第73話 地に這う者の呪い



 それは何不自由無く暮らしていた日々を襲った悪夢。

 比較的裕福に育った私は地中海に面したとある街で、何時もの様に素敵な時間を過ごしていた。

 あれがもう、いつの頃かも思い出したくは無いけれど——まだ幼かった私の脳裏に蔓延はびこる惨劇……私はそんな運命に巻き込まれるなんて知る由も無かったんだ。


「パパーー!……お夕飯出来たよーー!今日はパパの大好きなカルパッチョだってーー!」


 地中海が見えるそのほとり……二階建ての情熱の国らしい佇まいは、代表的な建築——石造りの壁に漆喰をまぶされた築200年は下らないそこは、入り口へ緑を配した彩りに溢れ……私はそこでパパを夕食時に呼ぶのが日課だった。


 家先で自営を営むパパは、そんな私の呼ぶ声を頼りに仕事を切り上げ――いそいそと足を早めて、待ちわびた私を抱え上げる。


「おお!それは楽しみだ……今手を洗ってくるから、ジーナはキッチンへ行ってなさい。パパもすぐに行くとママに伝えてくれ!」


「はい!パパ!――ママーーパパもすぐに行くってーー!」


 短く刈り上げたブロンドに、地中海を映す様な深い蒼の瞳がいつも温かい……情熱の国を代表する紳士なパパ。

 抱き上げられ——再び下された私はキッチンへ、ママの名を叫びながらパタパタと駆けた。

 程なく食事の準備を済まし——キッチンへ顔を出したパパは、熱々のカプチーノを頂きつつ……ママ渾身のカルパッチョを頬張る。


「今日は採れたての海の幸を入れてみたの。いつもはお肉ばかりだから、新鮮でしょ?」


 赤みの混じるストレート——おでこを見せる様に分けた前髪がキュートな、お料理好きのママ。


「おお、良いねぇ……。コレは——しっかりと味も染みて、地中海が私の口の中に広がる様だ!」


「もう、大袈裟よ?でも嬉しいわ。」


「おおげさ、おおげさ!」


 何気無い日常。

 暖かな日々。


 きっとどこの家庭でも——どこの国でも流れる当たり前の風景……絶望的な、信じられない悪夢に汚されるまでのささやかな私の幸せ——




 飛び交う銃声。

 薙ぎ倒される家具。

 素敵な私の家は——無数に飛び散る血痕が、それを地獄の惨状として脳髄を犯す。


「止め……ろ!娘と——シェリアには手を……出すな!」


 突如として降りかかった絶望——この地に潜入していた国際テロ組織の数名が、私の日常を地獄へと叩き落とした。


「——……パ……パパ、怖いよ……!」


 小さかった私の手に飛び散るは、愛しきパパの血——私を庇おうとした時、複数の銃弾がパパの両手を撃ち抜いた。


『黙ってろ!俺たちがこの周辺から逃げ延びるまで、お前達は人質だ!』


 語られる言葉は明らかに異国——それも私のいた国より

 しかし全くそれを理解出来ない私は、ただ恐怖で震え上がるしかなかった。


 そこへ私達でも分かる言語を語る一人が、眼前に歩み出で——その言葉で私は、


「オイ……オレ達がここを出るために協力しろ!調べは付いているんだ……お前が退役軍人だって事もな!娘と女を助けたければ——男……お前がオレ達組織へ入れ!」


「な……!?バカ……な、そんな事——」


「選択の余地など与えちゃいない……!」


 男は自動小銃をパパの額に突き付け、死か絶望しかない選択を迫って来た。


「パパ……ダメだよ!……そんなことしたら——」


「ダメ……よ!あなた——言いなりになって……は——」


 恐怖で絞る声も届きかねる状況——組織に入ると言う言葉は理解出来ずとも、パパがとても恐ろしい目に会う事は幼いながらに察せた私……ママと二人で恐怖の中パパを引き止めた——


 けど——パパは……悲痛の決断を下す。


「約束だぞ!……私がお前達の組織に入り——ここから逃げられる様、手配する!だから——」


 震えるパパの声。

 優しかったパパの心が、発した言葉で引き裂かれる。

 自分自身の決断で……パパは、テロ組織に加入する事を宣言した――せざるをえなかったんだ。


 世間では、国際テロ組織に約束などと言う言葉は通用しないのが通例——

 けど退役軍人だったパパの戦力素養を重視した組織により、幸か不幸か約束は守られ——私とママは逃げる様に国を追われ……その絶望と悲しみのまま、宇宙そらへと上がった。


 ————



》》》》



「——……ーナ?ジーナちゃん、聞こえてる?」


「ひゃ!?ひゃいっ!な……何ですか綾奈あやなさん!?そんないきなり声を掛けられたら——」


「……あー、結構呼んだわよ私……。て言うか大丈夫?顔色……凄く悪かった様な——」


「あ、あはは……大丈夫。大丈夫ですよーー……。」


 いきなり呼ばれたと思い焦りましたが……どうやら私の思考が悪夢に囚われていたせいで、素敵な美人上官綾奈さんの声を聞き逃していた様です。


 私はC・T・Oへの入隊からこちら、激務とΩオメガを目指す思考で心の奥底に眠る悪夢を忘れ——全てに没頭する様に生きていました。

 そして訪れた蒼き英雄——私が夢に描いた憧れた人クオンさんとの、裏切られた様な出会いからの始まり……思えばその時すでに思考を浸蝕していた悪夢は、再び頭をもたげていたのだと思います。


