第9話 戦闘

 茜色に染まる世界。

 崖の際に向かおうとする一行の前に、娘がぽつりと立っていた。まるで赤色で描いていた単色画に、緑色の絵の具を落としたような存在感。彼らはここで何者かに会う予定ではなかった。何者も居ない筈だった。

「―――この先に、御用があるのですか?」

 娘は問う。仲間の内の数人が嗤った。彼らは、娘が自分達の障害物だと悟る。目配せが飛ぶ。口角を上げ、首を傾げ、軽く舌を舐めずった。

「―――ここより南、セツオト国トウ村を、貴方方は御存知ですか?」

 彼らは笑みを濃くした。ヒューッと誰かが口笛を吹き、囃し立てる。娘の居る理由が明白になった。肩を竦めたり、揺らしたりしながら、得物に手を伸ばす。馴染んだ感触を握り締め、引き抜いた刃を娘に晒す。

「―――。警告します。それより一歩でも前に出れば、戦闘の意志有りと判断します。」

 さあ、狩りの始まりだ。



 ダン!!!


 肉体が地面に叩きつけられる鈍い音が、足音を止めさせた。倒れ伏し動かなくなった男の傍らに、小さい娘は着地する。ウェーブのかかったツインテールが靡く。

 彼らの目の前にあったのは、たかが2分で倒された仲間6人の姿だった。

「―――は、はぁ…!?」

 この光景は想定外だったのだろう。1人が困惑を拭い去れないまま、剣を振りかざしジフォルゼへ立ち向かってくる。駆ける勢いに任せ、剣を振り下ろす。―――太刀筋が見える。ジフォルゼは一閃の反対側へ飛んで躱してから刃を切り落とし、がら空きになった男の顎を鞘で撥ね上げた。男は白目を剥き、両膝をついて倒れる。これで、残り23人。

 盗賊が怒号を上げる。初め嘲笑うばかりだった彼らは、思わぬ反撃に遭い、ジフォルゼを弱敵だとする認識を改めたのだ。

 ジフォルゼは腰を落とし、剣を鞘に納める。


〝―――ジフォルゼ様。得物を抜いたら、もう覚悟を変えてはなりません。〟


 剣を習い始めた頃、師になったマーガン大将は言った。


〝我々は思考する生き物です。戦いの場に遭って、迷いや戸惑いを抱いたりします。しかし戦場に立った瞬間、全ての迷いは断ち切らなければなりません。ここに―――心に置くのは、覚悟だけです。貴方様の覚悟を信じ、最後まで戦うのです。〟


 覚悟は決めた。


 ジフォルゼは、盗賊達からハーヘンテイジを護る。

 ―――これは命令以外の行動だ。作戦に関係無い場面での戦闘は、天界への裏切りになる可能性があったとしても、今だけはただのジフォルゼ=ランザートとして剣を振るう。

 ハーヘンテイジの長閑な生活を壊させたりなんかしない。

 15人目。両手で振り回される剣を躱し、両手がそれぞれ振り抜いたところで指へ鞘を突き出して粉砕し、顔が苦悶に歪む前に再び顎を撥ね上げ失神させる。倒れていく男を飛び越し、後ろにいた別の男の脳天に鞘を叩き落した。これで、16人目だ。

 構成員の半分以上を1人によって倒された盗賊団に、もう余裕は無かった。顔を赤黒くしながらも、撤退する様子は無い。―――ジフォルゼにはそちらの方がありがたい。

 盗賊団に立ち向かうにあたって、ジフォルゼは指針を決めていた。

 1つ、極力ダメージを負わせずに戦闘不能にさせる。1つ、必ず全員を打ち倒す。

 自分の立場を意識の傍らに置いておくとしても、ジフォルゼは天界の将軍だ。もし―――今までの状況から万が一にも無いとは思うが―――魔界聖都に探知され、天界将軍の魔界民への攻撃とみなされたら、どのような追及があるか解からない。最悪再攻撃のきっかけになる可能性もあるのだ。その為に剣は極力抜かず鞘で急所を狙う戦法を取っている。

 またこの場に居る盗賊団を逃した場合、報復に再び現れる可能性がある。ジフォルゼは永久にハーヘンテイジを護り続けられる訳ではない。この場で全員を打ち倒し、ベンジャク市の警護団に引き渡す必要があるのだ。

