第10話「期待しては駄目ですよね」

「アキセのあの武器はかなり融通が利くでしょう? ただ接近されるとまずいから、直属級とかと直接対峙するのは危険だと思うのよね。そこで、私たちを壁にしてもらう」

 そこまで告げたところで、リンはちらとジュリの方を見た。ジュリが複雑そうな面持ちをしていることに気づいていたのだろう。その心境は、シンにも想像できる。

「この役割だけならよつきとジュリでもいいんだけど、ジュリにはもう少し柔軟に動いてもらわないといけなくなると思うのよ。それに、いつジュリの治癒の技が必要になるかもわからない。上の誰かとか、たとえば滝先輩が負傷する可能性だってあるし」

 ジュリの胸中を見透かすように、リンはそう説明した。その発言の裏側には、「あのレーナでさえああなるのだから」という思いが隠れているような気がした。

 そうだ、誰がどうなるのかはわからない。ミスカーテが死んだように、いつ誰が命を落とすのかもわからない。

「ですが、そんな大事な話を、滝先輩たち抜きに決めてもいいんですか?」

 そこでよつきが怖々と尋ねてきた。最初にシンが考えたのと同様の疑問だ。心構えという話だったが、もう少し具体的な問題まで踏み込んでいるように思える。だがリンはその必要はないとばかりに、ゆっくり頭を振った。

「滝先輩たちはたぶん、誰の力を借りることもなく、五腹心か直属級の相手をすることになるはずよ。戦闘が始まれば、先輩たちならそう判断するでしょう。そうなると周囲を見る余裕なんてないのよ。だからこっちでひっそり決めておくの」

 それは確かに、力強い宣言でもあった。そう説明されるとシンにも反論の言葉はない。確かに滝ならそうするだろう。誰に言わずとも、戦力状況を見てそう判断する。「まあ、一番よくわからないのが青葉たちなんだけどね」

 そこでリンは息を吐いた。湯気の立つカップへと唇を寄せる様から、シンはわずかに目を逸らす。そして湧き上がる感情を抑え込むように、茶を口に含んだ。

 いざという時に、梅花は戦える状態にまで回復しているのか? それは誰にも予測がつかなかった。しかし推測できることもある。何かがあった時、あの二人がじっと待機などできるはずがない。

「本当は、無理して欲しくないけど……」

「でも前に出るだろうな」

「ええ」

 シンが独りごちるよう続けると、リンはちらとこちらを見た。困った後輩に向ける温情と諦めの混じった、わずかに悲しげな眼差しだった。

 たとえ明日魔族の襲来があったとしても、青葉たちが大人しくしているとは思えない。そういう二人だということは、シンも知っている。

 無論、青葉は梅花を止めるだろう。だが、おそらくは止めきれない。乱暴な真似をしてまで基地に縛り付けておくなんてことはしないだろうから、そうなると二人は出てくる。

「だからジュリたちには、梅花たちの援護を頼んだ方がよいかもって思ったりもしてるのよ。援護までいかなくても、気にしておいて欲しいかなって」

「ええ、もちろんです」

 仕方がないと肩をすくめたリンに、ジュリはすぐさま頷いてみせた。確かに青葉も梅花も接近戦主体ではあるから、遠距離からの支援があった方が心強いことは確かだ。それがなくとも、不測の事態に対応してくれる仲間が側にいるのはありがたい。

「そうはいってもジュリ、青葉先輩の近くは危険ですよ?」

「危険と思うほど近づいては駄目ですよ、よつきさん。それでは巻き込まれます」

 そんなよつきとジュリの会話を耳に入れながら、シンはモニターの方を見上げた。夜空にうっすらと雲がかかった、冬にはありがちな天気だ。

 あの雲が厚くなるような日は雪になる。まだまだいつ降ってもおかしくはない季節だった。そういった日が当たらないことを、つい祈りたくなる。いや、できれば春まで何事もなければ。そうであれば、レーナも目覚めるかもしれない。

「アースさんを……期待しては駄目ですよね」

 そこでぽつりとアキセが呟いた。はっとしたシンは、浮かないアキセの横顔へと一瞥をくれる。

 すっかりアースたちのことを忘れていた。青葉の行動は読めるが、アースの行動は予測できない。レーナが目覚めている時ならば、レーナが動けばアースは出てくるだろうが。しかし現状ではどうであろうか。

「正直、わからないわね。出てきてくれるかもしれないし、レーナの傍を離れないかもしれないし」

 それはリンも同様らしい。アースたちはきっと神技隊のことはよく思っていないだろう。それでも梅花が危険に晒されれば動いてくれるのではないかという、淡い希望だけは頭の隅にあった。

「だから数には入れておかないでおきましょう。出てきてくれたら幸運ってことで。シリウスさんなら、きっと来てくれるでしょうけどね」

 そこでようやくリンは微笑んだ。上に頼ってはいけないと思ってはいるが、確かにシリウスがだんまりということはなさそうだった。ただシリウスとて、五腹心複数を相手取るなんてことは不可能だ。シリウス頼みになってもいけない。

「そうですね、できる限り最悪の事態を想定しておいた方がいいですよね」

 そんな気持ちが伝わっているのか否か。頬を緩めたサホが頷く。とはいえ、本当に最悪の状況を思い描いてしまうと心が折れてしまいかねない。

 シンはもう一度カップを口元へと運んだ。理性としてはどこまでも厳しく、感情は楽観的に。そんな風に使い分けられたらいいのだが。

「そうね。まあ、でも絶望しない程度にね。さ、そういうわけだから、日頃から精神の摩耗には気をつけておきましょう。日々の楽しみは忘れずにね。喧嘩はなしよ」

 そこで朗らかに笑ったリンはそう付け加える。最後の指摘はきっとよつきとアキセに対してのものだろう。アキセが複雑な顔をしたのは、「喧嘩」ではないと言いたいからか。彼としては一方的に絡まれているだけなのだろう。

