第11話 動き出す宇宙の歯車



 引きこもりの男がいたマンション、一人の少女が立ち去ろうとしていた。

 希望を閉ざされた瞳、もはやそこに心が宿っていないのかと思える足取り。


 しかし――その少女が後にしたマンションの一室。

 たった今、引きこもりの男がまたも閉じこもった場所――そこでこの太陽系に激震を起こした衝撃のもと――【奇跡】が再び産声を上げようとしていた。


 部屋の一室――飾られた一枚の写真立ての前。

 立ち尽くす男が額の傷跡に誓いを立てる。


 そしてデスクの脇、幾重いくえにも重ねられたシステム制御の思案書類とデータメモリ。

 精気の抜けた様な姿から一転――データメモリを手にし、部屋を飛び出した男は少女が去る前にと二階からメモリを投げ渡す。


「ジーナ・メレーデン!!」


「……えっ、……わっ!?」


 声に反応した少女が、突然飛来した小さなそれを落としそうになりながらもキャッチする。


「な……何ですかいきなりっ!……それに……これ……」


Ωオメガフレーム用の新システムプログラムだ。」


 引き返す寸前の少女の言葉をさえぎりり、先ほどまでとは別人の大尉が説明を追加する。


「……こんな物……貰っても困ります……。私一人じゃ……Ωオメガフレームなんて動かせないんですから……。」


 男の先の様子からの急変――それに戸惑いながらも、渡された物の受け取りを拒絶する少女。

 それもそのはず、少女はあくまでΩオメガのオペレーターを目指していたから。

 パイロットとしては、自分の腕がΩオメガ操縦基準に遠く及ばない事実を知っている。


「違う……。」


「……?」


「あれはもともと、一人で動かす事なんて出来ない――そういう物なんだ……。」


 別人となった大尉がさとすも、その意図が上手くつかめない。

 少女の得る認識としては、かつて目の前の大尉が一人でΩオメガを操縦してみせた――つまり、純粋に一人の操縦者の手で操作されると記憶していた。


「だけど……あれに精通したパイロットが――そのプログラムで必ず操作出来る……!」


「……複座……用……?」


 認識と違う事実――当然少女はΩオメガを目指し軍へ志願しており、情報解析を任された経歴はある。

 だがその肝心のΩオメガに搭乗した事は、かつて一度も無い。


 すでに全てを諦めるも、自分の認識に誤りが生じていた状況に困惑を極める少女――次の大尉の言葉で、その心に希望の風が吹き荒れた。


Ωオメガフレームに精通する者――例えば……君と、オレと……!」


 吹き荒れた希望は、少女の表情へ精気満ち溢れる輝きを取り戻させる。


「……サイガ大尉……じゃあ……!」


Ωオメガに乗るために頑張って来たんだろ?なら、先に行って起動準備を整えておいてくれ……。アルファはもう長くは持たない……!」


「は……、いえ……了解です!!」


 男よりつむがれる言葉――もうそこには、引きこもりとののしられた陰りなど見当たらない。

 希望を宿した少女――メレーデン曹長は感極まった涙を浮かべながらも、大尉へ真っ直ぐ敬礼を返し、愛車のバイクに火を入れる。

 セルが回りエンジンに火を打たれた相棒も、その少女の頑張りを讃えるように吼え――唸りと共にタイヤを回転、路面にブラックマークを刻み付ける。


 そのまま曹長の二輪の愛車が爆音と共にアクセルターン――そのまま疾風の様に、C・T・O本部へ猛加速していく。


 事を構える覚悟は出来た――かつての引きこもりはクローゼットより、制服を引きずり出す。

 友を失った絶望の中にあっても、Ωオメガフレームのシステム考案にふけり――綺麗に収納していた軍正規の制服。

 心のどこかで全てを諦めながらも、決して消えなかった熱い想い――Ωオメガフレームを駆り、多くの命を救いたい――


 その決意を――軍の正式な制服、Ωオメガあおに合わせたメインカラーに金色の光沢を持つ装飾が光る、あおの出で立ちと共にまとう大尉。

 彼にとっての再起の儀式ともいえる行動のため、一階駐車場へ足を向けた。


 そこには、彼が何よりも大切にしている愛車が息をひそめている。


「かつて――地球の社会への不利ゆえに……時代から消えようとした車があった……。」


 流れる様なボディラインと低く構えた車高――速く走るためだけに生まれた地球は日本の、奇跡の存在とも言われる生粋きっすいのスポーツカー。


「だが、勝利が存在を認められる事につながる、世界最高峰の耐久レース……。」


「最後の出場で……蘇った不死鳥。」


 そこに搭載されるエンジンは、大尉の言う最高峰レース――最後の最後で世界の頂点に輝いた伝説のレースカーの血統を継ぐ。


「その、あくなき挑戦の精神――少しだけ……分けて貰うぞ……!」


 彼の愛車はそれだけにとどまらぬ理由にて、その手に収まっていた。

 伝説の血統を生み出したを大尉に宿すため、生粋の地球製スポーツカー【FD3S RX-7】。


 キーが捻られるのを合図にし、繭型のハウジング内へ目覚めの火が放たれると――レシプロエンジンで言うピストンに当たる、三角のローターが激しく鼓動。

 伝説の血統を持つ、奇跡と言われたエンジンが爆音と言う咆哮を上げる。

  

