第11話 掌2

 軟禁生活が始まった。




 狭い部屋の中には布団が1組。扉以外には窓も家具も一切無い。扉を開けてみると、下に向かう螺旋階段が10段ほど続いていた。壁に囲まれており外の様子を確認する事は出来ない。エネルトラによると、降りた先の扉の向こうは外なのだと云う。


 外には出るなと魔王は命じた。ジフォルゼの行動限界はここまでだ。


 ところが、制限を与えられたのはジフォルゼだけだった。エネルトラには1日3度の外出が命じられていたのだ。


「オレに食事を運ばせるんだって。だから、3回出て来いって……。」


 室内が少し落ち着いた頃、エネルトラはそう言った。


「危険ではないんですか?」


「食事を持ってくるだけだもん。大丈夫だよ。……多分。」


 一瞬エネルトラの目が不安で揺れたのを、ジフォルゼは見逃さなった。だが軟禁生活の主犯であるジフォルゼが、彼の代わりをする訳にはいかなかった。


 何とかしなければならなかった。まず連れてこられたエネルトラを無事に下界へ返すのだ。巻き込んでしまった以上、最優先事項だ。


 壁に背中を押し当てて座り込む。合わせた両手で鼻と口を覆い、じっと考え込んだ。




 ぽぉん☆




 突然目の前で星が飛び散った。驚いたジフォルゼの目の前に、小さなうさぎがぴょこんと登場する。


 うさぎは大きな耳を振ってお辞儀した。らんぱっらんぱっと踊り始める。


「ぼーくは、踊り子うさぎ♪娘さんぼくと一曲どうですか?」


 ―――と、お誘いをしたところで、うさぎの後ろのエネルトラが耳まで顔を真っ赤にして俯いた。


「…ごめんなさい。」


 小声で謝る始末だった。ジフォルゼは思わずクスリと笑ってしまった。


「魔法使えるんですね。」


「うん。こんなのは、宴会芸だけどね。」


 うさぎは最後に両手を振ってジャンプすると、ぴかっと星になって消えた。エネルトラは、まだ赤い顔をそっと上げる。


「元気出た?」


 いけない。ジフォルゼがあまりにも深刻そうにしているから、心配をかけてしまったのだ。


「何を。わたしはいつも、とてつもない元気者です。」


「そう?なら良いけど。」


 エネルトラは肩を上げて、指を一振りした。青い大きな花弁を持つツォーの花が現れる。それをジフォルゼの髪にそっと差した。ジフォルゼは甘い香りに目を細めて、ふと気付いた。


「…よく、わたしだって分かりましたね。」


「え?」


「だって…あの時は髪の色は桃色だった…。」


 ジフォルゼは本来の金髪に戻っただけなので、自分に違和感がなかった。だがエネルトラは、そうではない筈だ。


「え?だってファッションでしょ?」


 エネルトラは目を丸くしてすぐに答えた。


「ファッション?」


「若い子の間に流行ってるじゃない。髪の色とか目の色とか魔法で変えるの。変身セットとか、お小遣い価格で売ってるし。ジフォルゼちゃんだってそうでしょ?」


 流行のファッション?逆に問われてジフォルゼが困った。下界の流行なんて分からない。だがそうなら、ありがたい。


「そ―――そうなんです。それで、金髪で……。似合いますか?」


「うん。キミによく似合うよ。」


 エネルトラがにっこり笑うので、ジフォルゼもにっこり笑うに留めた。何も知らない彼に天界と堕玉胤の説明をする訳にもいかない。




 足を投げ出しながら座って、エネルトラはぼやいた。


「はあ、なんだか暇だね。ご飯の時間はいつなんだろうね。」


「必ず、わたしが出してあげます。」


 天井に向けて伸ばしていた両腕を下ろして、エネルトラはジフォルゼを見た。


「…そんなに気負わなくたって良いんだよ。」


「でも、ご家族が心配している筈です。」


「家族とか居ないからさ。」


 素っ気なく言葉を放った後、エネルトラは3秒ほど硬直した。ハッと開いてしまった間を取り繕う為に、早口で捲し立てる。


「ああっっ、別にだからってそれだけなんだけどね!ただ、居ないってだけで…!!あ、でも、一緒に暮らしてる保護者みたいなヒトが居るんだ!」


最終的にエネルトラは腕を組んで唸るように言った。「家族」という単語にエネルトラは拒絶を示した。彼の反応に戸惑ったが、続けて言った「保護者みたいなヒト」の柔らかい印象にホッとした。どうやら「保護者みたいなヒト」を慕っているらしい。


