x=7 彼は------⑦
一対一での進路相談では谷川先生であれど、いつもよりは引き締まった表情をしていた。二つの机を挟んで対面し、将来の夢や大学に進学するならどこを目指すか、尋ねられた。
僕が将来の明確な夢は持っていないと言うと、悪い事ではないと谷川先生は言った。
「僕は高校生の頃から先生になりたいと思ってね。特に意味はないんだけど、カッコいいと思っていた。でも、最初に通っていた高校で嫌なことがあって、この学校に編入した。大学にも頑張ってどうにか目指すところへと滑り込んだ。その時は確かな目標が僕にはあったから頑張れた、と言うつもりは僕にはない」
谷川先生は照れくさそうに視線を彷徨わせ、座りなおした。
「とにかく、川原君がやりたいようにやればいい。後悔しないように、ってのも僕は言いたくない。そりゃあ、どんな道に行っても辛い事や苦しいことはあったりして、絶対に大小関係なく後悔すると思うんだ。とにかく、君のやりたいようにやればいいさ」
「じゃあ僕が先生になりたいと思ったりしたら」
「目指してみたらいい。君ならきっと僕よりいい先生になれる」
「谷川先生がなれるのなら僕もなれるかと思います」
頑張れ、頑張れと谷川先生は朗らかに僕を励ましてくれた。ここに入学してから約一年半共にしたが、彼が僕の担任であって本当に良かったと思う。嫌なことがあって、と彼の言うように同じ境遇を味わってきたからかもしれない。だけど、僕が誰かに物事を教えたりするのはどうも想像できない。少し憧れはあるが、他にもなりたいものというのは沢山ある。
海は唇を尖らせながら、
「私は先生に絶対になりたいの。そう、言ってやった」
進路相談の終わった後に僕らは小声で話し合った。
「海はなれるよ」
「雄太郎はすぐ私のことを褒める。昔はもう少し自尊心の強い奴だと思っていたけどな」
「そうなのか」
僕は平然と言いのけるが、内心少し傷ついた。昔そう思われていたと告白されるのは、案外辛く思う。
「普通だったらあんまり褒めすぎると嘘っぽくなるけど、雄太郎はそうでもないから不思議だね」
「そりゃあ、本心から言っているからだ」
事実、結果としても如実に表れている。外部の模試を受けた結果、僕らは大学の郷学判定に大きく開きができた。二段階も彼女が上回っていたのだ。僕としてはまだ目標が曖昧としており、目標の大学を彼女と一応同じ場所にしているが、到底行けるとは思えない。
海は国立なら奨学金などを得て行けるらしかった。けれど、そこの偏差値はなかなか高い。塾にも行ってない僕にとって(海も行ってないのだけども)、険しい道のりだった。
「結局、祐太郎は大学どこに行くの? 私と同じとこ?」
「分からない。僕の夢がまだ漠然としていて……」
「じゃあ私と同じように先生目指せばいいと思うけどな。褒める事、雄太郎は得意だし」
僕だって谷川先生のようになれたらいいと思っているさ。
だけど、それは難しくもあると楽観視はできない自分がいる。
高校三年生の冬にもなると、一日一日が無駄にはできないと痛感する。僕は可能な限り毎日勉強しているつもりだった。僕の主観だが、海よりも勉強量は多いはずだ。週末、彼女は派手な人たちと遊んでいた中、僕は学習室で一人勉強していた。
それでも、僕は彼女に追いつけないでいる。
「話聞いている? 祐太郎、深く何か考えすぎてない?」
そう言われて、僕は我に返る。
朝はまだ早く眠気が脳内から抜けてないのだろう。昨晩も夜遅くまで勉強していた。変に心臓の動きが不規則で、鼓動の音も早く聞こえる。
僕らはたまにこうして駅のホームで出くわすと一緒に学校へ行っていた。
「いや、そうでもないよ。ほら、あるだろう。あの問題の答えって何だっけな、と考えて思い出せないとモヤモヤするやつ」
「よく分からないね、それ」
「そうかな」
「ま、受験生はそういう時期もあるんじゃないかな。私もそうだけど。あれとか、多分私たちと同じ年代だと思うけどね」
真正面から来る僕と同じ背丈ぐらいの高校生らが、気だるそうに横断歩道を渡っている。僕は気に留めないでいたが、人ごみに流されるにつれ、彼らの顔が判然とするにつれ、足がそこで竦んでしまった。
「どうしたの? 祐太郎」
そうして僕は精一杯マフラーに顔をうずくめた。必死に自分だとばれないように、顔を隠そうとした。逃げればいいのだろうが、そういう判断は後になって思考に追いついてくる。身体が先に物事を決断し、嫌な感情が渦巻く自分をひたすら嫌悪する。
前からやってくる男三人は、僕をいじめていた奴らだった。
海は意味が分からず、僕を何度も呼びかける。けれど、僕は反応できないでいる。彼らがただ怖かった。僕が今こうして立ちすくむことしかできないのは、それが原因だった。
