転話〜願いのネックレス

 一週間が過ぎた。しかし、ネックレスは見つからなかった。とはいえ調査は粗だらけなのだが。


 人見知りな雫は聞き込みと称して「あうあう」「え、何語?」みたいなやり取りを繰り返しているし、落としたら見つかりにくそうな場所を屈んでチェックしていた雫が「藍野さん、また体調悪いの? 保険室行こ?」強制連行されてくし。


 自称神とも毎日会った。基本的には体育の授業中の教室か、夜の公園だ。


「男女が真夜中に逢引……ふむ、なかなか悪くないシチュエーションだ」「お前が痛い子じゃなければな」「自称神のどこが痛いというんだい?」「自称神」そもそもコントしてる時点でロマンも何も無い。


 そして今、俺は公園のベンチで街灯の光を浴びていた。


「憑かれたように探し回っているね、彼女は」


 今日も登場、自称神。


「ようにじゃなくて、憑かれてんだろ」


 いつものポジションなんて決めたつもりは無いが、俺がベンチ、神が後ろという配置が常となっていた。むしろ、この位置関係が落ち着くのは何故だろう。


「そうだね。ああ、間違いない」


 神はやはりカラカラと笑った。何が楽しいんだか。いや、楽しいわけじゃないのか。俺とて楽しいわけじゃないのに、何故か笑えてきた。


「雫は現状、疲れて憑かれてがんじがらめだ。身近だった人間が死んで、病んで縋って忘れないために必死になってる。大事な受験シーズンだってのに、何やってんだかって感じだ」


「そうだね」


 笑いながら言った俺と同じように、神も虚しく笑う。ああ、俺はこんな笑い方をしたのか、と、そこでやっと自分が強がっている事に気付いた。


 沈黙。冬の空は星を輝かせて、まるで悲しみを体現する黒を精一杯隠そうとしているみたいだ。だとしたらあの空もまた、強がっているのだろうか。


「なぁ」


「なんだい?」


 沈黙とこの茶番を終わらせるため、俺はさらに強がる。


「お前、女だったんだな――律」


 なるだけ平静を装って言うと、そいつは再び黙った。ということは、正解だったという事か。


「ここで雫と遊んでるお前を見ていた時から、ずっと男だと思ってたよ。だからすぐに気付けなかったが、考えてみれば成る程、これはミステリーじゃなくてファンタジーだったな」


 俺の後ろに居る神は、その女は、河野江律は、何も答えない。


「ネックレスの窃盗でも紛失でも無く、ネックレスの失踪だなんて、誰も思わないよな。それを俺になんとかしろ、なんて、無茶振りもいいとこだぜ」


 そこまで言うと、ようやく律は答えた。


「でも、一輝君は気付いたじゃないか」


「まぁな」


 俺じゃなかったら、普通は気付かない、というか、こんなトンでもない展開を考えもしなかっただろう。


「自分が、──河野江律の身代わりであるネックレスが消えれば、雫がお前を忘れるとでも思ったのか?」


「まぁね。見た限りだと、失敗みたいだけど」


 そりゃそうだ。この場所でさよならを言えなかった雫にも問題はあるが、交通事故でいきなり死んだ律のほうにだって問題がある。それで身代わりであるネックレスまでいきなり消えたら、ただのリピートだ。状況は何も変わらない。


「ぼくだって、悪いとは思っているよ。だからこうして化けて出た。でも、ぼくが彼女の前に姿を現すわけにはいかないし、出来ない。一輝君を通してなんとかしようと思った。だから君を頼った」


 俺の前にだったら化けて出ても良い、と思われているのが癪だが、約束の件もあるため、文句は言わなかった。


「……で、俺に何をやらせたい? お前の望みは?」


 代わりに、そんな質問をぶつける。はぐらかされるかもとは思ったが、律は存外容易に答えた。


「さよならを聞きたい。彼女の口から、直接」


「成る程」


 その気持ちはよく解る。雫はさよならを言えない性格だから。さよならを聞かなければ、さよならを言っただけでは、自分だけでは、割り切れないのだろう。本当によく解る気持ちだ。


