3. 名前と顔と真実と

「やばっ。もう始まっちゃうっ」

 毎週欠かさず見ているドラマ。

 そのドラマを見るにはいつもの道じゃ間に合わない。


 でも。

 近道をすれば間に合うかもしれない。


「近道しちゃお」


 そう思った瞬間、昨日のことを思い出した。

 かわいい女の子が言った言葉。


「近道したら死んでしまうよ」


 その言葉が胸の奥に重く落ちてきた。

 あの子、明日って言ってなかった?

 それって今日のこと?


 普段近道なんてしない。

 この道を使うのはもう何年振りだろう?

 そういえば、最近この辺りも物騒になった。


 でも、ドラマが……

 でも、死ぬって……


 迷って、結局走り出した。

 いつもの道を走った。


 あの子、あそこで誰を待ってたんだろ?

 あの子、私を待ってた?

 あの子、誰?

 あの子、何?



「バンッ」


 帰りは迷うことなく、元のいつもの部屋に戻れた。

 部屋に戻ると、手のひらの文字はいつのまにか消えていた。


「バン、どこ行ってたんですか?」

 たった一日だった。

 だけど、シーとこんなにも長く別れて一人でいたのは初めてだった。

 心配そうなシーの顔は、明らかに動揺していた。

 そんなシーを見るのも初めてだった。


「……シー、人を見てきたよ」

 その言葉にシーの顔はさらに動揺の色を濃くした。


「なっ……そんなことっ、どうやってっ」

「私が名前を吐くから人が死ぬの? さっきまで動いてたのに、急に死んで動かなくなるんだ。死ぬって……人が死ぬってとても生々しいよ。そんなのを目の前にして、私はこの仕事を続けるなんてできない。何も言わなければ、誰も死なないかもしれない」

 バンの悲痛な言葉に、シーはやっとバンの気持ちを察した。


「生きるってそういうことです。物だっていつか壊れる。世界の全てはいつか壊れたり終わったりすることばかりです。だから、大切なんです、全てが。私達の仕事はその終わりを記すだけ。でも、終わりがあれば始まりがあります。始まりを生み出す仕事でもあるんです。終わりを次に繋げるための仕事なんですよ?」

「終わりを次に繋げる? ただ死ぬ人の名前を言ってるだけじゃないか」


「死んだ人はここに来て、また生まれ変わります。生まれ変わるためには死んでここで過ごす必要があります。ね? だから、次へ繋げるために、ここへ迷うことなく連れて来るために、必要なリストを作る仕事です。大切なことだと思いませんか?」

「そうだけどさ、死なないでずっといることはできないの? なぜ死ぬ必要があるのさ? 終わりが必要だって思わない」


「必要ですよ。何かを始めるには何かを終わらせなければならない。何かを学ぶためには、何かを壊さなければならない。そうでなければ、進歩は望めません」

「進歩なんて……」


「じゃあ毎日同じことを繰り返していましょうか? 毎日同じように同じ会話だけをして過ごす。そんなの退屈でしょう?」

「別に同じことしなくたって……」


「進歩しないってそういうことです。毎日同じことの繰り返し。何かを得るには何かを捨てなければならないんですよ。必要なものが増えれば増えるほど、それを支えるだけの器が必要になりますね? 人が生まれるばかりだったら、すぐに鮨詰め状態になってしまいます。限りがあるから、大切にしようって心も生まれますね?」


 理解できないよ、とバンは俯いた。

 でも、本当にそう思っているわけではない。

 シーの言うことは正しい。それは認めているが、でも納得できないでいる。

 終わりが必要な理由なんて、きっとどれも納得できるものじゃない。

 シーは見ていないから言えるんだ、とバンは思った。

 目の前で消えていく命と、壊れてゆく様を。


 そう思った瞬間。

 知った名前が浮かぶ。

 ああ。やっぱり、人はすぐに死んでしまう。


 近道をしないでって言った。

 近道をしたら殺されてしまうから。

 だから近道をしないでくれたのに。

 それなのに。

 殺されない代わりにバイクに撥ねられるなんて。

 バンの頬が濡れる。


「バン?」


 シーの言葉で自分が泣いてると知った。

 初めて泣いた。


「終わるのって……こんなにも……」

 胸が苦しくて、喉に何かが刺さっているようにもどかしくって。

 こんな気持ちは初めてだった。


 名前を吐くのはこんなにも辛くて悲しくて痛いことだったんだ。

 初めて吐く名前の顔が浮かぶ。

 それが激しい痛みを伴うことだと知った。


 だから、顔を知ることがないよう、こんな部屋で仕事をさせられていたんだ、とバンは理解した。

 顔を知ってしまってたら、声を知ってしまっていたら、もっと深く知ってしまっていたら。

 とてもこの仕事を続けることはできない。


「バン? 大丈夫ですか?」

 シーの心配そうな声にバンは思わずシーに抱きついた。


「バッ……」

 驚くシーをバンはさらに強く抱きしめた。


「少しだけこうしてていい? そうしたらまた名前を吐くから」

 シーはそれに強く頷いて、バンを優しく抱きしめた。

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