このことあのこと

白井惣七

少女たちと一つの問題

少女たちと一つの問題 1

 « primo quaerendum est de distinctione individuali in substantiis materialibus, de qua … diversi diversimode dicunt, … ».

「第一に、質料的な諸実体における個別的な区別について探求されねばならない。その区別について、[……]様々な人が様々なしかたで語っている。……」


 *


「倫理の授業? 受験にもセンター試験でしか使わないし、たぶん適当に受けても大丈夫だよね」。

 大丈夫大丈夫、と教室には、二十人も満たない倫理選択の生徒たちが口々にこんなことを言い合って、三年生になってまだお互いにそれほど馴染みがない人と人との間で静かな騒ぎが起こっていた。「倫理」といういかにも難解という顔つきをした字から、それがどんな科目なのか解読できないでいる戸惑いを、もしかしたら難しいのかもしれないという不安を、そうやって解消しているのだ。私もそうした教室の空気に染まって、隣にちょこんと座っている女の子と、倫理ってどういう教科なんだろうね、楽な先生だといいなあ、ま、なんとかなるよね、などとふざけあっていた。


 ガラリと教室のドアが勢いよく開いた。髪がボサっと伸びた男性が小脇にプリントの類を抱えて入ってきた。猫背気味でひょろりと背が高い。この学校ではじめて見る先生だった。他の教員よりもずっと若い。二十代後半か。三十には入っていないようにも見える。まだ綺麗なスーツのせいかもしれない。教卓の前で立ち止まり、バサっと紙束を置いた。あまり格好良くは見えなかった。ふっと周りを見回してみると、女の子たちはこの若い教師の顔を品定めして、私と同じような結論に至り、また私と同じようにきょろきょろしていた。先生は黒いセルフレームの眼鏡の奥の、湿っぽく重く黒い瞳をぐりぐりと動かして教室を見ていた。そうして振り返って黒板に向かい、白いチョークを取って乱雑にガツガツ音を立てて書いた。「倫理」と。あまりきれいな字ではなかった。続けて「山井」と書いた。カツンと硬質な音を立ててチョークが置かれた。先生はぱちぱちを手を叩き合わせてチョークの粉を払おうとしていたが、指に纏わりついた白い粉をきれいに落としきれず、けっきょくスーツのパンツで拭っていた。もとが黒っぽい生地だったため、チョークの汚れは白く目立ったが、先生自身はまったく気にしていないようであった。「はじめまして。今年からこの学校で倫理の授業を担当します山井惣一といいます。どうぞよろしく」と軽く首を縦に振った。彼なりのお辞儀だったのだろう。髪がまたボサッと揺れた。

「この授業は倫理の授業です。ま、あまり人気はないようで、ここに来るまでのほかの選択科目の教室も見ましたが、ここが一番少ないようで……」と彼は言う。高校生というのは残酷なもので、授業が始まって先生が来るまでは、まだ生徒同士互いに人見知りでふわふわして漂うようであったのに、見知らぬ先生が教室にやってくると、みなめいめいに先生を値踏みし始める。優しそうか厳しそうか、授業は面白そうか居眠り用か、頭は良さそうかそうでないか等々。そして、ここにいる誰もが、この先生は平凡な先生で、授業も至極平凡なものだろうと考えに至ったのだと思う。整っていない髪、汚れた手をパンツで拭うものぐさ、乱雑な字と、そういう値札を貼り付けるための材料がこの一分足らずの間にいくつも用意されてしまっていた。かくして値踏みが済んで、凡庸な先生であろうとステータスが定まると、教室は、凡庸な先生にしかたなく付き合ってあげようという、いわばお情けの空気になる。それだから、先生が自虐的に言ったであろうことばにも、誰ひとり真正面から反応することなく、教室はしんとしていた。

 ところが先生のほうはその空気に気が付かないのか、気にしていないのか、構わず話を続けた。「ま、倫理という学問は、哲学を前提とする、あるいは哲学と手を取り合って進む学問だと私は考えています。この倫理という科目もまた、ま、同じ構造を持っていてほしいと思っています。そのために二つのことをこの授業でやりたい。ま、授業についてはおいおい話すとしましょう。まずはみなさんのひととなりが知りたい……」。

「私」というきんきんした主語に続く「やりたい」という押し付けてくるような口調、きわめつけには「ひととなり」というどこか古臭く聞こえることば。こんな若い感じの人が自分を指して「私」と言い、私たちについて「ひととなり」という。違和感が漂った。見回しても教室はしかめっ面で埋め尽くされていた。私もなんだか嫌な、やっかいそうな先生という印象がつきつつあった。クラスの大方は、その顔からも分かる通り、面倒な先生にあたってしまった、という感じだろう。

「……ではまず紙を配ります。ま、質問事項はおおよそ書いてありますので、空欄を埋めてください」。といって、持ってきた A4 のプリントを配った。灰色のざらっとした紙には、「好きな食べ物」だとか「好きな音楽」だとか、月並みなくだらない質問が並んでいた。こんなありがちな質問で私たちの「ひととなり」というものは測られてしまうのだろうかとすこしうんざりしたが、下の方をみると、用紙の半分くらいまるまるつかって、四角で大きな空欄が区切られていた。

「下の一番大きな空欄は、この問題に答えてもらうつもりで用意しました」といって、再び先生は黒板の方へ向き直る。「問題」ということばに反射的に身構えた。先生は例のガツガツでチョークを砕くように字を書いてゆく。チョークってまだ馴れないんですよね、などと独り言ちていた。少しずつ、問いはかたちになっていく。あ、な、た、が、……。問いはすぐに黒板上に完成した。だが誰一人として A4 のプリントに立ち向かうものはいなかった。教室の誰もが、黒板に刻まれた白い文字を眺めて、ポカンとしていた。


