血塗られた縛鎖は女神を貶める

第115話 オメガを殺す猛毒



 狂気の黒髪少女ラヴェニカが駆る狩人ハーミットにより、電脳姫へと回帰した裏切り姫ユミークルが程なく——木星圏……ガリレオ衛星カリスト外縁部まで翼を伸ばした禁忌の怪鳥フレスベルグへと帰還する。

 岩石衛星カリストより外縁へ向かうにつれ、木星圏超重力圏の影響が下がる傾向であるため……失われた船ロスト・エイジ・シップと称される狂える怪鳥が、その宙域へ訪れるのは造作もない事とも言えた。


 しかしそれも、漆黒の嘲笑ヒュビネットの思考内に於ける認識の範疇であり——宇宙人の楽園アルカンデを守りし救いし者部隊クロノセイバーには、それが可能と言う認識は未だ存在していなかった。


 狂気の狩人ハーミットが制止用スラスターを機体各所から吐き停止。

 同時に、凶鳥フレスベルグの背部中央格納庫回収ハッチが開け放たれる。

 電磁誘導ビームにより捕縛された機体が格納庫へ戻るや否や、コックピットハッチを解放した裏切り姫は——

 格納庫内重力安定の完了を待たずして、無重力の艦内へと浮かぶ様に舞い戻る。


『急かないでよ、。急かずとも隊長は逃げも隠れも——』


「あの船までの迎えは感謝する。けれどお前に勝手な愛称で呼ばれる筋合いは無い。黙ってろ。」


『フフッ……話してるのに——バカなの?ねえ?あなたバカなの?』


「……ホントに相も変わらず鬱陶うっとおしいな、お前は。」


 狂気の狩人ラヴェニカは口調こそあの砲撃主ユーテリスに向けた者と大差は無い——が、そこへ明確な違いが込められる。

 それは己が心酔する隊長へか、の違いがである。


 あの漆黒がこのをそばに置く理由は正しくそこが重要点。

 狂気の狩人がそれなりの好意を寄せる相手は、己への背信が無いと言う手駒の監視面で打って付けであったのだ。


 それを感覚的に悟る裏切り姫もまた、嫌悪を露骨に現わすも……その狂信者をこの宇宙に於ける数少ない同志と認識しており——あくまで表面上の嫌悪に止めていた。

 狂気が服を着た様な黒髪少女の持つ、壮絶な過去すら受け入れる様に——


「隊長……帰還の予定時期を大きく逸れました。申し訳ありません。」


 重力制御された凶鳥艦内通路を足早に辿る裏切り姫は、凶鳥フレスベルグでも最上部となる一角の大部屋扉を潜る。

 剣を模した旗艦コル・ブラントにも似た薄い蒼の電磁式金属扉が、モーター駆動により開閉——圧縮空気が衝撃をいなす様に吐き出されると、裏切り姫の視線には幾重にも並ぶモニターを睨め付け鎮座する漆黒の隊長が映る。


