2. 花木の物語

「美しい花を咲かせる木はすらりとした背の高い木でねぇ、人三人分くらいはあるかのぉ。背は高いんじゃが枝が垂れてて、わしでも手を伸ばせば簡単に枝に手をかけられる。じゃが、そう簡単には触れんのよ。あれは気に入った者にしか手を触れさせない、神聖な木らしいけぇ」

 老女はそこで神聖という言葉に違和感があった。それは神聖というのとは違って聞こえたのだ。


「ある時、その木の下に男が一人立ったんじゃ。男が美しい木じゃ、と呟いたら木に花が咲いたんよ。一つだけなぁ。さらに男が美しい花じゃ、と誉めた。すると、花は満開に咲いた。じゃが、男は何もゆわず、その場を去ろうとしたんじゃ。すると、花は散ったんじゃ。それを見た男は美しい、と涙を流したんじゃ。木は葉も全て落としたんじゃ。男は枯れたか、と呟いて去ったんじゃ。すると、またしばらく経ったある日、別の男が木の下に立ったんじゃ。枯れた木を見て男はせっせと世話をし始めた。花を咲かせんさい、と我が子んように献身的に世話をしだすと、木はすぐにそれに応えて葉を茂らせ、花を満開に咲かせた。男は汗を拭い、咲き誇る花の下、涙を流して死んだんじゃ。すると花はまた枯れた。また別の日に、別の男が来た。木は花を一つだけ咲かせた。男はその花が人間の女じゃったらなぁ、と呟いた。すると木はめりめりと音を立てて倒れ、二度と花を咲かすことものぉて、土に還ったらしい」


 男はそこで沈黙した。


「話はそれで終わり?」

 老女が訊くと、ああ、終わりだ、と男は静かに言った。


「木は木。人間は人間。その境界は越えられんし、それ以上にも以下にもなれんけぇ。この舟にも運べる量ってのがある。それ以上を乗せれば、この舟は沈んじまう。過ぎた願いは身を滅ぼすってよく言うがなぁ。それがここでのことわりじゃけぇ」

 理、と老女は小さく呟いた。


「でも、過ぎたことは滅ぼすが、不足分は請求できるんだぜ」

 ふいに背後からした声に老女はびくり、と振り返る。

 先程まで黒い猿がいた場所に、青年が一人、頭の後ろで腕を組んで座っていた。


「これっ!行儀のわりぃのぉ。お前は体重が重いんじぇけ、大人しくしとけとうたろうがっ!」

 男が厳しい口調で叫ぶと、もうすぐ着くからいいだろ、と青年は大きく伸びをした。


「ホントすまんのぉ」

 男は老女に向かってほとほと困ったというように苦笑して詫びた。

 老女はただ戸惑っている。


「猿、は?」

 老女が問うと、ああ、と男は笑む。


「コレは私の『あしすたんと』で、人間じゃあないけぇ」

 笑う男に青年が、無理して横文字使うなよ、とうんざりした表情をする。それを男は憮然と睨んだが、すぐに老女に取り繕うように笑む。


「ほら、門が見えて来よったで」

 男が前方を指差す。


 霧が薄らぎ、そびえ立つ古めかしいながらも風格のある門が姿を現し、その輪郭は次第にはっきりとしてきた。


 ふと、老女はそこへ行ってはいけないような不安に襲われた。

 なんだかとても急き立てられるように、老女は背後を見やり、そして川面を見た。

 目を凝らすと、澄んだ川面に透けて川底が見える。


 否。

 川底ではない。


「身を乗り出さないでくださっ」

 その先にあるのは……


「ああ、あれは私のっ」


 老女が川底を覗き込もうとした瞬間、ぐらり、と舟が揺れ、あっ、と叫ぶ間もなく、老女は川に落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る