起話〜木彫りのネックレス
俺が毎日通っている三年四組の教室に足を踏み入れる。今は授業中だが誰も居ない。体育の授業なのだから当然だ。いつも同じ教室を使っている連中は今頃、外でグランドを駆け回っていることだろう。このくそ寒い時期に、せいぜい頑張って汗を垂らしなさい。どうでもいいが、汗と汁って字も意味もすっげぇ似てるのに、誤字るととんでもない事になる場合、多いよな。
教室の扉は最初から開いており、無用心この上ないなと思いながらもそのままにした。俺は窓枠に腰かけ、空を見上げる。
律と雫が別れてから七年。律が死んでから三年が過ぎた。あれから雫も成長し、今や高校三年生だ。受験シーズン真っ只中。クラスメートの中には既に進路が決まっている奴がちらほらと居る。雫はまだ決まっていない。中学の時も律の死去が重なってひきこもりかけていたから、雫はとことん受験運が無いようだ。
頭の中が雫でいっぱいなのは、俺が雫の事を大好きだからだ。好き過ぎてたまらない。ずっと傍に居たいと本気で思っているくらい。
そんなふうにして雫の事を考えるのに忙しくしている時だった。
「呆けているね」
と、誰かが言った。誰も居ないはずの教室で、誰も居なかったはずの場所から。
「…………」
なんだ幽霊でも居たのか、と思い振り向くと、そこには見知らぬ女が居た。制服も、少なくともこことは違う学校のものだ。
長い黒髪と、鋭く吊り上がった大きな目。椅子に座っている状態でも高身長であることが覗えるすらりと長い脚。
「学校は基本的に、関係者以外立ち入り禁止だけど?」
適当に言うと、その女はからからと笑う。乾燥した室内に溶け込みそうな、どこか白々しい声だった。
「小さい事は気にするな。君に挨拶をしにきただけさ。はじめまして」
「…………」
これは驚いた。尋常ならざる事態と言えよう。今ここで俺と話しているという時点で普通では有り得ないが、そもそも校舎内に不法侵入してまで挨拶しに来るという精神が異常だ。精神性疾患でもお持ちなのだろうか。どうでもいいがそこ、雫の席だぞ。俺だってそこに座りたいの我慢してんのに、何ちゃっかりしでかしてんの?
「はじめまして。んじゃまずは名前を教えろよ」
とりあえず睨んでみたが女は全く動じず、さらさらの髪を見せ付けるように靡かせた。
「神さ」
はい、精神性疾患決定。
「じゃあそんな神様にひとつお願いだ」
「なんだい? 君、もしくは君にとって大切な人の願いなら、ひとつくらい叶えてやっても構わないよ? 勿論、それが可能な事ならね」
「じゃあ今すぐ消えてくれ」
「それは無理な相談さ」
はっはっは、とわざとらしく笑う自称神。消えるなんて常人でも出来るぞ。なんで神に出来ないんだよ。
付きまとう気まんまんだな、と察し、俺は一歩距離を取る。しかしすぐ後ろには窓枠があり、これ以上後ろには下がれなかった。
「そう警戒してくれるな。今は本当に挨拶をしにきただけだからね。君の名前を聞かせてくれるかい?」
「俺に会いに来たくせに知らないのか。つうか、神なら聞かなくても解るだろ」
「はっはっは、神だからなんでも出来るなんて思わないでくれよ。少なくとも自称神でしかない神には出来ない事のほうが多いのさ」
「結局神じゃねぇって事じゃねぇか」
人の名前も把握していない神が居てたまるか、という話だ。とはいえこいつの付きまといますオーラは厄介だ。俺は早々に観念した。
「
「苗字は?」
「一輝か、成る程、良い名前だね。でも覚えるのが面倒だからお兄様と呼ぶ事にするよ」
「ならなんで聞いた?」
三文字くらい覚えろよ。
「で、だ。お兄様」
「神の兄になった覚えは無い」
非常に気持ち悪いから。そもそも人生でそんな呼び方をされた事が一度も無いのだ。むず痒い、というより、鳥肌が立つ。
「仕方ないね。なら、一輝君」
「あ? なんだ?」
「……神が眼の前に居るのに冷静すぎじゃないかな」
「信じてねぇからな」
当然だろ。自分でも自称だって言ってたし。
「んなことより話を進めろ」
促すと、自称神は立ち上がり、笑う。
「近々ほんのささやかな問題を起こす。それをなんとかしてみせてくれ」
そして、自称神は教室から出ていった。……え、うそ、それだけ? まじで? ちょっと身構えてた俺が馬鹿みたいじゃないか。
「つーか、ちゃんと消えれるじゃねぇか……」
それにしても、近々問題? 何かの犯行予告のつもりなら、俺以外の誰かにすべきだろう。俺に事件を解決に導く事なんて出来ないからだ。
そう思っていたのは、その時だけだった。事件は十分後に発覚する。事件の内容は窃盗。被害者は雫。盗られたものは――木彫りのネックレスだ。
皮肉な事に、律と雫が別れたのと同じ日にちの事だった。
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