第2話
そうして、目の前の男はなお平然とした顔で私の罪状とかいうなにかを語り尽くした後、ふと思い出したかのように話し出したのであった。
「ああ_自己紹介が遅れたな、
俺はフランツ・チャライエという。先ほども述べたように、
_あらすじ。心理戦に負け、知らない家の屋根に男女2人絡み合って落下した。以上。
_ここで。
私の自己紹介もついでにさせていただこう。
先ほど述べた通り、私は天使である。清白な羽根は肩から生えているし(普段は消しているが)、美を愛でる心もある。この目の前のクソ男を助ける良心もある、いたって普通の麗しき女性の天使。
ヴィーラ・アンゲロス・ラギュエル。
それが私の名である。
追い詰められ、謎の自己紹介の後、
「落ち着ける場所に移動したいんだが」
と、お互いの瞳の光彩の眩さがしっかりとわかる距離のまま提案された。そいつの_フランツと名乗った_赤い瞳に短い金糸がさらさらとかかり、光が透ける。
床ドンとか言ったか、人間が好きな愛だの恋だのを表す言葉「胸きゅん」とは程遠いものであった。戸惑いと恐怖に満ち溢れていた。
いやはや、どいつもこいつも人間ってものは奇怪である。
なんか、こう、せめて何か躊躇があったりとか、照れたりしたら可愛かったものを。まあ若くも無い男の照れなんて必要ないのだが、してやられた気分でいる私としては少しでも勝ちと思える要素が欲しかったのである。任務遂行のために手段を選ばないところ、底見えず恐ろしい。
ここが何処かの家の屋根の上だということはこの際置いておく。
そして、すぐに不正取締院まで同行をお願いされるところだと思っていたから、落ち着ける場所に、なんて言われて私はすっかり驚いた。道中で人混みに紛れ込んだりしてやってどうにかして逃げてしまおうと思ってた私にとって、計画が破綻してしまったことは不満でしか無い。落ち着けるところというのは人がいないところの比喩であろう。
何事もなかったのかのような相変わらずの無表情をたたえた男は、翼の下に入れていた手を抜いて瓦屋根に立ち上がる。セピア色のそれはガシャンと鳴った。未だ立ち上がれずにいる私は先ほどの言葉の意図を尋ねるも、
「話があると言ったはずだが」
の一点張りである。その話が知りたいんだよこっちはな。
院の制服、こいつの人並み外れた運動能力。それらに先ほどはビビってしまっていたが_ここにきて、この言動。
すごく、怪しい。
まず目の前の、フランツ・チェライエと名乗った人間。制服をまとっているだけで、実際に確かにそれであるかは確かじゃない。捏造なんて余裕である、人間はやけに器用に育った。
疑問:何者?
しかし、私の犯してきた罪状にやけに詳しいのは気になるところだ。いや、私は清純な天使なので決してそんな罪などは無いのだが……苦しい言い訳はやめにしよう、うん。地上は厳しい。私を追いかける道理はおかしくは無い。
不問、それがどんなことだとしても、人の家の屋根で話すのは非常識であろうことは私にでもわかる。流石にわかる。
どうにしろ移動しなきゃいけないのだ、なんたって少しずつ人が集まってきていた。天使と、それと絡み合って落ちてきた不正取締院の者、ひたすらに謎である。そりゃあ、私でも野次馬るわな。
私はおずおずと口を開くような、申し訳なさの溢れた声で話し出す。
「あの……なんかさ、落ちたばっかりでアレだけど塔の上でもよくないの? 通気性とか抜群だし」
「まるで自分の家のように言うな、罪人。……まあ、他の人に聞かれたい内容ではないな。今だけ許可しよう」
おっと、あれはもう私の家だという認識が常識へと変わっていた。言葉選びを失敗した。許可が下りたが、意図を図り損ねる。また逃げられることを考慮していないのか、次は逃げられる自信がないのか。有翼である私にとって有利な塔への誘導は、成功することは喜ばしいことである。少なくとも私は次は全力で飛ぶしどんな脅しも効かないからな、と心の中で宣戦布告。
登った後でもいいからどうにか隙を見て……と思慮して、顔を伺うと、鋭い視線が突き刺さる。隙はなさそうだよなあ、しかも翼の揺動は戦闘にこなれてそうなこの男にはバレバレそうだ。はあ、と一息つく。割れた瓦をはたきながら立ち上がってみてわかった、目の前の男、私と比べてもだいぶ背丈が高い。肩幅から筋肉でがっしりしているのが制服の上からでも見てわかる。だって重かったし、と運動不足で悲鳴をあげていた腕を思い出し、優しくさする。頑張ったな私の腕。
そしてそんな重量級の塊は、功労者のか細い腕を遠慮なしにまた掴むのである。痛い、と声が思わず出るが、御構い無しかい。ふざけんな。
「行くぞ、罪人。降りろ」
「いやいや掴まれてたら羽使えないんですけどね、頭沸いてんのか?」
口が滑った、と顔色を確かめる。私もまだ混乱しているようだ。男は少し間をおいて、
「それもそうか」
素直な肯定、奇妙な感じがしてむず痒くなる。グッと掴まれていた腕が解放され、屋根からふわりと降りる。すると、お昼前の定食屋のような人数の野次馬の人間たちに出迎えられた。もしかしたら怪我人がいるということを考えた人もいたのかもしれない、わたわたとせわしなく動く人たちが一同に私を注目する。
「ごめんなさいね」
と声をかけた。その後ろを男が飛び降りてくる。結構な高さだったはずだが全く躊躇なかった様子のそれを見て、やっぱこいつ何者だろうなと思った。