「構わん。あちらの状況を鑑みれば、よくその間を見計らったと言える。想定の上でも充分すぎる時期の帰還だ。」


 チラリと一瞥する漆黒は、そのまますぐにモニター群へと視線を戻し——映る複数の地域状況把握に努めていた。

 それも木星圏だけに止まらない……火星圏にアステロイド帯——果てはあの巨大通信衛星ソシャール ニベルにすら及んでいた。


 それはあたかも、世界を掌の上で操る神の如き姿である。


 漆黒の僥倖とも言える賛美を受ける裏切り姫。

 だがその面持ちには、自らが想定した救いし者部隊クロノセイバーの情報……持ち帰るはずであった相当量を幾多の困難に阻まれた悔みが宿り——


「……ですが私は、充分な情報を持ち帰ったとは言い難く——それを報告に上がった次第で……——」


「その割にはお前の表情に乾坤一擲が宿っているが?充分な情報が無くとも——何かそれと同等の対価を得ての帰還である……違うか?」


 宿った悔みのまま言葉にした裏切り姫の、その内心すらも見通す漆黒。

 そして見通された事実にそこはかとない歓喜を覚えた裏切り姫は……乾坤一擲と表された情報を提示した。


「はい……その通りです。これは私見的な情報なのですが……——Ω。」


 直後——ほとばしったのは狂える狂気。

 Ωオメガを屠る弱点……その言葉に狂喜乱舞したのは他でもない漆黒の嘲笑――エイワス・ヒュビネットであった。


「……ほう?それは詳しく聞かせてもらわんとな。」


 一瞥するだけであった漆黒は、モニター前の席を立つと……ズイと裏切り姫に詰め寄った。

 宿す狂気が、宇宙へ只ならぬ不穏を撒き散らす様に——



》》》》



「さっきスパイ任務からユミークルが戻ったらしいわよ?」


「……はっ!?どうせ奴は敵とは言え所属していた部隊の離反者――そんな裏切り者が信用出来んのか?」


 木星圏宙域まで戻ったかと思いきや、ずっと待機任務で溜まるばかりの不満。

 あの傭兵部隊がニベル宙域でよろしくやってやがる時に、ザガー・カルツ本隊である俺らはまともな戦闘すら行っていなかった。


 それに加え、カリストの遥か外縁でただ待ちぼうける俺達は……フレスベルグこれ程の得物を晒してただ時を待つ無能にも見える。

 そうして溢れた不満を、たった今帰還したと言うユミークルへとぶつける事で憂さ晴らししていた。


「俺は奴と――あの赤いのと戦いたいんだ!なのにこの木星圏まで来て待機任務なんざ……餌をぶら下げられた獣かっ、て奴だろっ!」


「わーってるわよ、ちょっと落ち着きな。あたしだってあの新型で暴れたくてウズウズしてんだから。」


 互いにウサを晴らす様に言葉を上げ合う俺とユーテリス。

 けど内心では不安が渦巻き始めていた。


 それはあの電脳姫が、狂気女ラヴェニカ寄りの思考だって事。

 実の所、俺とユーテリス……そしてラヴェニカとユミークルは根本的な所で相反している。

 まあそんな仲を取り持っていたのがあのブリュンヒルデだが——それもユミークルが居ない間だけだ。


 少なくとも俺とユーテリスは、あくまで隊長の表向きに——その思想や思考とは関係無く戦闘へ加勢すると言う体裁で部隊所属に至る。

 格闘を生業とし、その強さの先を目指すために隊へ入った俺……そしてユーテリスの奴は、とある貧しい極小ソシャール貧民街への支援の為だとか言ってた。


 自分の与えられた得物を試したいと口にするあいつは、そのクセ思考内でいつもソシャール貧民街に残して来たガキ共の心配ばかりしてるのは最近になってようやく理解した所。

 かく言うブリュンヒルデに付きっ切りな所こそ、最たる証だろう。


 そんな同僚をガラにもなくおもんばかりながら——

 待機任務中さしてやる事も無い俺は、一通り揃うトレーニング設備を備えた一室へ足を運び……ただガムシャラにサンドバックを打ち続ける。


「ちくしょう……紅円寺 斎こうえんじ いつき!あいつは——あいつだけは……!!」


 そう——

 あいつと戦う事に心血を注ぐ余り、俺は気付かぬ内に前を見る者が放つに浸蝕されていた。

 あのアル・カンデ宙域での総力戦最後で心深くへ打ち込まれた、蒼いクソ野郎の放った言葉の刃が——俺を変え始めていたんだ。


 ——『漆黒に飼われている内は、いつきの足元にも及ばない』——


 突き刺さる言葉は俺の思考を鮮明にして行く。

 所詮は俺も隊長に利用されるコマであり——使い捨ての兵士。

 俺だけでは無い……ユーテリスにブリュンヒルデも恐らくそのくくりと見て間違いはないだろう。


 だが——


「随分と久しいな、戦狼。なんだ……アルファとオメガに翻弄されてヤケになったか?」


「るっせえよ。てめぇこそ今更何だって奴だろ……ユミークル。そっちはそっちでクロノセイバーと仲良しごっこを堪能——」


「……それ以上口を開くな!——こっちの機械を借りる。あたしの邪魔をするなよ?」


「好きにしろや。」


 俺のトレーニングを妨害する様に現れたのは、絶賛疑惑の只中である裏切り女。

 悪態に悪態を返せば、逆ギレで返してくる反応——随分と久しぶりの感覚だった。

 逆ギレのままウエイトトレーニングを始めるユミークルを一瞥し……これ以上相手をしても無駄と、自分のトレーニングに没頭する。


 きっとそれが大きな転機となったに違いない。

 裏切り女がどうのと思考しながら……俺はユミークルに羨望を抱いていたんだ。


 己の目指すもののためならば、例え僅かでも抱いた居心地の良さも放棄して出奔する……そのいさぎよさと、己を貫く信念に——

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