「そんな、リン先輩、喧嘩だなんて」

「あら、よつき。私はあなたになんて一言も言ってないわよ?」

 大仰に首を振るよつきに、リンはわざとらしく意地の悪い声を向けた。途端ジュリが耐えかねたように噴き出す。それまでが嘘みたいに、忽然と空気が軽くなったように感じられた。こういう気の使い方が、リンは絶妙だ。

「やられましたね、よつきさん」

「え、この流れってなんだか全部わたくしの責任みたいな感じじゃないですか?」

「いやいや、そんなことは言ってませんよ。被害妄想ですよ。ただよつきさんには、穏やかにしていて欲しいだけですから」

 しきりに首を捻るよつきへと、ジュリは満面の笑みを向ける。それは本当にいつも通りのやりとりで。後輩たちの頼もしさに、シンは胸の奥が明るくなるのを感じた。この空気がもっと周囲へと伝わっていけばよいのだが。

 そうしたたわいのないお喋りがしばらく続いた後に、よつきとジュリ、アキセとサホはようやく中央制御室を出て行った。たとえくだらない会話でも何か話していないと不安だったのかもしれない。

 賑やかな声が途絶えれば、急激に静けさが室内を満たす。シンは空っぽになったカップの底を見下ろしつつ、こぼれそうになったため息を飲み込んだ。

「シン、おかわりいる?」

 するとモニターを見上げていたリンが、にわかに振り返った。シンの行動など目に入っていなかったはずなのに目敏い。彼は思わず苦笑をこぼす。

「いや、大丈夫だ」

「本当に? 別に遠慮しなくてもいいのに。これ、暖まるし」

 笑った彼女は両手でカップを包み込んだ。彼女のそれは既に二杯目だ。戦闘用着衣の上に軽く上着を羽織っただけのためか、どうやら寒かったらしい。そういえば風呂上がりなのにあちこちと歩き回っていた。その間に湯冷めしたのだろう。

「リンこそ風邪とか気をつけろよ。お前も倒れたら大変なんだからな」

 特に深い意味はなく、彼はそう口にした。言ってしまってから、青葉に指摘されたことが脳裏をよぎる。――信頼感。果たしてこれはそうなのだろうか。

 梅花が不調となっている今、滝を支えられる者は圧倒的に不足している。不甲斐ないことだが、シンにはその力がない。今の青葉は梅花のことで精一杯であろうし、リンの肩にかかる責任は重大だ。

「大変って」

 リンは怪訝そうに頭を傾け、それからなんとも言えない微笑を浮かべた。どこか苦い、そしてくすぐったさと諦念を混ぜ込んだような彼女の気が、わずかに揺れる。

「梅花だけじゃなくってこと? あの子、結構まずいと思うのよね。実際」

 ぽつりとこぼれ落ちた本音に、シンは眉根を寄せた。やはりそうなのか。

 梅花がこれだけ姿を見せないというのは異常事態だ。普段はほとんど部屋にいて、時折滝と言葉を交わす程度らしい。朝食は取っているようだが、昼や夜もきちんと食べているかどうかは疑わしかった。そのためリンは定期的に様子を見に行っている。

「青葉の告白がどうこうという問題だけじゃなくてね。たぶん、レーナの気の影響ね」

 リンの視線が入り口の扉の方へと向けられる。シンもつられてそちらを仰いだ。

 いまだにレーナの気は不安定な状態のままだ。本来であれば致命的なことが起きたというのだから、不安定でも生きているのが奇跡なのだろう。そう頭では理解できても、油断すると自分も引きずり込まれそうになる。

「ずっと側にいて、よくアースは平気よね」

 何か言いよどんだリンは、わずかに首をすくめた。しかしその疑問については、シンはあまり賛同できなかった。

 何に代えても失いたくない相手が今まさに生と死の狭間で抗っている時に、平気だの平気でないだのという感情は湧かない。ただただ祈るような気持ちで見守るだけだ。

 苦しんでいるのを傍で見ているのも辛いが、きっと離れるのはもっと辛いのだろう。そう想像するのは容易い。自分の知らないところで大事な者が失われるのだけは、どうしたって嫌だ。

「どうしたのシン? 何か言いたげだけど」

 気づけば彼女の視線が彼の方へと注がれていた。我に返った彼は慌てて頭を振る。この手の話題に、今は触れてはいけない。

「いや、何でもない。まあ、平気ではないんだろうな」

 だからそう答えるに留めた。

 ――いつ誰が死ぬかわからない。そう指摘はされていたが、それでもどうしてだかそこまで実感が湧かなかった。ミリカの街が破壊されたあの戦いくらいだろうか? 

 心のどこかで、誰かが助けてくれるとでも思っていたのかもしれない。それこそレーナが。

 しかし今、彼女はとても動けるような状態ではない。次の戦いでは、本当にどうなってしまうかわからない。

「やっぱり、アースに期待しても駄目だな。オレたちでどうにかしないとな」

 その時が先延ばしになることを祈りながら、彼はそっと視線を落とした。空っぽになったカップで反射する光が、かすかに歪んで見えた。

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