さよなら

根谷つかさ

プロローグ〜さよなら

 藍野雫あいのしずくは泣いていた。小さな身体から絞り出される悲鳴のような声と大粒の涙は、夕日の差し込む公園を、どこか悲しい色に染め上げる。吐き出された白い息もまた、その情景を濃くしているのかもしれない。


「小学校五年生にもなって、お別れくらいでびゃーびゃー泣くんじゃねぇよ」


 俺が言うと、雫はぶんぶんと首を横に振る。


「いやだよっ、もっと一緒に遊びたいよっ」


 その言葉に困ったような表情をしたのは、別れ話を切り出した張本人であり、雫を泣かせた犯人である河野江律こうのえりつだ。


 律は雫とは違う小学校に通っているのだが、家が近かったため、よく一緒に遊んでいた。雫の幼馴染というやつだ。


 そんな律が、親の事情で遠くへ引っ越す事になった。県をいくつもまたいでいるため、会いに来る事は出来ないという。殆ど永遠のお別れだ。


「仕方ないな。雫は弱いから」


 ため息を吐きながら、律は自分のポケットに手を入れる。


「だから、ぼくの代わりを置いてくよ」


 そして取り出されたのは、木彫りのネックレスだった。小学生らしい、歪だが、だからこそ手作り感のあるネックレス。これを自分だと思ってくれ、とでも言いたいのだろう。


 雫は、いくら拭っても溢れ出る涙を拭っていた両手を差し出して、律の身代わりを受け取った。かじかんでいるのであろうその手は真っ赤で、とても痛そうだ。それを痛ましく思ったのであろう律は、悲しそうに眉をひそめながらも、微笑んでみせた。


「そういえば、雫がいつも着けてるそのピンクの可愛いヘアピン。お兄さんから貰ったんだっけ」


「……うん」


 小さく頷く小さな頭。小さな声が律に届いたかは、俺には解らない。それでも律は、雫のちっぽけな返答を見逃さなかったのだろう。小さく笑って、小さな頭に掌を乗せた。


「本当はぼくがしなきゃいけなかったのかもしれないけど、ぼくにはもう時間が無い。雫と一緒には居られない。だから、ぼくの代わりに、雫を強くしてあげてね」


 顔こそは向けられていないものの、それは俺への言葉なのだとはっきり解った。


「わーってるよ」


 俺は答える。


「任せろっての」


 少しの沈黙。オレンジだった景色も黒へと近付き、カラスが決別の終わりを注げていた。


「さようなら」


 そして去り行く律の背中。だが、雫は無言のままだった。


 これが今生こんじょうの別れにはならないと、雫は信じていたのだろう。その後も雫と律は文通をしていたのだが、それから四年後、律が死んだ。交通事故だったらしい。その伝えが律の親から届いた。


 結局、雫はさよならを言えなかった。彼女はさよならが言えない人間なのだ。何年も何年も、彼女はそのネックレスを首に下げている。別れたくないから。さよならをしたくないから。


 これは、そんな彼女がさよならを言うためだけの、ちっぽけな話だ。

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