そして降りた先には、笑いながら、嗚呼お前さんか、と笑う老けた男、驚いたように跳ね上がる若い女、院の制服を見て緊張した顔を見せる者、私と交互に男を見て驚愕する奴らなど諸々の人間の野次馬たち。
それはもちろん私の
「ヴィーラさんついにお縄に……!?」
「あの性悪天使がようやく……」
「え、と、ヴィーラさんは性悪までじゃないと思います! ちょいワルぐらいですっ!」
「庇えてねえぞ」
謎の擁護を見せる顔見知りの若い女に、隣の男が正当なつっこみを入れた。いや「ちょいワル天使」はダサいからせめて性悪にしてくれ。流石にその響きは気に入らない。
「この家の主人はいるだろうか…屋根は後ほど弁償させてもらう。今はこの罪人との会話を優先させてもいいだろうか」
罪人、とまた野次馬がざわつく。うるさいわ今更だろうに、掻っ攫ってきたカップ酒の自動販売機、無料で使わせてやったあの恩恵を忘れたとは言わせない。この中の数人は十分共犯だからな特にその辺の酒飲み共、と中年男を睨みつけるも、効果はなかった。
「じゃあいくぞ」
その人混みを突っ切って歩く男に、やっぱりついていくべきでは無いのではと短い思案、私を嵌めても金も何も出ないが、昔買ってしまった恨み辛み魑魅魍魎の類ならば心当たりましましだ。逆にそれしかない。そのために人のいないところに連れ込み殺すとか、体捌かれて内臓売られるとか、羽毟られて高級布団にされるとか。
遂に私もこんな日が、と目を眩ませる。
でもそれならば、ここまで目立ってはしょうがないはずだ。ここであったことをかき消す無駄な労力が必要になる。
ならば、何用でこの男は。
「……まあ、考えても仕方ないか」
「なにをしている、早く行くぞ」
「はいはい」
私の
力でも頭でも先ほどは負けた不覚、次はそうはいかない、という決意と覚悟と恨みを持って、私は男の背後をついていった。
_色々ありすぎて忘れていたのだが。
衝撃的なことが起こりすぎて、忘れていたのだが……。
「_そういえばお前どうやってここ登ってきたの……?」
この塔には内部に下層から突き抜けた大きな丸い空洞がある。ここからでも、雲から少し晴れ間が見え出した大空が、切り取られてぽっかりと浮かんでいるのが見えた。
そして登る方法は古風にも不便にも一つ、それにかかる大きな大きな梯子を使うしかなかったのだ。
そして、それが不慮の事故で偶然壊れてしまった。それならば、有翼以外に登る方法は無いと言えよう。
うん、事故だからね。
それなのに翼も持たないこの男は、音も立てず私の至高の時間を邪魔しに来たのだ。
やっぱ何者だこいつ。
男は静かに赤レンガに手をかけた。
その当時の技術力では、綺麗な円柱の穴をレンガを並べて作ることはできなかったらしい。ボコボコしていてどこかしらレンガが飛び出たりするので、たまに羽が引っかかって痛かったりする。
「ん? ……ん? 曲芸でもするつもりなの? 普通に登るったって人間の腕力じゃ無理だろ」
男は肯定も否定もせず、四肢を器用に使い壁を登り始める。いくらレンガが張り出ているところがあるとはいえ、難しいところもあるんじゃないだろうか。歩いている姿では分からなかった、筋肉の膨張するよく鍛えられた下肢を眺めながら、筋力でどうにかなるものではないはずだと思案する。
いややっぱり無理だろうこれ、大体高さが尋常ではないのだから、並外れた人間だとしても中層にもいかず疲れ果てて腕を離してしまうはずだ。はずなのだが……。
羽を出して、ふわっと上昇する。
男に追いつこうと飛び上がると、彼はこちらの気配を察したのか、ため息をついた。
そして
レンガを掴んでいた両手を離す。
_どうしてだろうか、離したのだ!
またこれか! なんかデジャヴだぞ!
そう考えて、もちろん彼は重力に従って落ちるだろう、そう思ったのだが。
その男は、なんということか、
レンガの、壁。
なんと、そこに垂直にまさしく、
_立っているのだ。
這っているわけでもない、ただ横に、私から見れば横に倒れているだけのように見える。
だが、だが!
重力というものを知ってる私からすると、異様過ぎる光景である!
頭がただただ混乱している!
驚き過ぎて翼を動かすのをやめそうになり、落ちかけたほどだ。天使が落ちるなんて縁起でもない。いやなんで、どうしてそう。
有翼に対抗し人間も空を駆ける為の力でも扱おうとでも思ったのだろうか、でも例がない、見たこともない、聞いたこともない。
目をまんまるにして彼を見た、すると
「そんな不思議がることでもないだろう、俺は魔法使い《マーギア》だ」
特に感情も読めない声を出す。ええ、え?
……たしかに、たしかにだ。
私たち有翼も、人間も、
異色なる技、
人離れした力。
根源から、神から授けられたその_
この世界_ウニヴェルズム ヴェルト
を、脈打たせてきた力。
それらを持つ者、
魔法使い《マーギア》がいる。
それは正しい。
ただ、それらには法則がある。
ある程度勤勉な私は、それが、これまでの魔法学、それら全てを覆すことなのを知っているのだ。
「私の知ってる、人間が使う
驚きのあまり声がひっくり変えった。
壁を登りはじめた、
いや、歩き出したこの男。
結論:ただ者ではない。
私は息を飲み込んだ。
笛吹けども踊らない 蟻野 くう子 @red-ant
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