「あなたが「個」人であるのはなぜか」。


 問いを理解したものは誰もいなかったからである。「個」にわざわざ鍵括弧がついているのは何でだろう。そもそもこれは問いになっているのだろうか。だって私は私だし……。

「私は私だから」。と先生は私のこころを読み取ったように言った。ビクッとして私は先生を見た。先生はまた指に付いたチョークの汚れをパンツで拭っていた。さっきよりも白く汚れが目立った。その汚れとは正反対なように、山井先生の瞳は黒々と渦巻いているように深かった。この問いと同じくらい、何を秘めているのかが分からなかった。「おそらく皆さんそう思っているでしょう。だからそもそもこれは問いではない、と。もちろんそれは間違いではない。あなたたちはそれぞれあなたたちだ。そう思うならそう書いてください。だけれど、あなたたちがあなたたちであることに何も根拠が無いのだろうか。私が私であることに何も根拠は無いのだろうか? あなたがあなたであって、あなた以外の何ものでもない。そのことの理由は、原因は、根拠は? あなたはあなた以外でありえたかもしれないのに、あなたはいまあなたとしてここにいるのです。その空欄には、あなたがあなたであることを、最も確かに保証するものが何なのかを、ほんのわずかでもいいので書き記してください問いの意味がよく分からなかったら「よく分からない」と書いていただいて結構です」。

 私はほとんど頭がおかしくなってしまいそうだった。私が私以外でもありえた? 本当に? そんな馬鹿な。私は生まれてからずっと藤司とうす琴子ことことして生きてきたし、それ以外の可能性なんて無かったはずだ。私が藤司琴子以外でありえた? そんなはずはない。しかしそういう考えを一瞬で根っこから掘り崩してしまうようなことを、しかもそれがあたかも強固な説得力を持っているかのようにあっさりと、この先生は言うのだ。ぐらっとした。そんな馬鹿な考えはこのプリントといっしょに丸めて投げ捨てたかった。だけど、なぜかそれができなかった。足元が揺れている感じがする。夜寝る前に、携帯電話で百年後の今月のカレンダーを見て、私がもういない世界を想像してしまったときのような、気持ちの悪い不安な揺れだった。視界もぐらっとした。わけが分からなかった。

「ま、気楽に思ったことを書いてください。心理テストみたいなものですから」と山井先生は言った。ハッと気がついた。いまやいろんな色があった。あるものは果敢にプリントに立ち向かい、自分の思考を書き綴ろうとしている。あるものははなから馬鹿げた質問と決めつけて、なにかを適当に書いてしまって、近くにいた同類と雑談している。あるものは腕を組んで、あるいはペンをくるくると回して、上を向いて、下を向いて、グラウンドでやっている体育の授業を眺めて、考えていた。この問いを山井先生が投げかけるまでは、教室が一丸となって、ボサボサの髪を見下し、真新しいスーツに凡庸さを押し付け、不似合いな主語と奇異なことば使いから面倒くさい先生だとレッテル貼りをしていたというのに、この問い以後は、生徒を押し固めた団子はちりじりばらばらになって、各々が、さまざまな姿で解答に立ち向かっているのはすこし面白かった。面白かったのはいいが、私のぐらぐらとした思考はそのままになっていた。何もまっすぐに考えられない。不安で気持ちが悪くて、それほどの余裕などなかった。

 そうして二十分ほどが過ぎた。さきほどまでガツガツとプリントに向き合っていた人たちもほぼほぼ上向きの姿勢になり、あちこち見回したりおしゃべりなどし始めていた。ペンをくるくる回して考えていたものは、その頻度を下げ、俯きにプリントに向かっているし、グラウンドを眺めていたものも、おおかた書き終えたという具合である。何も手付かずなのは、ほとんど私だけではないかと思われた。焦り始めた。ひととなりを見られるというのに、白紙で出すのはまずい。ぐうたらな人間だと思われてしまう。あるいは中身の無い人間だと思われてしまわないだろうか。かといって、適当に答えをでっち上げるのも気分が悪い。なにより、この問いに向かってあそこまでぐらついてしまった自分に嘘をついている気がして嫌だった。どうしよう。焦るからまたあちこちきょろきょろする。きょろきょろするから思考が定まらない。悪循環に陥っていた。

「ま、書けてない人もいるでしょうが、ま、そろそろ集めちゃいますか。ま、いま読むわけじゃないので、いま出さなくても結構ですよ。ま、明日か明後日かには出してくださいね」と、山井先生は言う。なんと救われたことだろうか。時間を伸ばしたといっても書けるとは限らないが、この時間に結論を出さなくてもいいと言われる安心感は言いようがなかった。私は山井先生が口癖のように頭に発音する「ま」に救われたような気がした。


 教室はぞろぞろと立ち上がって、プリントを先生に提出していた。案の定、ほとんどの人が書き上げていた。それでも、「ま」に救われた人は私だけではなかったようである。未提出のものは私を含めて三人いた。一人は、私の隣にちょこんと座っていた女の子で、もう一人は窓際で腕を組んでプリントとにらめっこをしていた、背の高い女の子だった。「今日出さないのは、雁野がんの莉子りこさんと、藤司琴子さんと、冬馬とうま秋菜あきなさんの三人だね。ま、楽しみにしてるので、早めに出してくださいね」と山井先生は気楽だ。私の他の二人は、一体どんな混乱に直面して、惑って、「ま」に救われたのだろうか。少し気になったが、二人とも今年から同じクラスになったのでまだ馴染みは薄く、唐突に切り出すことはできなかった。そのうち話す機会もあるだろうから、と思った。

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