 漆黒の指揮する部隊ザガー・カルツ襲撃から、私達の故郷防衛に成功した私達——いえ、明確に言えば私の故郷はあの……地球です。

 Ωオメガのシステム調整の為、旗艦格納庫にホールドされた蒼の雷光を撒き散らすそこへすし詰め状態の私——モニター隅の経過時間を確認して、素敵な美人上官が現れた事に納得してしまいます。


「……すいません、もうこんなに時間が……とっくに歓迎パーティーの時間じゃ——」


「私は放って置いてもいいんじゃ無い?って、進言したんだけどね~……呼んで来てくれってクオンあいつに睨まれたわ。」


「……綾奈あやなさん……何気に酷く無いですか(涙)?私だって歓迎パーティーに出席したいですよ?」


「ふふっ、冗談よ。早くパーティー前の準備を済ませて来なさいな。」


 そう——素敵で近寄り難い美人上官さん……それが彼女に対する今までの認識でした。

 けど今の綾奈あやなさんはこう……何と言いますか、いつき君と言う存在が影響してか——こんな冗談も当たり前に突き付けて来る、結構親しみ易い人へ変貌して行く様な感じがしています。

 ……変貌、とは違いますね——これが本来の綾奈あやなさんだったと言う事なのでしょう。


 そして綾奈あやなさんは、先の謎の傭兵部隊に所属した宗家関係者の言葉にも応じ——望まぬ形だったかもですが、己の過去を堂々と語りました。

 普通であれば決して口にもしたくないであろう、自分の古傷を――


「お・ねえ・様っっ~~!こちらにお出ででしたのねぇ~~!」


「うわ、やば!?嗅ぎつけられた!……兎に角、ジーナ!あなたはすぐに大ホールへ行き——ぎゃっ!?」


「捕まえましたわ~~!さあお姉様、私が作ったバイキングパーティー用のメニュー——是非試食してグフゥっっ!?」


 あ……あのぅ、何やら私の眼前で取っ組み合いが始まったのですが……。

 大格納庫の通路側入り口大扉――重々しい機械音と共に電磁制御で開かれたそこより、飛ぶ勢いで小さな嵐が襲来します。

 そして今素敵な美人上官さんに飛び付き、と呼称したお方からの撃鉄の様な肘打ちでもんどり打つ——いえ……実を言うと正確にはでありであるは、あの防衛戦で急遽部隊へ参入した方で——


「あの~~綾奈あやなさん?それにアシュリーさん?——そこで取っ組み合いされたら私の準備時間が——」


「……じ、ジーナさん……からも、何とか言って……下さい!——こうやって……お姉様はいつも逃げ——ゲボぁ!?」


「誰の愛じゃコラっ!?——つか離れなさい、アンタっ!しつこいからっ!」


 やめて……見てるこっちが痛くなります。

 美人な上官から放たれた掌底打ちで、物の見事に女の子——じゃ無い男の娘、アシュリーさんの顎下が撃ち抜かれ……クリーンヒットで目を回してます。

 と言いますか、綾奈あやなさん……格闘家のそれは危険ですよ?よくアシュリーさんも無事ですね……(汗)


「あ~~こんな所で——って、すでにのされた後ね……(汗)エリュ……あの猪武者隊長を引っ張ってくわよ?歓迎パーティー主賓が遅刻じゃ幸先さいさきも何も無いわ。」


「あら~~了解よ~~。隊長~~……後悔させてあげる~~☆」


「ファッ!?ちょっ……エリュトロン、ゴメ——マジゴメンって……抜け駆けしてゴメンって!——つか、カノエも余計な……アアアッッーーー!!!」


 未だに荒れ狂う嵐が、さらに嵐を呼び込む惨状——残る新規参入隊員の方々が颯爽と現れ……怒涛の勢いのまま、隊長であるを捕獲し去って行きました。


 ラグレア隊所属……アシュリー・ムーンベルク隊長に、カノエ・ライ・ビエット中尉——そして、隊長を引き摺って行ったのはエリュトロン・アフェアンテーゼ少尉。

 男の娘隊長が率いるのは……オネエ中尉殿と性転換したニューハーフ少尉殿と言う、異色の部隊構成を取る方達。

 そして知る人ぞ知る彼ら——もとい、彼女達が密かに?結成する団体。

 ——綾奈さんを応援するファンクラブ……〔神倶羅 綾奈かぐら あやな親衛隊〕に属する面々なのです。

 何気にちゃっかり、ネット上でホームページ開く程にガチな感じの……。


 そんな眼前に捲き起こる突然の慌ただしい嵐に巻かれ、自分が抱いていた悪夢から……ほんの僅かな逃避を実現した私——

 けれどそれは私の生まれ持った運命さだめが、牙を剥く前兆でしかなかったのです。

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