x=6 彼は------⑥

 あれから時々一緒に帰ることになった。あわせて海は勉強をするようになった。僕の隣で提出された課題に取り組み、時には僕の解いている問題にも興味を持った。

 学習室の隅っこの席で隣同士に座りながら、互いの問題の解答を教え合ったりもした。傍から見れば、おかしいと思うだろう。僕みたいな奴が金髪の少女と勉強に取り組んでいる様は、誰が見たって違和感を覚えるだろう。僕が一番、この状況を困惑しているのだから、そうに違いない。

「勉強ってやってみると案外面白いものだね。大人の誰しもが言っているけど、やっぱり子供の頃はちゃんと勉強をするべきだった」

「今だって子供だ」

「中学の頃に決まってるじゃん。やっぱり最低限の教養は身につけておくべきだ」


 二人歩きながら僕たちは喋った。季節は暖かくなりつつあった。けれど、防寒着は手放せず、だからと言って脱いでしまえば肌寒く思えるぐらいには暖かかった。

 夜遅くになれば、昼間は活気にあふれている街並みさえも静まり返っている。だから、僕は夜の方が人目を気にせずに歩けられた。この辺りは僕らの高校以外にも予備校がひしめき合っていて、知り合いに遭う可能性が高かった。

 彼女の髪色と派手な格好は目立ち、反対に地味目な格好をしている僕らの歩く姿は否応なしに人目に付くのだ。彼女と話すのは楽しくもあれど、少し声が小さくなったりもする。

「私、もしかしたら雄太郎のクラスに行くかもしれない」

「大学を受験するの?」

 彼女の言葉に僕は案外衝撃を受けた。近頃、真面目に勉学に取り組んでいると思えばこの発言だ。

「それはまだ分からないんだけども。お母さんにこの前大学に行ってみたいなあって話をしたら、クラス変更はしてもいいってさ。それで、また頑張る気持ちがあるなら応援してあげたいって、言ってくれたんだ」

「それなら頑張るしかないな」

「うん。元から、そうだったのかもしれない。お母さんに言ってしまえば、最初から援助をしてくれたのかもしれない。でも、お姉ちゃんとかも頑張っているし、自分も働かなきゃって勝手に思ってたりした」

 僕は少なからずも、もったいないと思った。

「海なら今から頑張れば僕よりいい大学に受かると思うよ」

「それはないよ、絶対に」

「いいや、絶対に行けるさ」

 それは嘘偽りない本心からだ。

 海は昔から利発な子だった。今だって気立ても良く、他人への気遣いを、配慮を常に考えている。僕のように取り繕った頭の良さではなく、真の頭の賢さがあるのだ。

 

 それから、海は発言通りに僕たちのクラスへ転向してきた。数日も経たぬ間に僕よりクラスに溶け込み、谷川先生も喜んでいた。辛気臭い教室が活気を増したのだ。最初は彼女の見た目に嫌悪する人もいたが、今はいなくなっていた。

「原田さんは本当にこれまで全く勉強をしてこなかったの?」

 加えて、谷川先生がそこまで言うぐらいには頭の良さを発揮していた。提示された問題をあっという間にそつなくこなし、誰よりも早く物覚えも良かった。

「私の勝ちだ」

「僕の負けだ」

 この高校の定期テストは基本問題が多く、授業を休まずに聞き、一定量をやっていれば満点を取れる難易度だった。彼女は簡易的な間違いもなく満点を誇った。学習室にも暇さえあれば僕と通い、頑張っていた。例えるなら水を得た魚である。勘違いかもしれないが、勉強をする姿はとても楽しそうに見えた。

 僕らが二年生になり、夏が終わる頃には見た目もあからさまに変貌していた。金髪をやめ、髪は真っ黒に長かった長髪は短くなっていた。

「模試とかイメージ悪いじゃん」

 成るほどね、と声に出さずに僕は頷いた。

 夏休みも風さえ引かなければ、毎日通っていた。海は一度、近くの図書館で勉強しないかと言った。地元に公共の図書館があり、そちらの方が近く利便性が良かったが、僕は嫌だった。無論、知り合いに会うからだった。

「雄太郎は確かに嫌なのかもしれないけど、そういうのは気にしちゃ駄目だと思う。だってもう、二度と同じ枠組みで会うことはないかもしれないけど、もし仕事場で再開したときにはどうする?」

「その時はその時だろう。海には分からないよ。どれだけ、二度と顔を会わせたくないかなんて」

 また会えば、嫌な記憶が再燃されるだろう。思い出したくない。いじめがあったことだけを僕は覚えて、それでいて中身までは詳しくは記憶したくなかった。絶対に彼らには会いたくなかった。

 海は僕が激しく首を振ると、納得してくれた。それでも、渋々というか、完全には府には落ちていないようだった。

 秋になる頃には、僕は海に教えられる側になった。未だに初歩的な問題さえも、時には彼女に教えられることが多々あった。

「違うってば。x²-8x+7は、0以上の場合はまた答えが違うんだって。一回図に書いてちゃんと確認しないと」

「次は解けるよ、きっと。理解した」

「駄目、祐太郎は表面上しか理解していない。それじゃあ、これはどうなるの?」

 海はノートの一部に似たような問題をそのまま書き、僕の理解度を試した。

『x²-8x+7<0』

 解いて見せると、彼女は顔をひきつらせた。

『x<1、x>7』

「さっきの問題をちゃんと理解していないじゃん! どこが分かったって言うのさ。やっぱりまだ答えがあやふやになっている。答えは『1<x<7』だって」

 金髪の頃よりも面構えが険しくなっている海は、とても怖く見えた。

「私はこういう問題こそしっかりとしないといけないと思うけどなあ」

 僕は笑ったが、海は笑ってはいなかった。

 


 それから数か月がたち、僕たちは三年になり、そして進路を決めなければならなかった。

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