「行くのか……?」


 ふと、長くその身をひそませていた、マシンの目覚めに合わせるかの様に――今正に再起を図ろうとする大尉クオン・サイガへ、何処かより掛けられる言葉。

 しかし――今しがたそこにいたのは大尉一人、人の気配は何処どこにも感じられるはずがない。


 が――サイガはそれが誰か知っている。

 その声に予想していたかの様に返答する。


「あんたか……。ああ、行くよ……!」


 大尉が愛車の運転席ドア――それを斜めに跳ね上げた状態で、気配の方へ顔を向ける。

 そこに居たのは少女――それも先のメレーデン曹長よりも随分ずいぶん低い身の丈。

 だがそこから感じられる気配――それはとても人間が放つ類の物ではない、崇高にして高次の波動。


 少女に見えた者は、悠久の時を生きる【観測者】である。


「分かっておると思うが、今うぬΩオメガ宇宙そらに上がれば――これより先、容赦ようしゃなき試練がうぬに襲いかかるじゃろう……。」


 放たれる言葉の一つ一つに、神と同位の力が込められる【神霊言語】。

 低位の人類――ましてや低俗な者であれば、その言葉を聞くこともなく高位霊波動を受け卒倒する程に強力な霊力震。 

 その言語にも、大尉は動じる事なく言葉に耳を向ける。


「……それでも……Ωオメガを駆るのじゃな?」


 大尉はすでに、その【観測者】との面識は深いのか――親しき友人と話すかの様に、かりそめの立体映像を見上げながら、沸き上がる想いを解き放つ。


「全て……思い出したんだ……。そう……何もかも……。」


 きっかけは懸命なる少女――Ωオメガに触れ、向き合おうと必死であったジーナ・メレーデン曹長の叫び。


「自分しか見えていなかった……その時には聞こえなかった言葉……。アイツの――オレに向けた、約束の言葉……。」


 少女の叫びは、自分勝手に生み出した心の壁を打ち砕き――あまつさえ、聞こえていたはずの友の願いの言葉を思い出させてくれた。


「……だから……」


 引きこもっていた、不甲斐無き自分と決別するために――その決意を宇宙に向けて宣言する――


「いつまでも……通りすぎた過去に……とらわれている場合じゃないっっ!!」


 蒼き魂が8年の時を経て、ようやく新たなる一歩を踏み出した。

 【観測者】が語る試練が、どれ程のものかも想像がつかない――だが今の彼は、進む意外の選択肢など選ばぬ決意が宿っている。


「ならば……もう、何も言うまい……。」


 クオンが語る覚悟が、まぎれもない本物である事を悟る【観測者】。

 彼女はただ啓示けいじを投げかけただけ――その試練を受けるか否かは本人の意思次第。

 【観測者】は人類の行く末を案じる存在ではあっても、決してその未来に災いをもたらす者ではない。

 故に、人類が生命いのちの誇りを持ち邁進まいしんする姿は、最も望むべき物――その想いと慈愛の微笑みで、蒼き宇宙の歯車となった男を送り出す。


「行くがよい……クオン・サイガ……。」


「ああっ……!」


 大尉の駆る【RX-7】――爆音とタイヤスキールが、路面と偽りの大気を切り裂き……今も彼を待つ者が集うC・T・O軍施設へ疾風の様に発つ。


 全ての新たな胎動を、その目でしかと焼き付けた【観測者】の少女を形取る者。

 その胎動を、何処いずこかに離れた者へ伝える様に――詩にも似た旋律を奏でる。


『見えておるか、この宇宙そらが……。聞こえておるか、この鳴動こえが……。まさに今――欠けし歯車は姿を取り戻し、時代の流れと噛み合った……。』


『されど――しばし待て――我が友であり、姉妹であり、我の分かれ身である者よ……。』


 何処いずこかに離れた――それはこの木星圏どころではない、遠く数十天文単位離れた青き星。

 しかし【神格存在バシャール】としての霊体を持つ【観測者】にとっては、霊的に言った場合さほどの距離ではない。


 その青き星へ、少しの猶予ゆうよをと言わんばかりに光量子ひかりの旋律をつむぎ――自らもその間の監視に付く事を告げる。


わらわは流れに組する事叶わぬが……うぬの求めた連鎖はきっとつむがれる……。』


『アリス――地球ほしを観る者よ――しばし……しばし待て……。』




 あおの魂が新たなる一歩を踏み出したその頃――赤き拳士の機体は絶対絶命の危機におちいっていた。

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