第12話 掌3

 軟禁部屋にベルが設置された。掌サイズの銀色のベルだ。これが鳴ると食事の合図である。


 ベルに呼ばれると、エネルトラは食事を取りに小屋を出て行く。その時はお互いに心配な顔を向けて「行ってらっしゃい」「行ってきます」と挨拶を交わした。エネルトラが食事を持って戻ってくると、ジフォルゼは心底安心した。


 食事はパンとサラダとスープと、肉や魚を使った主菜の組み合わせが多く、どれも出来上がったばかりで温かく美味しかった。外に出て指定された場所に行くと食事が置いてあるのだ、とエネルトラは説明した。ジフォルゼはゆっくり食事を口にしたが、味わうよりは毒見の意味合いの方が大きかった。




 部屋の中に居さえすれば何事も無い軟禁生活だが、毎夜トラブルが発生した。どちらが布団で寝るか、の論争である。


「女の子を冷たい床に寝かせるなんて、男として失格だよ!」


 という持論を展開するエネルトラに、ジフォルゼは返す。


「なら一緒に寝ましょう?」


 エネルトラが顔を真っ赤にして素っ頓狂に叫ぶ。


「年頃なんだから慎みなさい!!」


 結局どちらが布団で寝るか掛け布団で寝るかは、あみだクジで決める事になった。不思議と布団のクジは、いつもジフォルゼを選んでしまうのだ。エネルトラは満足そうに薄い掛け布団に包まって眠る。




 だがジフォルゼは知っている。エネルトラは眠っていない。横になって暫くすると、丸まった姿勢から仰向けになり、じっと思案気な表情で天井を見つめているのだ。時折目を細めたり深く息を吐きながら時間を過ごし、明け方になるとまた眠っていた姿勢を取る。そうしてジフォルゼが身体を起こす頃に「おはよう」と目を覚ましたフリをするのだった。




 不安で眠れないのだろう。当然だ。突然環境がガラリと変わっての軟禁生活は、少年に尋常ではないストレスを与えているに違いない。ストレスは睡眠だけでなく食事にも現れていた。彼はジフォルゼの半分程度の食事量しか摂らない。食べないのかと問うても「小食なの」と言う。本当に小食なのかもしれないが、睡眠の件と合わせると看過できなかった。このままでは倒れてしまう。




 それに気掛かりはもう1つあった。1日3回の呼び出しだ。初めは30分程で戻ってきたのに、繰り返すごとに時間は伸び、3日目の昼間など1時間も戻って来なかった。何をしているかと軽い口調で訊いてみても、エネルトラはいつものように何もないと答えるだけだった。猫も見ていないと言う。ならその1時間は何なのだ。何もない筈は無いのだ。




 4日目の朝も、エネルトラはいつもの調子で食事を取りに行った。


 彼を見送ってから、ジフォルゼはすぐに行動に移った。階段を下りて外に出る。森の中を見回しながら腹の中で時間を計った。タイムリミットは20分。今までの呼び出しが、それより短かった事はない。


 一度は見つかったが、次は見つからなければいい。とにかく今は行動だ。




 ジフォルゼは箱庭の詳細を知らない。何せそこは王の庭で、魔界で最も尊いとされる場所だ。足を踏み入れられるのは、王以外は使徒のみ。中央からツエヌウル・メジレアンが伸びている以外は情報を知り得ない、謎ばかりの浮島なのだ。


 エネルトラの後を追おうかと辺りを探したが、少年の姿は既にどこにも無かった。とにかく箱庭の端くらいは確認してみよう。ジフォルゼはツエヌウル・メジレアンへ真背を向けて一直線に走った。




 端には5分ほどで到達した。驚くほど地面がすっぱり切れており、先には空の青色しかない。ジフォルゼは意を決して屈んで落ちないようにしっかり両手で草を掴んでから、そっと箱庭の外へ頭を出した。




「遠っ。」




 思わず声が出た。地上が遠い。500m程離れているだろうか。生唾を呑み込んでから、詳細をよく観察する。


 眼下に広がる小大陸。あれが聖都ノルトシカだ。ジフォルゼが居る位置からは、入り組んだ大渓谷と遠くに雪が被る連峰が見えた。体内の方位磁針が正しいなら、方角は北だ。




 聖都は大きく分けて4つの同心円状の区域に分けられる。箱庭の真下を中心に、聖域―――使徒の地―――大聖堂区―――民区、となる。




 聖域は、巨大な円状防護壁「魂誓の壁」に囲まれた何も無い土地だ。箱庭に通じる為に聖域と呼ばれ、使徒が防御している。




 使徒の地は、魂誓の壁の外にある、簡単に言えば使徒の居住 兼 防御区域だ。ジフォルゼとザオデュエルの屋敷も、使徒の地の中にあった。




 大聖堂区は、使徒と王師が活動をする場所だ。会議場や訓練場の他に宿舎があり、王師に選ばれた者はそこを拠点に生活している。




 民区は、王師ではない聖都の民が住まう土地だ。聖都の大半は広大な民区であり、民はそれぞれの食物連鎖の中で生きている。




 ジフォルゼはまじまじと聖都ノルトシカを見つめながら、天界で聴いた魔界の将軍の話を不意に思い出していた。


 その者は史上最悪最強―――そして最低の将軍なのだという。曰く実力は群を抜き、かつて反旗を翻した王師部隊をたった1名で皆殺しにしたという。裁判も掛けずに皆殺しにしたのかと、ジフォルゼはにわかには信じられなかった。