 これらを完遂すれば、ハーヘンテイジは危機を知らず、平穏は維持される。

 サイズの合わない兜の隙間から額を突き、これで22人目だ。残り8人。

「おいおいおい、おいおい…!やべえぞ、ノボロ…!」

「はあ!?」

「このままじゃマジで全員やられる…!撤退した方が良いんじゃ―――」

「はあ!??ふざけんなよ!!」

 ノボロ、と呼ばれた髭を生やす肥えた男が、怯える男を足蹴にする。他の盗賊と違って、彼はブレスレットやネックレスなど多くの装飾品を見せつけるように身に付けている。

「あんな!小娘に!やられっちまうっていうのか!ハア!?」また蹴る。「おめぇらもだ!!怖気づいてんじゃねぇだろうな!!」

 他の7人は怒号に賛同しかねるのか呻いたものの、反論はできずにいた。力の支配を受けているのか―――では、あのノボロと呼ばれた男がこの盗賊団の首領か。

「さっさと殺れえ!!」

 一番ジフォルゼに近かった者が、何とか雄叫びを上げ駆けて来る。ジフォルゼにとって有利だったのが、彼らが訓練された軍団ではない事だ。もし連携をとって戦われていたら、こうも優勢ではなかった。ジフォルゼは身を屈めて彼を足払いし、前につんのめる後ろ首に鞘を叩き込む。自身の回転の力を最大に発揮し、覆い被さろうとした大男の鳩尾を突き上げた。これで残り6人。

 ジフォルゼは駆けた。これまで攻撃を躱してからの反撃ばかりだったが、初めて己から攻める。駆ける間に2人を打ち倒し、今更になって身を翻して逃げようとするノボロの肩に飛び乗って地面にうつ伏せに倒し、伸し掛かった。

 ノボロが鈍い悲鳴を上げる。

「全員動くな!!」

 ノボロの顔が向いている方の首筋に鞘を突き立てる。ノボロが悲鳴を上げる。残った3人は身体を硬直させる。

「武器を収めなさい。貴方方はわたしには勝てない。」ジフォルゼは宣言する。「このまま全員を倒すのも可能です。それを望まないのなら、これ以上の戦闘を放棄しなさい。」

 ノボロを押さえられた野盗達に、頭を取り戻そうとする行動は無い。頭を押さえられ諦めたのか―――それとも決然とした勝利宣言が彼らに敗北感を与えたのか、どちらだろう。逃げ出してもすぐに追える距離だ。ジフォルゼはノボロを押さえながら、野盗達を牽制した。

「…くそ、くそ!テメェ、なんなんだ!」膝の下でノボロがくぐもった声を上げる。「セツオトの騎馬隊か!?え!?」

「…。」

「俺達を、どうする気だ…!!」

「ベンジャクの警護団へ引き渡します。」

「はあ!?」

「動かないで。」

「ぐ…ベンジャクだと…ふざけんな。」

 ふざけんな、とノボロはもう一度低く唸った。フーフーと荒い呼吸を繰り返す肩を見下ろす。

 フー。呼吸を落ち着け、ノボロは提案した。

「…取引しねえか。」

 ジフォルゼは瞠目する。

「取引?」

「ああ、そうだ。トウから持ってきた金がまだある。そいつをくれてやるから、見逃せ。な?」

 首の裏から頭にかけて、肌が粟立った。耳に入った情報を消化できず、声が出ない。

「騎馬隊じゃねえんなら、お前、どうせ傭兵とか賞金稼ぎなんだろ。だから俺達を金に換えようって張ってやがったんだ。」

「……。」

「まだ結構残ってるんだ。そいつを全部くれてやる。」

「……。」

「悪くないだろ?」

〝4日前の未明。トウ村近隣のソハ村に第一報が―――死者は44名―――子ども含―――いずれも刃状の武器による攻撃を受けており、数十か所の刺傷痕がある遺体も――――――。〟

「―――っ―――。」

「金が欲しいんだろ?半年は遊んで暮らせるぜ?な?」

 な?

