は、こんな日々がこれから毎日続くのかとげんなりしながらも荷造りを始めた。

 東雲のことである、薬を飲ませるためならば不法侵入して寝込みを襲うくらいはやりかねない。しばらくはどこかのホテルに身を寄せねば。

 共同研究者であり、同じ科学に身を捧げる輩である柊には東雲の良識はあまり働かない。 科学の発展を望む同志であるならば、多少の無茶にも目を瞑ってくれるだろう、と東雲は考えている節がある。

 ブブブブ。

 柊の携帯電話にメッセージが届く。送り主は東雲だ。嫌な予感しかしない。

『何か変化はあったかね?』

 ゾクリ。

 柊は目に見えない鉄槌で強打され、脳を揺さぶられたかのように、身動きが取れなかった。

 いつ、どこで、どうやって?

 視界がぐらぐら揺れるような錯覚に陥るが、状況を確認しなければならない。

 携帯を持つ左手には何の変化もない。恐る恐る、目線を右手に移す。

 右手の小指から、赤い筋のようなものが壁に向かって伸びている。ああ、最悪だ。

 自覚した途端に見えるようになったのだろうか。

 本当に糸のように見えるのは『赤い糸』という概念を刷り込まれているからで、そのような物語のない国の被験者ならば違った発露をするのだろうか。

 湧き上がる様々な感情でぐしゃぐしゃになりながらも、研究者目線で観察と考察をしてしまっている自分に呆れた。

 深呼吸一つ、止まらない感情も疑問も無理やり落ち着かせて、柊は東雲に電話をかける。

 少し冷静に自分を見つめ直し、こんな仕打ちを受けてなお怒りや情けなさよりも『どうやって』という疑問のほうが大きいのは科学者としての性だな、と柊は思った。

 数コールも待たずに東雲が電話に出た。

『もしもし。』

「どういうことですか。」

 柊は電話をかけながら、上着も羽織らずに家を出た。

 東雲は確実にまだ研究所にいる。

『はっはっは。いやあ、夜分遅くにすまないね。』

「どうやったんですか。」

 薬が完成してから今まで、柊は何も口にしていない。東雲がどんなに狡智に長けようと、早業であろうと、何も摂取していない人間に一服を盛ることなど出来るだろうか。

『どうって、あの薬は水に溶かして飲まないと正確なデータが取れないだろう。』

 そう言う東雲は至って普段通りの口調だ。

 申し訳無さそうにするわけでも、自分の勝利を誇るわけでもない。

「水なんて今日は一滴も飲んでいないはずですが。」

『ああ、今日はな。』

「は?」

『実はちょっと前に完成していたんだよ。効果が出るのに思ったより時間がかかったようだな。』

 すると、最初から東雲は全てを予測していたというのか。

 臨床試験を断られることも、その後最大限の警戒をされることも。

 それを見越した上で、柊を油断させるために薬は今日完成したと嘘を吐いたのだ。

 まだ完成していないはずのものを警戒することなど、出来るはずもない。

 柊は乱暴に通話を切った。惨めさや怒りに飲み込まれないように、とにかく走った。

 世間が抱く科学者のイメージ通り体力には自信がないが。家から研究所まで全力で走った。

 10分後、研究所に着いた柊は肩で息をしながらドアを開けた。

「やあ、柊くん。それでは臨床試験を始めようか。」

 そう言って何食わない顔で迎える男が憎たらしくて堪らない。

 絶え絶えの息が整ったならば、どのような罵詈雑言をぶつけてやろうか、と柊が考えていると、それに気付いてしまった。

 ああ、やはり。

 目に入るのは例の赤い線。

 自分と目の前の男を繋ぐ赤い線。


 だから嫌だったのだ。






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