第7話「噂には噂で上書きだ」

「他の星か? だいぶ事情が違うな。奴らは宇宙では我々に見つかるのを恐れていた。故に派手なことはしていなかった。人々の中に噂を流すとしても、不安を煽るのが目的だ。今回の件の直接的な参考にはならないだろう」

「そうか……」

「そもそも宇宙の人間たちは、魔族を魔物という生き物として認識している。まずその点が違う。ここの人間たちは、人外の存在すら知らないのだろう?」

 やや不機嫌なのを隠すことなく、シリウスは痛いところを突いてくる。アルティードは小さく呻いた。

 そうだ。魔族のことを、誰も長らく人間たちには伝えてこなかった。その問題がここにきて表面化しただけだ。ここは安全なのだという、紛い物の平穏を謳っていたつけだ。

 それは過去に生きてきた人間たちにとっては真実だったのだが。しかし永遠にあるものではなかった。

 いや、今重要なのはそこではない。魔族はそういったこちらの隙を、あえて突いてきたのかどうか。それが気にかかる。

 不穏を煽るための言動が、それまでの不満に火をつけただけであれば、まだ対応のしようはある。

 しかし狙ってやってのけたのなら。もしくは偶然そうなったとしても、その問題点に気づいたのなら。彼らはこれからもそこを起点に攻め込んでくるに違いなかった。

「それに今は五腹心がいる。指針を示す者がいるというのは、路頭に迷っていた下級魔族にとってはこの上ないほど心強いだろうな。五腹心に従った行動であれば、誰にも文句は言われない」

 そこでシリウスは付言した。どこか引っ掛かりを覚えるような発言だった。それはケイルたちも同様だったようで、沈鬱な表情のまま眉根を寄せている。彼らの気に、怪訝な色がわずかに滲んだ。

「それは、つまり?」

「今まで私が突いていた奴らの弱点の一つが消えかけているということだ。奴らの一番弱いところは内部分裂だ。他の星での失敗の大半はそこだ。意見の不一致が亀裂の始まりとなる。我々はそこを逃さなければいい。逆のことを、今されているようなものだな」

 軽く目を瞑って苦笑をこぼしたシリウスに、反論の言葉は浮かばなかった。脳裏をよぎった文言は、全て自分の中でさえ否定が浮かぶ。

 閉口したアルティードは腕を組んだ。なるほど、長年されていたことを仕掛ける側に回っているとも考えられるのか。それが綻びとなり得ることは、彼ら自身がよく知っていると。

「そもそも守る側はどうしたって劣勢だ。ここを動けないのも不利な材料だ。難題だろう。しかし一つ相手に隙を見出すなら、今地球にいる奴らは、五腹心から直接指示を受けられない立場であることくらいだな」

 シリウスは鷹揚と相槌を打った。その指摘にアルティードははっとする。

 内側に入り込まれた点にばかり意識が向いて焦っていたが、相手の立場になれば、懐に飛び込んだまま息を潜めている状態だ。かなり緊張を強いられる時間が続いていることだろう。

「それに、ミスカーテが滅んだのは不幸中の幸いだ。あいつの道具は人間の不信を煽るのに最適だ。ミスカーテを失ったことは、潜伏している者たちにとっても痛手だろうな」

 そう続けるシリウスの気に、皮肉な色が混じる。

 確かに、あの魔族の科学者ミスカーテは、様々な道具を他の者にも与えていたようだった。奇病騒ぎも含め、一体何が狙いなのかと思っていたが。不穏の種を撒き、こちらの綻びを見つけ出すための計略であったのなら。あの時点から、アルティードたちは後れを取っている。

「なるほど、あの薬ももう補給してもらえないというわけか。技を使うと居場所がばれてしまう奴らにとって、唯一の武器だっただろうにな」

 だがそのミスカーテはもういない。納得するケイルの声にも、わずかに覇気が戻った。希望がないわけではないと、まるで諭されたかのようだ。

 やはりこういう点でもシリウスは優れている。どんなに絶望的な情勢でも、心を折らずに前を見るための視点をくれる。

 息を吐いたアルティードは、ちらと噴水に目を向けた。煌びやかな光を浴びて輝くその向こう側で、ジーリュが水色の瞳をすがめている。あれは何か思いついた顔だ。

「これは今考えたところだが。先手を打つのはどうだ?」

 案の定、ジーリュの唇が突として動いた。腹の底に響くような低くて深い声が、白い広間で反響する。しかし先手というのはずいぶんと曖昧な表現だ。アルティードは首を捻った。

「先手とは?」

「まずは奴らが動きづらい状況をあらかじめ作っておく。……たとえば異世界から、髪色の派手な異人たちが侵攻を企んでいるといった噂を流す」

 ジーリュの提案を、しばしアルティードは脳裏で繰り返した。

 別の世界があるということは、ようやく人々の間にも広まってきたところだ。魔族がやってくるのは異世界ではなく宇宙からだが、その方が人間たちにとっては現実味があるだろうか。実際、魔族たちが巣くっているのは魔族界だから、完全に嘘というわけでもない。

「そして我々はそれを水面下で押しとどめようとしたが、失敗した。というところまで言いふらしてもらえれば、真実味が増すだろう」

「しかし、それでは人々の混乱が……!」

 さらに続く言葉に反応したのはケイルだった。鼻眼鏡の位置を正しつつ、動じた声を上げる。半狂乱になった人間たちが詰めかける光景でも想像しているのだろう。宮殿前での騒ぎや、イダーでの騒動を考えれば当然の憂慮だ。

 だがジーリュは片眉を跳ね上げ、ケイルの方へと視線を投げた。

「混乱など既に生じている。現実問題、街が襲われているのだから、そこを隠しても仕方がないだろう。大事な点は、水面下での処理に失敗したというところだ。だから、これからは大々的に動き出すという噂まで流布させる」