彼らが横を通り過ぎる。海が僕の名前を呼んだ。彼らが訝しげに僕を見た。彼らは通り過ぎて囁き合った。何かは分からない。だが、きっと僕のこと以外ない。僕だとばれてしまった。
「大丈夫かって聞いてんだけど」頭を海に何度も叩かれていた。「体調悪い?」
「全然問題ないよ」
「何しているんだ、あいつらは」
海が声を荒げ、僕はその方向を見らざるをえなかった。
その先では、彼らは人ごみに紛れ、僕らの方を向いていた。手には携帯を持ち、見るからに怪しく、恐らくは――写真を撮ろうとしていた。しかし、僕らが見ているのに気がつくと、咄嗟に携帯をポケットにしまい込んだ。
「雄太郎の知り合い?」
横断歩道の信号が点滅し始めた。人の往来が激しくなり、僕も一度頷くだけで歩き始めた。
「ちょ、待ってよ、祐太郎」
「早くしないと赤になる」
僕らが渡り終えると同時に信号は赤に変わった。車が動き出し、僕は気にせず学校へ向かおうとした。
「あいつら雄太郎の高校の――?」
海はそのまま聞き続けるだけで、並走するかと思われた。しかし、僕の手を強く握り、勢いよく引っ張った。
「ちょ、早く学校に行かないと」
海はそれ以上僕の話を聞かなかった。
「それよりも先にやることがあるじゃん」
「やめてくれ、あいつらは多分写真なんて撮ってないよ。もしそうだとしても、大丈夫だって」
「何が大丈夫なのか私には分からない。雄太郎もそこは分別つけないと」
信号が青にならないのをどれだけ心から望んだか。だけど、信号は変わった。
「ほら、早く行くよ」
海のほうが力が強く、僕は逆らえなかった。人波を僕らは横断していき、駅の構内で彼らを見つけた。海の目に彼らの姿が過ると、一層早く走っていった。
「あんたたち、どうして写真を撮ったんだ!」
周囲の視線をものともせず、彼女は言い切った。僕の同級生三人は身体をこわ張らせ、不思議そうな顔をした。
「写真なんか撮ってないぜ」
「嘘だね。雄太郎の元同級生なんだろう。どうして写真を撮ろうと思ったんだ」
僕は今すぐにでも逃げ出したかった。海に首根っこを掴まれ、彼ら三人と向き合わされた。
そして、その姿を見て彼らは嘲笑し、お互いの顔を見つめ合い、何かをしめ合わせるようにして言った。
「だって、川原が女とつるんでんだぜ。学校にいなくなったと思ったら、彼女つくって驚いた。写真撮って、グループに乗せようと思ったわけ」
薄々僕には分っていた。海もその事を分かっているはずだ。なのに、僕には彼女の考えが分からなかった。
「謝れよ、あんたら」
海が言った。
「別に謝ってもいいけど」
他の二人も一人の声に頷く。だけど、彼女の顔は不満気だ。
「雄太郎はこれでいいの?」
「僕は別に大丈夫だから……」
「私、前から言おうと思っていたけど雄太郎は簡単に大丈夫だって言いすぎ。本当に大丈夫な奴は大丈夫だって言わない。そんなこと言いなれている奴は本当に、私は駄目だと思う」
そして、海は並んでいた中央の男の胸ぐらを掴んだ。男はあ、と口を開け、手にしていた鞄を落とした。
「けど、あんたたちの方がもっと駄目だ。他人をいたぶって、それで楽しんで、憂さ晴らしして。傍から見れば、何も面白くないし、つまらないし、気持ち悪い。雄太郎にもな、イライラしてししまったけど、悪いのは絶対にあんたらなんだ!」
謝れよ、と海が言った。僕の頭を掴んで、僕の目は彼らから離れなかった。
彼らは済まない、と言い僕は泣いてしまった。そこで、またしても僕は海に頭を小突かれて、小首が変な方向へと曲がった。
人が僕らを好奇な目で見ており、そのわだかまりの中を僕は海に引き連れられていく。
「ご、ごめん。海」
「どうして私に謝るの?」
「だって……」
声が出なかった。上手く吐きだせなかった。
「悪いのは完全にあいつらに決まっているから、謝らなくてもいい。雄太郎がそんな性格なのも私は昔から知っている。でも、いつかは雄太郎だってもっと強くならないといけないし、変わらないといけない。じゃないと、いつまでもあいつらにやられっぱなしになる」
僕らはその後、一言も話さず学校に辿り着いた。お互い授業に集中し、一言も授業中は話さなかった。放課後になれば、僕らは学習室に行っていつものように勉強をするだろう。僕としては、一刻も早く授業が終わって彼女に言いたいことが沢山あった。
とにかく、僕は彼女に恥ずかしい思いをさせられたと思う。でも、それは僕の情けない行動からだ。それは、彼女のせいではなく、全て僕のせいなのだ。
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