 その将軍もこのノルトシカには居るのだ―――と気付くと、ジフォルゼは己が容赦なく殺される様を想像してしまい、吐き気を堪えた。将軍どころではない。眼下に見える全てがジフォルゼの敵だ。




 生きているのが奇跡だ。




 改めて武器が無いのは心細過ぎる。一体どこに保管されてしまったのだろう―――と端から離れて歩いていると、答えは思いがけず目の前に現われた。




「あっ!」




 なんと1本の大樹の根元に、ジフォルゼの荷物と剣が押し込まれていたのだ。位置的には小屋からさほど離れていない。まさかこんな近くに無造作に置いてあるなんて!


 ジフォルゼは飛びついて―――飛びついた瞬間に罠の存在を思い出して後悔しながら―――荷物を検めた。とにかく剣だ。左手で鞘を握り、緊張しながら柄を握って引くと、慣れた感触を伴って刃が現れた。全て引き抜いて確かめても、折れたり傷つけられた様子は無い。心底ホッとして、長い長い溜息が漏れた。


 続けてリュックの蓋を開ける。ローブに地図に手帳―――そして髪と瞳の色を変えたペンダントまで、ジフォルゼの荷物は1つも欠けていなかった。


 再びホッとしたが、違和感も残る。どうして全て無事なのだろう。魔王は当然荷物を検めただろうが、そのままにしておくメリットは無い筈だ。特に剣など折ってしまえば、確実にジフォルゼの気勢を殺いでしまえるのに。


 なにかしら意図はある筈だ。ジフォルゼは自分の荷物を目の前に腕組みしながら、暫し考え込んだ。




 ギ    ギ  キリ




 何の音だろう?ジフォルゼは顔を上げ、音のした方へ視線を向ける。方向は箱庭の中心だ。ギリ ギギ ギ。金属と金属を擦り合わせるような音だ。




 風切り音を聴いた気がした。






 バキバキバキバキィ!!!






 周囲の大樹が、薙ぎ倒された。ちょうどジフォルゼの頭があった位置で、横一閃に破壊されたのだ。もし反射的に身を低くして地面に転がっていなければ、間違いなく頭は消えていただろう。




 な、に・・・!?




 一撃はあまりにも速く、避けるのに精いっぱいで全容まで確かめられなかった。幹を薙ぎ倒す瞬間に、白い尾のようなものが見えた気がする。既に尾は視界から消えているが、ジフォルゼへの明確な殺意が箱庭の奥から漂ってくる。


 無造作に置いてある荷物は、やはり罠だったのだろうか?相手は誰?使徒?何も解からないが唯一はっきりしているのは、逃げなければ殺されるという事だ。


 ジフォルゼは走った。避けた方向が荷物とは逆だったので、荷物を置いて来てしまったが構っていられない。逃げなくちゃ!―――だが、どこに!?




 第2撃が繰り出され、背後の木が吹き飛ばされた激しい破壊音が響く。ジフォルゼは風圧に押し出されながらもなんとか堪え、ひたすら走った。視界の脇を大小さまざまな破片が飛んでいくが、とても後ろを振り向く余裕は無い。




 突然、漆黒の小さなモノが横を通り過ぎた。


猫はジフォルゼを通り過ぎると、姿を見せない殺意の主に向かって四つん這いになって威嚇した。


「小屋へ行け!!」


「え!?」


「良いから行け!!」


 ジフォルゼは何も考えずに魔王の指示に従った。魔王に白い尾は攻撃を仕掛けて来なかったが、森の奥からのただならない殺意は変わらない。猫が耳を軽く倒して全身の毛を逆立たせているのを最後に見て、ジフォルゼは一直線に小屋に向かった。


 小屋に飛び込んで階段も登らぬ内にジフォルゼはへたれ込んだ。乱れに乱れた呼吸を必死に抑える。アレは一体何だったんだと振り向いた矢先に、扉を開いて猫が飛び込んで来た。猫は階段を数段飛び上がると、ジフォルゼを見据えた。


「迂闊に外を出歩くな。お前を快く思わない者も居るのだぞ。」


「は……はい、すみません。」


 ジフォルゼは素直に謝っていた。猫は尾をシュッと振ると、扉の隙間から外をじっくり窺ってからすり抜けて行った。少ししてエネルトラが駆け込んで来た。ゼーハーと息も絶え絶えになりながらジフォルゼを心配する。


 ジフォルゼは、ただただ頷くしかできなかった。


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神の死んだ日 @sakusya_m

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