 答えるジーリュの双眸には、一種の棘があった。こういった後ろ暗い企みについては、やはりジーリュの方が得意らしい。アルティードはそう実感する。シリウスの指摘に対して、すぐに思考を切り替えるところもさすがだ。

 もっとも、時々容赦がなさ過ぎて、部下たちから反発を食らうのが玉に瑕だが。

「噂?」

「ああ、噂には噂で上書きだ。かつ、実際に我々も行動すべきだろう。たとえば避難壕の設置。ただし、魔族が入り込む隙を与えないためには、技使い以外ということになるがな」

 よどみなく飛び出してくる具合案に、アルティードはただただ相槌を打つしかない。明言するところは明言し、曖昧にするところは曖昧のまま、淡々と必要な対処だけを実行していくということか。

 まるで何も知らぬ者たちを騙しているような心境にもなるが、かといって本当のことを説明するだけで理解してもらえるわけでもない。

「そうだな、噂を信じてもらうためには、信憑性を増すための動きが必要だ。少なくとも宮殿側に対処する気があるらしいと思ってもらわなければ、人間たちの不安は増す一方となる」

 シリウスも賛同した。こうなればアルティードに口を挟む余地はなかった。あとはどのように指示を出すべきかという問題が残るだけだ。アルティードは肩をすくめた。

「わかった。とりあえずはその方向で進め、潜んだ魔族たちの動向に注意を払おう。あとは有事の際の、人間たちの避難経路の確保だな。神技隊だけに任せているわけにはいかない」

 口にした言葉が自らにも跳ね返る。つきりと罪悪感が胸を刺した。技使いたちに頼り切りな状況はいかんともしがたいとしても、できることはこちらでやらなければ。そうでなければ彼らが摩耗する。

 そんなアルティードの思いが通じたわけではないだろうが、ケイルが真っ直ぐ首肯するのが視界に入った。

「避難であれば産の神でも可能だな。私が指揮を執ろう。宮殿の人間と連携を図りつつ、即座に動けるよう体制を整えておく。あと懸念すべきは、いつ五腹心が動くかだが……」

 そこでケイルは言葉を途切れさせた。それがアルティードたちの最大の懸念事項だった。

 何をするにしても、どれだけの時間が残されているのかが問題となる。確たることなど誰にも言えないからこそ、不安材料として胸に巣くっていた。焦っても無意味だとわかっているのに、焦燥感が消えない。

「そうだな。ミスカーテが滅んだことを考えると、奴らもすぐさま攻め入ってくることはないだろう。ただ、大きな動きがあった場合は例外だ」

 息苦しい沈黙が生まれかけたところで、シリウスの声が空気を揺らした。アルティードはちらとその横顔を盗み見る。

 青い髪に縁取られた相貌は、いつも通り落ち着き払って見えた。どんな事態にも普段通りに振る舞えるのがシリウスの強みだ。

「大きな動きとは?」

「たとえば五腹心の誰かがまた蘇るだとか、あいつがこのまま死ぬだとか、そういう規模の事態だ。そうなれば、慎重派なイーストでも決起するだろう。総攻撃を仕掛けてくるはずだ」

 ケイルの疑問に、そう答える声でさえ冷静だった。しかし口にした内容は重い。アルティードの顔もつい歪み、気にも苦いものが滲み出そうになる。

 できれば想定したくはない、最悪の状況だ。そんな気持ちをごまかすよう、アルティードは首の後ろを掻いた。

 あいつというのはレーナのことを指しているのだろう。ミスカーテとの件は耳にしている。いまだ彼女は目覚めていないという話だ。――死んでもいないが。それをどう受け取ってよいのか、アルティードには判然としない。

 ミスカーテほどの高位の魔族が、自らの情報を注ごうとする。信じがたい行為だ。そんなことをされて生きていられるわけがないのだが、現実として彼女はまだ命を保っている。

 しかしここから目覚める保証もなかった。目覚めるのだとしても、それがいつのことなのか不明だ。それよりも先に、三人目の五腹心の封印が解けるかもしれない。

 イーストに続いて、すぐにレシガも蘇っている。その間隔を参考とするなら、次の五腹心が目覚めるのもそう遠くない日のことのように思えてくる。それまでに、少しでも怪我人を回復させ、人々の混乱を静めなければならない。

「あまり時間はなさそうだな。悠長にはしていられまい」

 口の端をつり上げたジーリュの、歯に衣着せぬ言葉がさらに空気を張り詰めさせた。だが現実から目を背けていても何も始まらないと、アルティードは頷く。できることから手をつけなければ。

「そうだな。では各自動きだそう。避難壕や噂の件に関してはジーリュに一任する。有事の際の対応はケイルに。シリウスは引き続き魔族の動向を探ってくれ。ああ、派手な髪色の者は今後怪しまれるだろうから、その点は注意して欲しい」

 そう付言すれば、こちらを横目に見たシリウスが笑い声をこぼした。

 アルティードは銀の髪に青い瞳と、ぎりぎり人間でも通用する容姿ではあるが。シリウスの青い髪は目立ちやすい。ケイルの深緑の髪も怪しいし、ジーリュの浅葱色の髪も駄目だ。

 今までもこの辺りには注意を払っていたが、さらに念入りに気を配る必要がある。魔族に足枷をはめるための行為だが、こちらにもそれは波及してしまうのが悩ましいところだ。

「そうだな、部下にも言っておく」

 ふっと声を漏らしたケイルは、そのまま踵を返した。翻った布の立てる音が、眩しい広間の中でやけに耳に残った。

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