第5話「葛藤」
3日前、僕はトン師匠とTVで野球観戦していた。
関西弁のトン師匠は案の定、阪神ファンだった。
「待てよ、次は外の変化球やから振るなよ!
振るなよ!分かってるな!」
僕にはトン師匠が芸人の伝統芸をしているようにしか見えない。
その後、阪神は逆転負けとなりトン師匠は
誰から見ても分かりやすく不機嫌だった。
「なんや恭!そんな阪神負けた事がどうでもええんか!すました顔しよって‥」
じゃあどんな顔したら良いんだよと言いたかったが喉に抑えて、別にファンじゃないからと答えた。
するとトン師匠は僕を見つめて、
「じゃあ恭はどこの球団が好きやねん」
「えっ‥」
恭は急に話をふられて戸惑った。なぜか簡単な質問にすぐに答えられない。小さい頃は好きな球団と言われたらすぐに答えられた。
しかし今は別に好きな球団とかはなく、ただ何となく野球観戦するのが好きなだけだ。
トン師匠の問いかけに答えられずに黙っていたら、トン師匠は最初、頭にはてなマークを浮かべていたが突然ハッとした顔をして
「まさか恭!お前まさか!巨人ファンか!?
あかんぞ!それだけはあかんぞ!100歩譲って
近鉄なら許したるが、巨人だけはあかんぞ!」
トン師匠はそのまま興奮しながら喋っていたが
恭は何でこんなに自分は色々な事に無関心なのか
不審に思う。おかげで外でトン師匠が何を言っていても蚊帳の外だった。
その様子を見ていたトン師匠はしばらくして、何かに気付いた顔をして、少し笑い自分の息を整えてから落ち着いた声で恭を呼んだ。
さっきまでギャーギャーわめいていた人とは
思えないくらい優しい顔をしていた。
そして僕の正面に立ち、ゆっくりと一言
「最近なにしても楽しくないんやろ?」
心臓が跳ね上がった。心拍数が上がる。
血液がさっと引いて、すぐさま流れ込んできた。
全身の血が湧き立つようだ。
トン師匠は何で僕が楽しくないと‥
いや何で僕の悩みに気付いたんだ?
僕はトン師匠の目を見つめた。
トン師匠から目をそらせなかったのだ。
心の底から驚き、なぜか少し恥ずかしく、
このままどこかへ走り去りたい気分だ。
何だこの気持ちは‥?
するとトン師匠は少しにやけながら
「分かんねん。わいも昔一回だけそんな時期があったからな」
何だというんだこの豚は、いやこの人は。
何で僕が悩んでいる事をすぐに見抜いたんだ。
さっきまで巨人や阪神だと叫んでいたくせに‥
トン師匠に自分の心を見抜かれているようで
悔しい感情で一杯になった。
「別にそんな事ねぇよ」
嘘だ、ただの強がりだ。
ただ、今は強がりを言い張ってないと
何かがはち切れそうな気した。
「いいや、恭は自分で気付いてるはずやで?
何をしても楽しくなくて、何をしても退屈で
周りのみんなと遊ぶのかアホらしくなってくんなやろ?」
やめろ
「かといって友達と遊ばなくなったからといって
心のモヤモヤが晴れるわけでもないし」
やめてくれ
「自分のやりたい事が分からんから、自分が何したら良いか分からんくなって」
もういい。
「そんな自分が嫌なんやろ?ほんまは自分から向かって努力したいけどその目標が見つからんから恭は‥」
もうたくさんだ。
「分かってんだよ!そんな事は!」
不思議と感情に言葉が付いてきた。
「俺だってそんな事は分かってるんだよ!
でも分かんないんだよ‥大切な事が‥」
部活以外で大きな声を出したのは久しぶりだ。
しかし恭の胸の中にある張り巡らされたものは
少しも消えてはくれなかった。
分からない、分からない事だらけだ。
自分がなぜここまで動揺してるのか分からないし
胸の中にある自分を固めて、呼吸を遮るものの名前も分からない。
息ぐるしい‥
頭は限界まで回転し、心が全力で働いてる。なのに言葉が出てこない。
恭は、ふとトン師匠から目をそらした。
するとトン師匠はそんな恭に気にもとめず、
すぐ恭の近くまで歩き声をかけた。
「じゃあ恭、わいと賭けをせえへんか?」
「はっ‥?」
急にどうしたんだこの人は、今日のトン師匠は少しおかしいぞ。
恭にはそんな事する理由はどこにもない。
すぐに断ろうと思ったがトン師匠のその後の一言の
負けるのが怖いんか?にいとも簡単にのってしまった。
「決まりやな」
そしてトン師匠はずっと笑いながら賭けに勝った時に何をしてもらうか考えていた。
顔はにやけきって4本足で陽気にステップを踏んでいる。
その姿は動物好きな人からしたら愛らしい光景かもしれないが今の恭からしたらイライラさせる以外の何ものでもない。
トン師匠は大声で書くものを用意しろ、
と僕に言った。
そしてすぐにシャーペンとルーズリーフを
出して賭けの内容とそれぞれの署名を書いた。
(トン師匠は名前の代わりに手形を押した)
賭けの内容はこのようなものだ。
1 期限は2週間
2 勝ち負けの判断はトン師匠がつける
(トン師匠はどうしてもこれだけは譲らなかった)
3 恭の関わりのある人なら誰でもよしとする
顔見知りぐらいでも可
と細かいルールはこんなものだ。
これを作っている間ずっとトン師匠は楽しそうだった。
「じゃあこれで恭とわいの賭けは成立やな。
でも恭にできんのか〜?‥‥することが」
これが僕が初めてした賭けの始まり。
そして自分のための勝負の始まりでもある。
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