「―――トウ村を襲った時。」

「はあ?」

「住民の遺体に、多くの傷が残っていたとありました。」

「あー…あー…イホータの仕業かもしれん。そういう血の気の多い奴もいてな…仕方ねぇんだ。あいつはそういう性分だから。」

「―――。」

「俺?俺は違う、違う!俺は―――そう。あんま残酷なのは好きじゃねえ。本当だ!」

 ノボロの口調は軽かった。飄々と話す事で、まるで機嫌を取ろうとしているようだ。

「―――何故。」


〝覚悟を貫くには大事な要素がございます。〟


 マーガン大将の声が脳裏に甦る。まるで警鐘のように。


〝相手の言葉を聴かぬ事です。〟


「―――何故、トウ村を襲ったのですか。」


〝聴けば己の心は動揺します。心を制して戦う事も出来ましょう。それができるのは熟練の戦士だけです。ジフォルゼ様はまず聴かぬ事を第一として下さい。〟


 それでも、聴かずにはいられない。


「ん―――ん?」

「貴方達は、解かっていたんじゃないんですか。深夜に奇襲をかければ、村人達に反撃の時間など無いと。武器を見せれば、ただの村人は恐怖に竦んで、何も出来なくなると。貴方達の―――成功は約束されていた。それなのに―――脅しに留めず、蹂躙し民の命を残虐に奪った―――。―――何故ですか。」

「だかっ、だから!イホータだって!血の気が多いのは、奴―――」

「44人。負傷者を含めれば72人。72人全てをイホータが手にかけたんですか?」

「そりゃ、そりゃ………。」

「貴方達は初めから、殺して奪うと決めていた。手間を削る為に。」

 暗闇の中、村に雪崩れ込む盗賊達。眠りから引きずり出された住民は、朦朧とする頭でも自分達の危機を察知しただろう。果敢にも武器を取ろうとした者も居たかもしれない。隠れた者も居たかもしれない。命乞いをした者も居たかもしれない。盗賊団にとっては、村人のどの反応も関係なかった。最小の労力で最大の報酬を得た。

マーガン大将の忠告を無視して問うたのは、知りたかったのだ。トウ村を襲撃した事実は、この男の心の中にどのように残っているのかを。如何に己が非道な行いをしているのか自覚しているのかを、確認したかったのだ。トウ村を襲った事実はある。だが事実の認識以外の感情は残っていない。何もかも奪われたトウ村の憤りも哀しみも、盗賊団に残ってはいなかった。だから、次にハーヘンテイジを狙った。

 ユンチャやサクタやプルピア達を殺しに来たのだ。


 ―――ドクン。心臓が、強く打つ。


「俺達だって、金が必要だったんだよ!」

 ノボロはまだ続けた。

「金なんか、使ったらすぐ無くなっちまうじゃねぇか!だからまた手に入れるしかねぇだろ!?俺達だって飢えて死ぬ訳にはいかねぇんだ!」

「日常を生きるのがどんなに大切か、貴方には解からないんですか。」

 ジフォルゼの言葉は早く、抑揚が無くなっていた。

「そこに居続けられる場所があって、食べるものがあって、家があって、一緒に暮らしていける人が居る。それを手に入れるのがどんなに難しいか、解からないんですか。当たり前の日常を剥ぎ取られる苦痛が、何故解からないんですか。」

 言葉を重ねる毎に、感情が昂っていく。思考が制御できなくなっていく。

 ジフォルゼの中に、3つの民の像があった。1つは国の安定を求め、領を出たガラドーヤの民。1つは国に生きられず、他国の僻地に流れ着いたハーヘンテイジの民。1つは盗賊の襲撃を受け、生活を奪われたトウの民。本来重なる筈の無いこの3つの民の姿が、見ていない場面を補うパズルのピースになり、1枚の絵を頭の中で組み上がってしまった。希望を求めたガラドーヤはハーヘンテイジの過去を。トウはハーヘンテイジの未来を予見させた。そしてトウの悲劇は、聖都に滅ぼされたガラドーヤの民の絶望と重なった。ガラドーヤから命を奪ったのは、ジフォルゼなのに。

 それらはジフォルゼの想像に過ぎない。場面の違う3つの事実を重ねるのは危険な思考だ。解かっていてもバラバラに考えられない。冷静ではなくなっていく。歯止めが利かない。