「優しい保護者さんなんですか?」


「うーん……。優しいと言えば、優しい。バカみたいに優しい。…多分、ほんとにバカなんだと思うけど。」


 照れを隠す為なのか極力素っ気なく告げる様子に、ジフォルゼは思わず吹き出してしまった。エネルトラはよっぽどそのヒトを慕っているのだ。


「まあ、オレの話なんか良いのよ。ジフォルゼちゃんの家族だって、心配してるんじゃないかな。」


「…心配してると思います。エネルトラ君、わたしの父も保護者さんだったんですよ。」


 ジフォルゼは告げた。


「血が繋がってないの?」


「はい。わたしが生まれた村は、わたしが4つの時に疫病に襲われて産みの両親は亡くなったと聞いています。そこからわたしを助け出してくれたのが、父なんです。」




 ジフォルゼはザオデュエルの養女だった。




 ジフォルゼの生まれは、下界西方にあるローフという山間にある小さな人間の里だという。ローフは当時疫病に襲われ、ジフォルゼ以外の住民は死に絶えた。一方聖都では、神の死によって生まれ落ちた堕玉胤を保護する活動を行っていた。ザオデュエルは堕玉胤の情報を聞きつけ、死に行くローフから娘を保護した。体力を消耗していた娘を治療する過程で、そのまま引き取り養女としたのだった。


 堕玉胤の娘は産みの両親より、サンシュオード・ロォア=ヒクチュルという名を与えられた。聖都に保護された後に、名をジフォルゼ・姓をランザートと改めた。ランザートの名はザオデュエルから頂いた。ローフの言葉で「絆」を意味する。


 ジフォルゼにはローフの記憶も産みの両親の記憶も一切無い。なのでジフォルゼの中で親は、ザオデュエルだけだ。




「わたしの父はとてもとても心配性で泣き虫なので、絶対無事に戻らなきゃ、なんですよ。」


 エネルトラに話したのは、彼の事情を聴いてしまいながら自分は何も言わないのが、少しずるいような気がしたからだった。


「父親なのに泣き虫なの?頼り甲斐のあるお父さんだなぁ。」


 エネルトラがケラケラと笑うので、ジフォルゼも一緒に笑った。


「ねえ、ハーヘンテイジはどうだったの?」


 胸にちくりと痛みが走った。すぐに返事できなかった。


「…何かあったの?」


 ジフォルゼはゆるりと首を横に振る。「…村は、とても暖かくわたしを迎え入れてくれました。…。本当に。」


 ハーヘンテイジの崖の上。崖底から吹き上がった炎の光景が脳裏に甦る。頭を振るぐらいで払拭されるほど、遠い記憶ではなかった。ジフォルゼはゆっくり息を吸いながら、改めてエネルトラを見つめた。ジフォルゼを心配そうに見つめる、少年。




 このままここに居たって始まらない。




 突然立ち上がったジフォルゼに、エネルトラは慌てた。


「ジフォルゼちゃん?」


「エネルトラ君は、ここに居てください。」


 部屋の扉の向こうの気配を探り、押し開く。続く螺旋階段を下りる。


「待って!外に出るつもりなの!?」


「せめてどこに置かれてるのか、それだけでも把握したいんです。」


「危険だよ!」


「だから、エネルトラ君はここに居て。わたしは少し、鍛えているので。」


 武器は無くても、司西王師将軍でなくなった訳ではない。それに剣を持たない武術も教えられている。多少。


 何もせずここに居るだけなら、本当に何も起こらない。最後の階段を下りた先に立ちふさがる扉の前で一呼吸置き、身体を当てながら開いた。




 ざわっ  ―――音と匂いが押し寄せる。




「!」


 そこは、森の中だった。


 森だが、魔界へ降りて来た場の森とは全く違う。木々の幹はどれも太く、人間の大人が7~10人集まらなければ抱えきれないだろう。葉も大きく太陽の光を求めて空一杯に広がっている。噎せ返るような強い植物の匂い。―――太古の森というものは、これを言うのだろうか。


