女友達①

 「ほんと死ねばいいのに」

 その言葉に、私の身体がビクッと跳ねた。

 アキはそう吐き捨てるとジョッキに手を伸ばし一口煽った。ごとんと置かれたジョッキの内側には白い泡が蛙の卵のようにびっしりと残っていた。

 「荒れてんねー。あっ、次もう頼む?」

 気楽な調子でドリンクメニューに手を伸ばしたのは私のはす向かい、アキの隣に座るハルカだ。

 定例女子会。そう私たちが呼んでいるその飲み会はいつものように駅前の居酒屋で開かれていた。関西を中心に広く店を構えるチェーン店で、過剰ともとれるほどに明るい店内は学生たちの声で騒がしい。

 ふと厨房の壁にかかる時計が目に入ると、短針が九時を指していた。さぞかしアルコールが客の脳と肝臓を跳梁跋扈していることだろう。

 私、アキ、ハルカの三人は大学一回生で語学のクラスが同じだったことをきっかけにつるむようになり、卒業した今もこうして時たま顔を合わせている。

 「そういう人間は真面目に取り合うだけ無駄よー。うー、相変わらず味がしないねぇ、ここのキャベツ」

おかわり無料のキャベツ盛をつつきながらハルカが言った。彼女いわく、「私たちが炭水化物とタンパク質だけで生きていける時代は終わった」らしい。

「でもハルカの会社にもいるでしょ、そういうムカつく男」

「いるよー。ていうか家帰ってもいるしねー」

「ちょっとー……、今日はそのムカつく男のお陰で来れてんじゃないの。それにあんたたちまだ新婚じゃん」

「まあねぇ。てか新婚つってももう長いこと一緒にいるから今更特別感もないよ。そりゃ流石に最初の半年くらいはちょっと違ったけど」

 ハルカが高校時代から付き合っていた彼氏と結婚したのは三年前だ。ふたりは学生のころから同棲を続けていたが、彼女の妊娠がわかったのをきっかけにハルカは大学を辞め、籍を入れる運びとなった。

 近頃はようやく少し落ち着いてきたようで、こうして友人の集まりにも顔を出せるようになった。今夜は旦那が早く帰ってきて赤ん坊を見てくれているらしいが、

「今日のだってアイツ、『女子会って、女子ってトシじゃねえだろ』とかぬかすから、次の日ショッピングモール行ったときとか『男子ってトシじゃねえだろ』ってアイツがトイレ行く度言ってたら『子供は俺が見とくから楽しんできなよ』ってさ」

ということだった。

 「それに比べあんたは気楽なもんよね」

 身近な人間の愚痴をひとしきり吐露すると、ふたりが同時に私を見やる。

 なんだか不当に責められているような空気を感じながらも「そ、そうだね……」と返した。

「ユウはまだ学生だもんねー」

「学部生と一緒にするな」という言葉はすんでのところで飲み込んだ。といって何の苦労もしてないと思われるのも癪なので「やー、こっちもこっちで大変だよ?意外と」とだけ返したあたり、まだそこまで大人にはなれてない。

 大学院生の苦労は彼女たちにはわからないし、私だって同じように社会に出た彼女たちの苦労を理解することは恐らくできていないだろう。

 アキは卒業後そのまま就職。ハルカは結婚してすぐ、出産のため彼女の両親が暮らす実家に帰った。

 私だってもともとは今頃ふたりのようにOLやってるつもりだったのだ。実際、いくつかの会社で面接だって受けた。ただそこで、自分がたいしたところへ行けない人間であることを思い知ってしまったのだ。

 地元一の進学校に通い、みんなの中で一番の大学に進んだ。当然のように「良い会社」に入るものだと思っていた私に、それはこれ以上ない悪夢として映った。大して講義にも出ずサークルとバイトを往復しているだけの学生が適当な言葉遣いで選考に残っていくのが信じられなかったし、そんな中で勝ち残ることができない自分が許せなかった。

 じゃあお前は研究の道を進むことに関しての能力はあるのかと、当時の自分に問い詰めたくなる。

 しかし、結局私は大学に残り、研究の日々に身をやつしている。いつだって私は自意識だけが一丁前の幼い子供だった。

 「先輩方!これから社会に出るワタクシめに少しは夢のある話をお願いします!」

 勝手にいたたまれなくなった私はおどけた調子で話題の矛先を逸らした。長年゛いい子゛でやってきた私はこの手の誤魔化しが上手いのだ。履歴書には書けないが。

「そうよ!ねえ、もっと明るい話題はないの?ユウはともかくとして、こんな暗い話ばっかじゃすぐに老けちゃうわよ」

やってきた店員からアキが今夜何杯目かわからないビールを受け取りながら言う。

「言い出しっぺは誰よ……。あ、キャベツおかわり」

「「虫かよ」」

私とアキのツッコミが同時に入った。


 その後も三人で上司の悪口や旦那の悪口や教授の悪口を言っては、会ったこともない他人を楽しく糾弾し、アルコールや鶏やキャベツを貪った。

 ………いや、悪口以外もいろいろ話したはず。覚えてないけど。

 酔いとお腹がほどよく落ち着いた頃、閉店の一二時となり「今度またやろう」と言って店前で別れた。

 駅と、夫の迎えの車とにそれぞれ向かう友人たちを見送ると、なぜだか私だけがここに置いていかれたような気分になった。

 それほど酔っているようには感じなかったが、私はその晩、久しぶりに夢も見ずに朝までぐっすりと眠った。

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