1. 四角い箱の中

 窓のない広くて四角い部屋。

 その奥に広くて大きな机があって、たくさんの紙が散らばっていた。

 机の上には紙の山と筆があるだけ。

 室内には来客用の低いテーブルとソファがあるだけで、他になにもない。


 バンが名前を言って、シーがそれを膨大な量の紙に記してゆく。

 ここにある紙の山は、そのためのものだ。

 床に散らばる紙の山を毎日どこかへ運び、そして毎日また紙の山が運ばれて来る。

 ただそれだけがここでの仕事。


 そして、それはここで存在し得るために欠かせないことだった。

 名前を吐くことをやめても、記すことをやめても、二人一緒に消えてしまう。

 元は二人で一人だったからだ。



「お前が次のバンシーか」

 目を覚ますといつもと違う場所にいて、たくさんのヒトに囲まれていた。


「不思議なものだな。長くここにいるが、バンシーだけは理解できん。死ねば次のがすぐに落ちて来る。ここで生きている間に降って来ることもない。どういう仕組みになっとるんだかなぁ」

 そう笑って、目が覚めたなら仕事をしろ、と今のこの部屋に案内された。


 紙だけが大量にある部屋。

 何が起こったのか、何が起こってるのか理解できないまま、筆を渡された。

 困惑していると、ああ、すまない、と案内した男が頭に手を乗せた。


「一人じゃ無理だったな。それに、一人のままだと規則違反になるんだった」

 そう言って、目を閉じて何かをボソボソと呟くと、激痛と共に二人になっていた。

 まるで雷が全身を駆け抜けるような痛みと閃光。

 あの時の感覚は体に刻み込まれて、今も思い出せば震えるくらい鮮明に思い出せる。


「名を吐くのがバン、それを記すのがシーだ。さぁ死ぬものの名を吐け」


 最初の数年は言われるままに、まるで機械のように眠りもせずに名を吐き、記した。

 バンが名を吐くと、言葉が墨文字に変わり、それをシーが筆で受け止めて紙に押し当てる。


 そうして記された紙は、一日に五度、真っ白な着物を着た子供が取りに来る。

 顔には白い布に不思議な文字が書かれたものを面のようにつけている。

 ヒトではないのだと聞いた。

 運ばれたものは鬼籍と呼ばれる台帳にされ、最終的に門へと運ばれるのだという。

 単調な日々に慣れ、自分のいる世界のことを理解し始めた頃、ようやく心を取り戻していた。

 それまで、感情を封印されていたように、まるで機械のように生きていたが、急に、ふと突然に元の自分に戻っていた。


「シー」

 呼びかけると、

「何ですか、バン?」

 そう答えが返ってきた。


 初めて交わした会話はそんなものだった。

 自分と会話をする。

 それは不思議な感覚だった。

 自分なのに、どんな答えが返って来るか、予想できなかった。

 それからしばらくはたくさん会話することを楽しんだ。

 バンはころころと感情を変えるが、シーは対照的に常に淡々としていた。

 それでもバンは会話することが楽しかったし、シーもバンを特別に思っていた。


「ねぇ、シー」

「何ですか、バン?」


「この部屋の外ってどうなってるんだろう?」

「廊下があるだけです」


「違うよ。もっと外だよ」

「建物の外に出るつもりですか?」


「違う。もっともっと外。この世界の外だよ」

「私達は出られませんよ?」


「でもさぁ、見てみたくない?」

「何をです?」


「私の吐いた名前の人がさ、どんな風な顔してるかってさ」

「見てどうなるのです? どうせ死んでこちらにやって来るんでしょう?」


「そうだけどさ。生きてる人間ってどんななのか、見てみたくない?」

「見たくありません。それより早く続きをお願いします」

 つまんないなぁ、と言いながらもバンは名前を吐いた。



「最近、仕事のペースが落ちたようですね」

 元老院。

 その円卓にまばらに人が座るなり、深刻な声が漏れる。


「会話をしているようですよ」

「心が戻ったか」


「そのようです。外に興味があるとか」

「それはいかんな」


「ええ。どういたしましょう?」

「前のバンシーのようにいたしますか?」

「いや。そのせいで死期が早まったと聞いたが?」


「寿命だったのでしょう。このまま放置しておくと、秩序に障りが生じましょう」

「じゃが、いかにして閉じ込めておく?」


「閉じ込めずに外に出してはいかがかな?」

 その一言に室内はざわめいた。


「バンシーを出すとっ。そうおっしゃるかっ」

「正気かっ」


「もちろん、ただ出すだけではありませんよ。悲惨な体験をすれば、外への興味もなくなるかと思いまして」


「悲惨な体験?」


「はい。バンが外へ興味を示すのは、外がどんな場所か分からないからです。だから、素敵な場所だと想像してしまうのです。なら、外がどんなに恐ろしい場所か教えてやればいいのです。その目で見て、体験すれば二度と外へ出ようなどとは思わないでしょう」


「確かに。一理ある」

「出すのはバンだけか?」


「はい。シーはバンから剥がれ落ちた片割れ。書き写すだけの能力しか持ちません。恐れるのはバンが外に出ることです。外に興味を持っているのは、今のところバンだけだと報告を受けています。バンが興味を失えば、この件は片付くのでしょう?」


「そうだが……どうやって出す? 術師をつけるか? 悲惨な体験も術師の手を借りるのか?」


「何もしません」

 その言葉に全員が一瞬動きを止めた。


「な、何を申されるか? 何もしないとはどういう意味か?」


「行雲流水。それがここのことわりだということ、お忘れですか? 流れのままに、任せてみるのも一興でしょう」


「それでは外に出たまま戻らなかったらどうする? 死ぬはずのものが寿命を延ばしたらどうする?」


「バンは必ず戻って来ます。悲惨な体験をして。寿命を延ばす者が出るかもしれませんが、延びるのは少しだけでしょう。その間に大きく世界が変わるなどということは起こりえません。だから、皆様、このままここで座ってお茶でも飲みながら待ってみてはどうでしょう?」


 いいお茶があるんです、とその人物は深く被ったローブの下で笑んだ。

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