 なんとかしろとは、この事だったのだ。ネックレスが無くなるのが問題なのではなく、それを雫が探し回って四苦八苦している事でもなく――彼女の、律の存在そのものが問題だったのだ。


 それをなんとかしろ、とはつまり、そういう事だろう。


「人の死から目を背けて、俯いたまま顔を上げない。仕方ないかもしれないけれど、ぼくはそれが気がかり過ぎて成仏出来ない」


 冗談めかして笑いながら、律は続ける。


「とはいえ、もう時間が無いのだけれど」


 そういえば、こいつが現れたのは先週の事で、調度、律が雫にネックレスを上げたのと同じ日だった。もしそれとこいつの出現に関係があるのなら、こいつが消えるのもまた、なんらかの意味がある日だろう。


 だとしたら、


「明日は、お前の命日か」


「よく覚えてたね」


「そりゃな」


 忘れるわけがないだろう。大切な雫の、親友の死なのだから。


「とはいえ、ぼくが死んだのは明日ではなく、今日の深夜なのだけれど。言ってしまうと、実はもう数分後に消える。というよりも、姿を現していられなくなる、という表現が近いかな。所詮さよならを聞きたいだけという動機では、この程度の霊体化しか出来ない。……誰にも認識されない浮遊霊に戻る、とでも言おうか」


 正確な時間までは聞かされてないから知らなかったため、少し驚いた。


 そして、死んだのと同じ日に消えるから、時間が無いと言ったのだとしたら、


「俺が今日中に気付かなかったら、どうするつもりだったんだ?」


「諦めて消えてたさ」


 それは潔いことで。


「この公園は縁があったからか、居やすくてね。初日、雫の学校へ行った時は無茶したんだよ。あれのせいで霊力の殆どを使い果たしてしまって、ここから動けなくなった」


 いやぁ、困ったと、カラカラ笑う。その余裕のある態度が気に入らなかった。


「博打も良いとこじゃねぇかよ。遠回しな事しやがって」


「君は気付いてくれたから、賭けには買った。雫に少しでも、自立して欲しかったんだ」


 静かな口調で、笑みを消し去って、重たい声で、律は言う。


「くそっ……今からでも雫をここに呼んでくる」


「待ってくれ!」


「なんで──っ!?」


 立ち上がった俺を律が止めた。振り返って文句を言ってやろうとしたが、俺は言葉を失う。


 律は笑っていた。柔らかく微笑んでいた。その立ち姿は凛々しく、堂々としていて、かっこよくて、闇夜に溶け込むその様が、芸術的とさえ思えた。


 ただ一点──律の身体が、光の粒子となって消えていく事を除けば。美しい光景だったのに。


「おい、お前!」


「ああ。思っていたより力を使っていたらしい……タイムリミットだ」


 諦めてしまったかのようなその顔が、いつかの困った顔に似ていた。


「なぁ、一輝君」


「なんだ、律」


 俺は、ベンチを挟んで、律と向き合う。


 なんとなく、解っていた。


「本当はぼくがしなきゃいけなかったのかもしれないけれど、ぼくにはもう時間が無い。雫と一緒には居るわけにはいかない」


 真っ直ぐ差し出された律の手。そこには木彫りのネックレスが握られていた。


 俺は知っている。


 この言葉の、この願いの続きを知っている。


「どうか、ぼくの代わりに、雫を強くしてやってくれ」


 あの時は果たせなかった約束。


 俺はそのネックレスを受け取るため、手を差し出す。


「解った」


 俺の手に、軽い、ちっぽけな重みがのしかかる。こんなに軽かったのか。律の身代わりは。雫の宝は。


「全部任せろ」


 その小さな想いは、確かに受け取った。


 誰かが笑った気がした。誰もが、かもしれない。だがだとしたら、それはきっと去勢の笑声なのだろう。この場の皆が強がっているのだ。律も、俺も、この空も。


 そして俺は、律の心が光の粒子となり、その最後のひとつが見えなくなるまで見届けた。

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