 だが1つだけ真実があった。


 ガラドーヤも、トウも、ハーヘンテイジも。ただ生きたかったのだ。当たり前に、生きていたかったのだ。


「ハーヘンテイジを壊すなんて」

 まだ間に合う。

 ハーヘンテイジだけは、まだ奪われていない。

「そんな事、お前には許されないんだ。」

 ジフォルゼは、吼えた。

 全身が震えていた―――ノボロの背中の筋肉が強張るのに、一瞬気付かない程に。

「ああ―――、そうかよ!!」

 ノボロの手が地面に立てていたジフォルゼの足首を掴んだ。ジフォルゼは目を見開く。ノボロはもう片方の手で地面を押し立ち上がると、背中のジフォルゼを地面に叩き付けようとした。

 振りかぶった瞬間に、男の手がジフォルゼに近くなる。ジフォルゼは鞘を下から振るい、柄でノボロの親指を叩き粉砕する。勢いを殺さぬうちに続けざまに、今度は米神を叩いた。ぐらつくノボロから身を捻りながら逃れて、間合いを取る。

 もはや叩き伏せるしかない。ジフォルゼは鞘を構えて地面を蹴り、ノボロの懐に飛び込んだ。

 鞘が鳩尾を突く、寸前。

 ノボロがポケットの中から何かを出した。青い玉のようなものだった。握り潰す。


 ボォン!!


 背後で爆音が上がった。ジフォルゼは反応していた。隙を見せた娘の眼前に槌が迫る。鞘の腹で受け直撃は免れたが、勢いに弾き飛ばされた。ジフォルゼは体勢を取り戻し、爆炎が上がった所へ駆けた。そこは崖の淵―――どうしてあの夜に火薬の匂いがしたのか―――どうして罠を張っている可能性を考えなかったのか―――もし崖の上で爆発など起こったら――――――。

 崖下を覗き込もうとした瞬間、炎が突風に乗って下から吹き上がった。ジフォルゼは炎風に煽られ、2―3歩後退した。鼻を炙る焦げた臭い。崖際の引火した植物が、パチパチと燃えていた。

「ははは、ははははは。」

 男は嗤う。

「ざまぁみろ。」

 男は爆発を起動させた魔道具を、頭の上で掲げていた。それはさながら勝利宣言のようだった。事実、男は勝ったのだ。その瞬間、その行為においてだけ。ボンと頭に何か落ちた。妙に弾力があって重たかった。足元に落ちていたのは、自分の手だった。

 男は絶叫を上げた。赤い血を撒き散らす右腕を抱え、地面をのたうち回った。切り口を押さえても押さえても血が止まらない。アーアーアーと喉の奥をこそぐような声を上げ、足をバタつかせながら娘から逃げた。

娘は剣を振って血糊を飛ばす。歩き出す。

身体を丸めながら、男は見た。娘の両眼に宿った、憎悪を。

「待って!!待ってくれ!!悪かった!もう襲わない!!だから許してくれ!頼む!!」

 真っ赤に染まっていく腕を必死に押さえ、男は懇願した。ジフォルゼは歩む。

「テメェの勝ちだ!それでいい!ベンジャクに連れてってもいい!!な!?」

 剣を翳す。

「頼む!!殺さないでくれ!!」

 殺す。

 ジフォルゼは男の頭に向かって、剣を振り下ろした。


「殺すな!」


 何かがジフォルゼの身体を突き飛ばした。ジフォルゼは左に投げ出され、地面に転がる。すぐに手をついて立ち上がる。剣を構える。視線の先に蹲るノボロ―――その前に、1匹の獣が立っていた。赤茶色の体毛を持つ狼は、頭を低くし唸り声を上げる。その両眼はまっすぐにジフォルゼを見据えていた。

「―――邪魔を、しないで。」

 ジフォルゼは、駆ける。

「邪魔をしないで!!」

 狼に向かって剣を突き出す。

 狼が言葉を放つ。

「鎮まれ!!」

 狼は剣より速く、ジフォルゼに肉薄した。開いた顎が首に食い込む。

 ――――――――――――――――――

 視界も、意識も、感情も。断ち切られたように、暗闇に落ちた。

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