 だが。ジフォルゼは森の違和感にすぐ気づいた。




 静か過ぎる。




 葉が擦れ合うザワザワという音はする。けれど虫の音が聴こえない。生き物の気配が無い。これほど生命力が溢れる場に、何故いて当然の生き物たちが居ないのだろう?


「ジフォルゼちゃん…っ!」


 追いついたエネルトラが、後ろからジフォルゼの手を握った。身を寄せて、辺りを見回している。


「変な、森ですね…。」


「ねえ、もう戻ろうよ!」


「エネルトラ君は戻って、わたしはもう少し……、あ!?」


 葉の屋根を見上げていたジフォルゼは、思わず声を上げていた。葉の向こうのモノをよく見ようと、顔を上げたまま移動する。エネルトラの制止は耳に届いていなかった。




 見えた。目視したと同時に、身体が硬直した。




 葉の向こうに見えるモノ。ソレは、天をも貫く漆黒の塔だった。




 王の柱『ツエヌウル・メジレアン』だ。




 世界は王の存在によって維持される。ツエヌウル・メジレアンは王の創造と共に出現し、世界に生命力を供給する。逆に王が崩御すると、ツエヌウル・メジレアンも消失する為に世界は生命力を失う。それがこの世界の仕組みだ。




 ツエヌウル・メジレアンはよくよく見ると、天から注ぐ漆黒の粒子の集合体だ。あの粒子の1つ1つが莫大な生命力の塊だとは、にわかに受け入れ難い。




 ―――だが今の問題点は、そこではない。




 ツエヌウル・メジレアンがこのような間近に見える太古の森。思い当たる場所は1つしかない。




 箱庭だ。




 さく。


 赤茶毛の生き物はほとんど音も立てず、ジフォルゼとエネルトラの前に降り立った。腰を下ろし、尾をシュッと振る。


「あれ?猫だ。」


 エネルトラの手が離れた。少年はその生き物に近付く。


「おーい、猫猫。」


「エネルトラ君―――。」


「なぁに、凄い生意気な顔してるねぇ。」


「エネルトラ君―――。」


「返事くらいしなさいな。」


「エネルトラ君!」


 エネルトラの指がその生き物に触れようとした瞬間、ジフォルゼは声を上げてしまっていた。エネルトラが驚いて振り向くが、ジフォルゼの視線は彼を素通りする。


 猫もまた、まっすぐとジフォルゼを見据えていた。


 ジフォルゼは唇を湿らせる。


『―――この少年を下界へ帰してください。』


 ジフォルゼは天界の一部民族が使うルコレタワという言語を使い、言った。エネルトラは何を言っているか解からないだろうが、王には理解できる筈だ。


『この少年はわたしとは全く関係ありません。胎皇。』


 猫は尾を振るう。


『お願い申し上げます。』


 猫は尾を振るう。問う。


「魔界の民を気にかけるのか。」


「――――――。」


 その質問は、刺さる。


『当然です。』


 猫はもう一度尾を振るい、顎でジフォルゼ達の背後を指した。肩越しに振り向いて、やっと今まで居た小屋の姿を目にした。大樹の間にひっそり目立たないように立つ、石造りの2階建ての小屋だった。




 戻れ、という訳だ。




 ジフォルゼは拒まず、王に背を向けてエネルトラを促した。エネルトラは首を傾げながらも、どことなくホッとしているように見えた。


 ここは聖都ノルトシカ中央の浮島、箱庭。王の庭。


 何もしなければ始まらない。行動して初めて知った情報は、ジフォルゼは完全に王の掌の上に捕らえられた事実だった。

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